「お願い」

− OTHレーダー基地建設反対について −

 愛する郷土、喜界島の皆さま。
 昨秋、私たちは喜界島のニュースに一喜一憂しました。
 十月には、喜界島はウリミバエの撲滅に成功し、奄美大島で初めて園芸作物の移出が解禁されました。西瓜やパパイヤ
 など島の農業の振興に向けて一段と意欲が高まっているという便りに、島の皆様の御苦労を忍びつつ心から喜んだもの
です。
 翌十一月、朝日新聞の一面に掲載された、
 「喜界島が最有力 − OTHレーダー基地」
というニュースに驚きました。
 喜界島に、この水平線の先まで三千キロ以上にわたって、シベリヤや沿海州をも監視する最新鋭のOTH受信基地が建
設されると、わが喜界島は国内の最重要の戦略拠点になるということです。また、アメリカは、同じOTHレーダー
 基地をグアム島とアリューシャンのアムチトカ島に建設計画中であり、日本のOTHレーダー基地は、アメリカ軍を補
うものだと報じられています。しかもレーダー基地建設には、長さ二千六百メートル、幅二百メートルの広大な用地を必
要とするということです。私たちは喜界島が米ソ間の紛争及び日本と近隣諸国との武力衝突などの際に、真っ先に攻撃目標
となるのではないかと心配しています。
 各新聞は、「住民感情」や立地からみて喜界島が最有力候補地となったと報じています。異郷に暮らす私たちは、目下、
喜界島の「住民」ではありませんが、喜界島で育ち、たえず島への望郷の念を抱きつつ過している者の「感情」として、
 万一、百の台がOTHレーダー基地となって、「立入禁止」区域となるなど、島民の自由な生活に規制が加えられることが
ないように願わずにはいられません。第二次世界大戦の際、喜界島は海軍の飛行場や高射砲陣地があったために、ひどい
空襲を受けました。私たちは、すでに四十余年過ぎた今日でも、その頃の悲惨な記憶は身にしみていますし、また戦後生まれ
た者も当時の状況を何度も聞かされています。私たちは再びあのような惨禍を招く危険に身を置いてはいけないと願うと
ともに、島の次の世代(子孫)に、ぜひ島の美しい自然と人情の豊かな風土を守り伝えて欲しいと願わずにはいられません。
 「豊かな自然と平和な喜界島」− これが私たちの願いです。
 僭越ですが、ここに連名をもって、
 「OTHレーダー基地建設に反対したい」
 と考えている喜界島出身者の私たちの心情をお伝えし、適切に対処されるよう「お願い」申しあげます。
   昭和六十一年四月五日

 愛する郷土、喜界島の皆さま

       「OTHレーダー基地報道」を考える会
          世話人 三 島 淳 茂 (小野津)
           同  大 倉 克 大 (中 里)
           同  花 岡 正 美 (志戸桶)
           同  正 本 洋 子 (池 治)
           同  吉 野 健 二 (川 嶺)
           同  光 井 喜美子 (小野津)
           同  吉 野 治 子 (塩 道)
           同  芳 本 征 雄 (小野津)


WEB master 註
原文縦書き。WEB掲載に伴う文字の変更が一部あるが、
それ以外は句読点を含む一字一句、改行位置等も原文のままである。
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12年前のものでもあり、WEB掲載にあたっては割愛した。