加計呂麻島戦争遺跡 本文へジャンプ


加計呂麻島の戦跡



実久
旧日本軍宿舎跡



三浦
艦船用給水ダム
準備中


佐世保海軍施設部隊鎮魂碑
 地元の人の話では、佐世保海軍施設部隊が防空壕等の掘削任務にあたっていたが、昭和20年6月20日米グラマンの爆撃を受け、壕に避難していた全員が生き埋めになり死亡したとのこと。
 この時たまたま内地から来島していた隊員(指揮官?)の家族も爆弾の直撃を受け亡くなられたそうで、これらの方々の霊を鎮めるため鎮魂碑が佐世保海軍施設部隊名で建立されています。
 現在でも、毎年6月20日に生き残った方やその家族の方達により慰霊祭が執り行われている。

防空壕跡
 三浦には数多くの防空壕跡が残されています。10ヵ所くらいあるんじゃないでしょうか。
 しかし、そのほとんどが手入れされていないため土砂に埋もれたり、入口や経路が藪になっており観光客等が見つけるのはまず無理です。
 私は、たまたま地元集落の人がわざわざ案内して教えてくれたので見ることができました。
 また、いかにもハブが好みそうな場所ばかりなので、ハブに打たれる危険性があります!
 ハブには要注意です!!!

残念ながら物置になってます 海側入口は崩れて埋もれてます。 埋もれた側の前はすぐ海です



 この防空壕跡は道路のすぐ脇にありますが、藪になっているため気づかずに通り過ぎてしまうと思います。藪をかき分けると入口は右のようになっていますが、中は崩れて土砂で埋まっていました。

ここも穴があるとは分かりません 入口は土砂で埋まってます でも中はのぞくことができます
入口側から奥を撮影 奥から入口側を撮影



瀬相
戦闘指揮所跡
準備中


海軍慰霊碑

 慰霊碑建立の記念式典に関してはちょっとしたエピソードがあるようです。しかし、ここでは触れないことにします。人それぞれ考えや事情があるでしょうから。

 我々後世の人間にできることは日本国のために命を賭して戦って下さった先人に対し、感謝の意を捧げるとともに、その霊を慰めることは当然のことであり義務であると思います。



呑之浦
旧海軍第18震洋隊格納壕跡
準備中


島尾敏雄とミホ婦人が愛を語り合った岩場
 戦時中、震洋艇部隊の指揮官としてこの地に勤務していた島尾敏雄が、地元加計呂麻島のミホ婦人と夜になるとよくこの岩場で肩を寄せ合って語り合っていたと言われている場所です。

見張り用の洞穴
 上空の敵航空機から身を隠し見つからないように隠れるための穴で、人一人がやっと入れるくらいの狭い穴です。島尾夫妻が愛を語り合った岩場のすぐ近くにあります。



生間
施設部隊指揮官宿舎跡
 現在は個人のお住まいですので無断で立ち入らないようにしてください。住んでおられる方は有名な唄者の方ですが、若い頃都会に出て働いたが、島の良さを再認識して故郷忘れがたくUターンし、それ以来ずっとこの地に住まわれ、これら島の遺産を守るため奮闘し、その甲斐あってほぼ当時の原型を保ったまま残されています。他にもいくつか建物があったそうですが、白アリにやられてしまったということです。



渡連
東郷元帥上陸の地
準備中


待網崎砲台跡(大島海峡東入口
準備中




準備中



安脚場
弾薬格納庫

金子手崎防備衛所
準備中


探照灯台跡

弾薬庫跡
準備中



天水槽



実久慰霊碑                     忠魂碑



瀬武忠魂碑                     阿多地慰霊碑



押角忠魂碑                     



西阿室慰霊碑                 諸数戦没将士之碑



秋徳慰霊碑                     諸鈍慰霊碑