喜界島「象のオリ」問題 これまでの経緯

最終更新:Oct. 20, 2001

Back to Bak's Home
base_photo 戦前、中里集落旧軍の飛行場があったのは別項(ガジュマルとグラマンと)でも述べたが、
赤連集落自衛隊の通信基地(陸上幕僚監部調査部、陸幕二部室の無線傍受基地。右写真参照)が開設されたのは
1962年(昭和37年)のことである。

その後20年以上経過した1985年(昭和60年)11月
防衛庁がOTH (Over The Horizon) レ−ダ−受信基地の有力候補地として喜界島を考えていること、
象のオリも計画していること等が、連日マスコミ報道された(関連資料01)。
11月08日、防衛庁の構想の中でOTHレーダー建設候補地として喜界島が最有力、と朝日新聞、NHK (NC9) が報道。
11月09日、象のオリ計画についても南海日日新聞が報道。
11月13日、この件について鹿児島県知事は「静観の構え」と南海日日新聞が報道。

この報道については地元でも話題になったが、島外にいる出身者の動きも早く、
報道から1ヶ月後の12月08日には関東在住者による「考える会」第1回準備会が結成されている。
これに呼応するように地元でも反対の声が大きくなり、町議会でも取り上げられたが、
12月17日の町議会で町長は「町には連絡がなく、県にもないと聞いており、判断のしようがない」と
答弁している(12月18日付、南海日日新聞)。

1986年(昭和61年)
01月15日、反対住民会議発足。奄美地区労、沖縄、種子・屋久と共闘、と南海日日新聞の報道。
02月10日、朝日新聞「声」欄に「喜界島を基地とするな」との大倉忠夫氏(横須賀市在、弁護士、中里集落出身)の
声が掲載される。(関連資料02)。
02月25/26日、軍事評論家、藤井治夫氏が名瀬市および喜界町で講演。
03月06日、OTHレーダー設置について、硫黄島が有力候補、との報道(朝日新聞、日本経済新聞、サンケイ新聞など)。
04月05日「OTH考える会」が正式に発足。署名集約と資金カンパ実施へ。
06月28日、町議会が「喜界島OTHレ−ダ−基地の建設反対に関する意見書」を全会一致で採択(関連資料03)。
06月29日考える会がOTH反対の「お願い」を603名連署で、喜界町長、助役、収入役、町議、区長、教育長、
教育委員、農業委員、連合婦人会長他、約80名に発送。(関連資料04
06月30日、町議会が「喜界島OTHレ−ダ−基地の建設反対に関する意見書」を内閣総理大臣と
防衛庁長官に提出している。
一方、防衛庁(福岡防衛施設局)は、象のオリ計画は老朽化した通信基地の改修の一環であるとの立場から、
08月26・28日には町長と町議会に対して、現通信施設の大規模改修と「象のオリ」新設を申し入れている。
10月04日「円形アンテナ(象のオリ)説明会、赤連公民館にて」と南海日日新聞が報道。
11月08日喜界島の豊かな自然と平和を守る町民会議」(略称 町民会議)が結成され、ついで
12月30日には、赤連集落の地主による「農地を守る会」が結成されている(関連資料05)。
このような住民運動の盛り上がりを受けて、
12月23日、町議会は「象のオリ反対請願全会一致で採択
従来「反対するつもりはない」との立場に立っていた町長も、一転「採択は住民の意志」と表明した。(関連資料06
一方、この採択に関して防衛施設庁は「議会の決議は法的な拘束力はない」として、
今後も推進する旨の談話を発表している。

1987年(昭和62年)
01月08日、奄美地区労が「象のオリ」反対7万人署名運動の展開を表明(関連資料07)。
05月16日には「象のオリ反対第1回町民大会が、さらには
10月17日第2回町民大会が開催されているが、一方では、
08月10日に「喜界島自衛隊協力会」が発足(同会は、象のオリとは無関係であると主張)、
10月18日には、喜界島の基地開所25周年を祝ったイベントが行われ、佐世保から護衛艦が寄港し館内見学を行ったり、
音楽隊がパレードと記念演奏会を開くなど、自衛隊のPR活動も活発であった。

1989年(平成1年)
09月22日には考える会が「喜界島のみなさんへ、お願い」との意見広告を南海日日新聞に掲載するなど、
反対運動は着実な成果を積み重ねていた。
その後象のオリ建設についての報道も沙汰止みの感があり、多くの島民が建設中止を勝ち取ったかに感じていた。

再び事態が動き出すのは、2年後のことである。

1991年(平成3年)
07月19日、川嶺集落が水道施設整備を条件に「象のオリ」誘致を表明。(関連資料0809
わずか2ヶ月後、これに呼応するかのように
09月25日には町議会が「喜界島通信施設整備促進に関する意見書」を採択、(関連資料10
10月22日、町長が同要望書を防衛施設庁に提出している。
これに対して町民会議および農地を守る会も川嶺集落民へのアピール文書を作成、配布したり(関連資料111213)、
11月09日、決起集会を開催、川嶺集落内をデモ行進するなどの行動を起こしている(関連資料14)。また、考える会は、
12月07日付けで、川嶺集落住民に向けた文書を送付するなどしている(関連資料15)。

反対運動のピークから2年を経て、唐突に現れたかに見える誘致の要望であるが、
この要望の前提となった集落の常会自体が、唐突かつ異様なものであり、
背後に「見えざる手」の周到な準備があったのでは、と思わせる部分もある。
この件については、1992年初冬に出された喜界島の豊かな自然と平和を守る町民会議からの
レポートを御覧頂きたい(関連資料16)。

しかし、水道施設整備を条件に、というのは何という貧しさであろうか?
誤解を恐れずに言うが、水道設備のない集落というのは、ここに限らず全国にあまたある。
下水道整備(より利潤(=利権)が大きい)には熱心でも、上水道整備には不熱心で、冬場の水涸れの時期に
住民が水汲みに奔走するのを黙視しているというのも「貧乏市町村」には多々ある話ではあるのだ。
しかし、これは基地との取引で云々されるべき話なのだろうか?

1994年(平成6年)
05月「象のオリ」8年度具体化、とのマスコミ報道。
09月23日「象のオリ」反対集会。200人参加で川嶺地区をデモ行進の後、赤連公民館で集会。
参加した上山参院議員(社会)は、席上「政権与党として反対」と表明した。

1995年(平成7年)
喜界島沖地震(10月18日)の余震もおさまらぬ10月27日
丸山邦明「町民会議」議長らは、国会内で衛藤防衛庁長官に建設反対の陳情を行うが、
地元の誘致要望に添った計画であり、反対の声があるとは知らなかったなどと回答される。

1996年(平成8年)
04月考える会が建設反対のお願い文書を地権者の多い川嶺、城久、山田、花良治集落250世帯に送付。
島外在住者への署名運動等も展開していくことになる。
07月、地元町民会議が基地建設反対の募金活動を開始。
11月24日町民会議主催の「象のオリ建設反対集会開催。沖縄の反戦地主・知花昌一氏も参加、反対を訴える
12月09日、地元紙南海日日新聞が社説「拝啓、防衛庁長官殿 〜「象のオリ」、住民に説明を」を掲載(関連資料17)。
12月13日丸山邦明町民会議議長らが、久間防衛庁長官に土地購入費8億円の計上取り下げを申し入れ、反対署名提出。

1997年(平成9年)
09月30日、町議会にて、島外在住者 1,178名の「象のオリ誘致・建設反対請願署名が13対6で否決される。
11月、防衛庁、来年度予算の概算要求に4,900万円計上 
11月29日、赤連公民館で講演と反対集会開催。

1998年(平成10年)
04月24日、喜界島の豊かな自然と平和を守る町民会議から反対派地主へ支援のメッセージを求める声明が朝日新聞に掲載される。(関連資料18
05月04日、敗戦間近の1945年5月に米軍が喜界島上陸を計画していたことが明らかになる。(関連資料19
05月09日、南海日日新聞に上記の補足記事。(関連資料20
05月25日、反対派地主への支援のメッセージ、全国から続々。(同日付南日本新聞記事へのリンク
07月03日、象のオリ用地の8割が買収契約との報道。(関連資料21
07月09日、ロイター通信が喜界島における選挙と公共事業、象のオリ問題について配信。(関連資料22
07月23日、太平洋戦争末期、奄美から連合艦隊に機密電報、との南海日日新聞記事。(関連資料23
08月12日、東京新聞が戦後53年目の安保、と題した特集の第1回で喜界島象のオリを取り上げる。(関連資料24, 25
08月22日、象のオリ建設予定地で地質調査始まる、との南海日日新聞記事。(関連資料26
09月02日、喜界島象のオリ関連予算8,000万円を要求、との南海日日新聞記事。(関連資料27
09月13日、町民会議および反対派地主「象のオリ」建設予定地でサトウキビ植え付けと朝日新聞の報道。(関連資料4637
09月27日、沖縄・連帯の集い、喜界島の「象のオリ」阻止で共闘へ、との南海日日の報道。(関連資料29
10月21日、鹿児島市在住の奄美出身者「奄美を軍事基地から守る鹿児島の会」を結成。(関連資料30, 31
12月25日、島内外の喜界島出身者35名が、予定地内の6筆の土地を共有で所有する仮登記を行う。

この仮登記によって、予定地内の反対派地主は40名近くに増えたことになる。従来、はっきりと反対の声を上げていた地主がごく少数であったことを考えると、確かに心強いことではある。

1999年(平成11年)
01月、反対派の土地共有について各紙の報道(関連資料32, 33, および23日付南日本新聞記事へのリンク)。
前後して、喜界島に右翼街宣車。象のオリ建設反対派に執拗な攻撃を繰り返している模様。
03月12日、防衛施設庁が予定地内の地権者80%と売買契約との報道。(関連資料34

しかし、この報道、数ヶ月前と内容的にはなんら変わっていない。何故わざわざ?
単なるプロパガンダとしか思えない。あるいは、施設庁側にも焦りがあるのか?
同時期、喜界島の豊かな自然と平和を守る町民会議では、予定地内に開墾した畑でのキビ収穫作業への参加を呼びかける。

03月20日、町民会議では、予定地内に開墾した畑でキビ収穫作業。(21日付南日本新聞記事へのリンク
04月15日、名瀬市にて、奄美の自然と平和を守る郡民総決起大会。「奄美に象のオリいらない」と訴える(16日付南日本新聞記事および関連資料35
04月26日、日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法案が、衆院特別委で可決。喜界島でも様々な反応。(27日付南日本新聞関連記事へのリンク)
09月02日、防衛庁が提出した2000年度予算の概算要求で、いわゆる「象のオリ」整備関連経費として川嶺集落水道施設調査など約1億200万円を要求。内訳は、推進派が誘致条件に上げている川嶺集落の水道施設建設に向けた生活用水水源調査費約1億円と新喜界島通信所建設に要する一部用地の新規借り上げ費約200万円。(関連資料36および04日付南日本新聞記事へのリンク)
09月12日、建設反対派住民が予定地内にサトウキビ植え付け(関連資料37および同日付南日本新聞記事へのリンク)
10月21日、奄美の自然と平和を守る郡民会議が、喜界島の「象のオリ」基地建設反対・錦江湾人工島建設反対をスローガンに掲げる「10・21国際反戦デー奄美地区総決起集会」(関連資料38
12月21日、2000年度の防衛庁関係予算で、象のオリ整備関連費7,700万円内示(関連資料39

2000年(平成12年)
01月13日:自衛隊喜界島通信所が中国艦船の暗号電波を傍受。情報は日米防衛協力のための指針(ガイドライン)に基づき、米軍側にも提供されているものとみられる、と南海日日新聞の報道(関連資料45
03月18日:建設予定地内にある反対派の畑でサトウキビ収穫作業。(関連資料44394041
09月02日:喜界島象のオリ、防衛庁が7800万円を概算要求、と南海日日新聞の報道(関連資料43
09月24日:建設予定地内にある反対派の畑でサトウキビ植え付け。(24日付南日本新聞記事へのリンク)
10月21日:国際反戦デー奄美地区総決起集会。(同日付南海日日新聞記事へのリンク)
10月22日:沖縄で喜界島象のオリ反対集会を予定との記事。(22日付南海日々新聞記事へのリンク)

2001年(平成13年)
03月13日:「ジュゴンと平和を守れ、米軍新基地建設反対 名護―東京・全国縦断平和連鎖行動キャラバン」喜界島に上陸(14日付南海日日新聞記事へのリンク)
03月17日:建設予定地内にある反対派の畑でサトウキビ収穫作業。(関連資料42
04月02日:アイスバーグ作戦で沖永良部島上陸計画も、との報道。(同日付南海日々新聞記事へのリンク)
04月05日:奄美空港は米軍機離発着回数全国第3位、との報道。(同日付南海日々新聞記事へのリンク)
04月13日:米中機接触で喜界島通信所が情報収集、能力発揮、 との報道。(同日付南海日々新聞記事へのリンク)
06月18日:喜界島に米軍の燃料補助タンク?漂着、 との報道。(同日付南海日々新聞記事へのリンク)
10月04日:奄美空港は米軍機離発着回数全国第3位、 との報道。(同日付南海日々新聞記事へのリンク)
10月09日:米英のアフガン攻撃開始をうけて奄美の空港・自衛隊施設厳戒体制、 との報道。(同日付南海日々新聞記事へのリンク)