一、明くれど閉ざす雲暗く  薄(すすき)かるかやそよがせて
     嵐はさっと吹き渡り  万馬いななく声高し

  二、銃(つつ)雷(いかずち)ととどろけば  太刀稲妻ときらめきつ
     天下分け目のたたかいは  今や開けぬ関ヶ原

  三、石田しきりに促せど  更に動かぬ島津勢
     占むる小池の陣営に  鉄甲堅くよろうなり

  四、名だたる敵の井伊本多  霧にまぎれて寄せ来るや
     我が晶巌ら待ち伏せて  縦横無尽にかけ散らす

  五、東軍威望の恃みあり  西軍恩義によりて立つ
     二十余万の総勢の  勝敗何れに決戦や

  六、戦い今やたけなわの  折しも醜(しこ)の小早川
     松尾山をかけくだり  刃(やいば)返すぞ恨めしき

  七、前に後ろに支えかね  大勢すでに崩るれど
     精鋭一千われひとり  猛虎負嵎(ふぐう)の威を振るう

  八、蹴立てて駒の行くところ  踏みしだかれぬ草もなく

     西軍ためにきおい来て  なびくや敵の旗の色

  九、家康いたくあらだちて  自ら雌雄を決せんと
     関東勢を打ちこぞり  雲霞の如く攻めかかる

 一〇、かかれ進めと維新公  耳をつんざく雄叫びに
     勇隼人の切先の  水もたまらぬ鋭さよ

 一一、払えば叉も寄せ来たり  寄すれば叉も切りまくり
     剛は鬼神を挫けども  我の寡勢を如何にせん

 一二、運命何れ生か死か  ここを先途と鞭ふるい
     奮迅敵の中堅に  活路(みち)を求めてかけ込ます

 一三、譜代恩顧の将卒ら  国家(くに)の存亡この時と
     鎬(しのぎ)をけずる鬨(とき)の声  天に轟き地にふるう

 一四、篠を束(つか)ねて降る雨に  横たう屍湧く血潮
     風なまぐさく吹き巻きて  修羅の巷のそれなれや

 一五、薙げど仆(たお)せど敵兵の  重なり来たる烏頭坂
     たばしる矢玉音凄く  危機は刻々迫るなり

 一六、骸も染みて猩々緋  御盾となりし豊久を
     見るや敵兵且つ勇み  群り寄する足速し

 一七、賜いし御旗ふりかざし  阿多長寿院駈け入りて
     兵庫入道最期ぞと  名乗る雄々しき老いの果て

 一八、欺かれたる悔しさに  息をもつかず忠吉ら
     轡(くつわ)並べて追い来しが  返す我が余威また猛し

 一九、牧田川添いひと筋に  行く行く敵をけちらして
     駒野峠の夜にまぎれ  伊勢路さしてぞおち給う

 二〇、献策遂に容れられず  六十余年の生涯に
     始めて不覚をとらしたる  公の無念や嗚呼如何に

 二一、興亡すべて夢なれど  敵に背(そびら)を見せざりし
     壮烈無比の薩摩武士  誉は永久に匂うなり

 二二、無心の蔓草今もなお  勇士の血潮に茂るらん
     仰げば月色縹渺(ひょうびょう)と  うたた往時のなつかしや
鹿児島県関係愛唱歌(2)
曽我兄弟の討入りをしのんで「曽我どんの傘焼き」行事
に歌われたものである。


1、  雲位にそびゆる富士が嶺の
   深雪(みゆき)は解けても解けやらで
   十有八年積もり来しうらみを晴らしし物語り

2、  そもそも曽我の兄弟(はらから)が
   幼き時の名を問えば 兄をば一万弟をば
   箱玉とこそは呼びにけり

3、  時しも九月の十三夜
   影くまなき庭の面 鳥だに父母あるものを
   なげくもげにこそ道理なれ

4、  箱根に在りし箱玉も
   曽我の五郎と名乗りつつ母の心にそむきしも
   此の世に おわさぬ父のため

5、 建久四年夏五月頼朝富士の裾野にて
   御狩(みかり)をなす由 伝え聞く
   二人の心や如何ならん

6、  さらでも暗きさみだれの
    しのつき乱すや山嵐 奥なる雨戸を開け
    みれば 祐経(すねつけ)こそは寝たりける

7、 十郎枕を蹴散らして祐経よく聞け
   よく聞けよ十有八年 われわれが
   忘るるひまなき父の仇

8、 返さんものぞと切りかかる
   切っ先するどき兄弟(はらから)が其の太刀
   音こそ年頃の うらみの義理をば晴らしける

9、 うらみを晴らしてやがてしも
   富士の裾野に来てみれば尾花が袖に
   散る露に いとど哀れを添えにけり

「赤穂義臣輪読会」は江戸時代元禄期の赤穂義士の討ち入りに因むもので有ります。

「曽我どんの傘焼き」は鎌倉時代の曽我兄弟が仇討ち(旧暦5月28日)に因むも
ので、鹿児島市内を流れる甲突川のほとりで櫓に古くなった傘を積み上げ、褌姿の
二才達が松明に見立てて火を付け、其の燃え上がる幻想的な炎の美しさに多くの
見物客が訪れる夏の風物詩となっています。

「妙円寺詣り」は、関ヶ原の合戦(旧暦9月14日)の最終場面で島津勢が
徳川家康の本陣を突っ切って鹿児島に帰還した際の苦闘を偲んで、鎧甲を身に
纏って鹿児島市から伊集院町の徳重神社まで歩いて其の苦労を体験する行事です。

鹿児島の三大行事と呼ばれて居るものは「曽我どんの傘焼き」
「妙円寺詣り」「赤補義臣輪読会」の三つで何れも古くから
行われて居る行事である。

加治木町の「初市」、     三月初旬頃。

高尾野町の「中の市」、   三月彼岸頃。

川辺町の「二日市」、     二月初旬頃。    

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序でに鹿児島の「三大市(いち)」を紹介します。

[鹿児島の三大行事]

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