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瀬戸内の慰霊碑・忠魂碑・招魂碑

阿木名
慰霊碑


古仁屋
富山丸慰霊塔
  大東亜戦争中、、約3700人の軍関係者や民間人を乗せ鹿児島から沖縄へ向け航行中であった徴用船「富山丸」が、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け徳之島の亀徳沖で沈没した。大量に積載していた燃料ドラム缶に火がつき辺り一面火の海と化し、大人から子供まで多くの犠牲者が出た。情報を聞きつけ、ここ古仁屋からも漁船等で徳之島沖まで救助に向かい、当時古仁屋に陸軍病院があったこともあり、多くの火傷を負った傷者が運び込まれた。古仁屋で亡くなられた方も大勢いたようで慰霊塔が建立され、毎年遺族等による供養祭が開催されている。阿伝で、たまたま女学生の時この救助作業に携わったというおばあちゃんの話を聞くことができたが、まさに地獄絵図、悲惨な状況であったらしい。安らかなる眠りを、合掌。



従軍慰霊碑
 昭和45年軍恩同志会により、高千穂神社入口に建立されています。「第二次大戦従軍記念」と彫られています。


慰霊塔
 上記慰霊碑のすぐ横に建立されています。軍と深い関わりのある瀬戸内町らしく大変立派な慰霊塔です。



手安
忠魂碑



久慈
忠魂碑


西古見
鎮魂之碑              


網野子
戦没者慰霊碑


節子
慰霊碑


準備中
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