第23夜 蔵元さんと地焼酎を語る会


七八会場前
会場の「七八」。地元蔵元の看板が並ぶ。
    日 時:平成14年6月9日午後4時
    場 所:加治木町「七八」


  コセド酒店が主催する「蔵元さんと地焼酎を語る会」は今回で10回目を迎える。 小生は昨年夏行われた佐藤酒造さんの「焼酎を美味しく飲むセミナー」に参加し、焼酎蔵元の焼酎造りに対する情熱と我々ノンベーに対する真摯な姿勢に心打たれており、今回案内のFaxが届いた時には二つ返事で出席を申し出た。 案内によると今回は南九州のみならず、泡盛球磨焼酎を含めて24酒造所が参加し、150名のヨクロボが集うらしい。
  しかしながら殆どが料飲店さんの参加と言うことで、その業界には無知で小心者の小生は、電脳網界超有名人のAptiva野郎さんを誘い会場に乗り込むことにした。(^_^;)

  待ち合わせ場所の鹿児島駅に2時前に着いたため、駅周辺を散策した。 子供の頃は蒸気機関車の黒煙がたなびき、港からの人や物資の往来も激しく、運輸の中心地として活気に満ち溢れていた場所だったが、現在の寂れようは何だ!(-_-メ) 空き地とシャッターを下ろした店舗が目立ち、タクシーの運転手は所在なさそうに木陰の下でダベッていた。 やっぱりOOの一つ憶えのような埋め立てと南下政策一辺倒じゃなく、バランスの取れた県都開発が必要なんじゃないですかね? 須賀さん、赤崎さん!
試飲ブース
受付横にあった試飲ブース。ここで鯨飲始まる。
 
  久しぶり・・・本当に5年ぶりぐらい(^_^;)・・・に電車に乗るとあって、離島の子供のようにウキウキとした気分になった。 さらに盟友Aptiva野郎さんの顔を見たら、急激にビールを飲みたくなり、ホームで電車を待つ10分ぐらいの間に500ml缶ビールを空けてしまう。 これが後々の泥酔の誘因の一つになろうとは知るよしもなかった。(^_^;)

  午後2時39分鹿児島駅発普通電車は加治木に向けて走り出した。 小生は日豊線に乗るのは30数年ぶりなので海側の座席に座りたかったのだが、Aptiva野郎さんは磯庭園側の座席を確保する。 しかも猛烈に日が差し込む。 小生はブラインドを下げた方が・・・、なんて思ったのだが、目の前には美少女が本に夢中の様子。 Aptiva野郎さんも彼女も日差しを一向に意に介する様子がない。 仕方なく左手を日に焼かれながら桜島と錦江湾を遠巻きに眺めていた。 
  まこちよか車窓風景じゃっど! じゃっどん、アプさあ、ぬっかなかったな?(^_^;)
会場の様子
ぎっしり詰まった会場の様子。若い女性が目立つ。

  3時15分加治木着。 既に駅周辺には標準語らしき言語を操る人物が多数たむろしていた。 開宴は4時なのだが、その前に飲ませてくれるのではと、そのまま駅隣の「七八」に向かう。   受付は既に人でごった返しており、蔵元さんがこしらえた試飲ブースが待ち構えていた。 試飲となると目のない小生、コップ片手に5銘柄ほど貪り飲んでしまった。 コセドさんが取り引きする蔵、さすがに全部うんまかですな〜。(*^_^*) しかし、この野放図な貧乏性も泥酔の誘因になろうとは・・・。(^^ゞ)

  ここで西酒造よかにせ専務、同じく佐藤酒造よかにせ専務佐多宗二商店矢部さんマルダイさんを見付け挨拶したり話したりしていると、あっという間に開宴時間が近づいてきた。

焼酎のショケ
卓上のショケの数々。左下の紅豆腐は秀逸。
  会場内はやはり都会の料飲店の方が多いのであろう。 服装身のこなしなど、我々田舎者とは全く異質のセンスを感じる。(^_^;) しかも若い女性も多い。(*^_^*) 好きな蔵元さんのテーブルにそれぞれ着席するのであるが、我々はご不幸で来られなかった高良さんの名代を努める宝納酒店さんのグループに参加する。 結婚式場にもなるかと思われる巨大な会場には残席が全く無くなるほどの盛況である。

  コセドさんの開宴挨拶の後、名瀬市冨田酒造さんの講演があった。 が、なんと冨田さんは講演原稿を忘れてきたらしい。 南西諸島には隆起珊瑚礁で出来た喜界、沖永良部、与論があり、それらの島には猛毒蛇ハブは棲息していないのだが、このハブの存在が如何に島民の人格形成に影響を与えるか等ユーモアを交えて手短に話された。 何より卓上のご馳走を前に、長時間お預けを喰わない配慮に深く感銘を受けた。(^_^;)
焼酎販売盟友
主宰者コセドさんと宝納酒店若松さん。


  大阪から職員旅行を兼ねて総勢10名で来鹿された料飲店のご主人の乾杯でいよいよ本格的に飲ン方が始まった。\(^o^)/ 卓上には刺身や豚骨などの薩摩料理の他にも、沖縄の豆腐ように似た珍味「紅豆腐」「豚味噌」などのショケが並ぶ。

  宝納酒店はAptiva野郎さんの会社の近くにあり、ご主人の若松さんとも昵懇らしい。 しかし、若松さんは、よく焼酎を買いに来る人物が焼酎網界超有名人Aptiva野郎さんその人であるとは全く認識していないようである。 焼酎飲んごろの顔を包み隠さず公開している拙ホームページも時折ご覧になっておられるとのことであったが、灯台もと暗し!まあ、そんなもんなのでしょう。(^_^;)
佐多宗二商店矢部さん
今や焼酎界アイドル的存在、矢部さん。


  佐多宗二商店矢部さんが我々の所に来てほんの少しだけ話をしていった。 武州の某サイトでは彼のことを「彼女いない歴何年・・・(-ー;)」と確信していた等と極めて失礼なことを書いてあり、小生も若干賛意を示していたのだが・・・(^_^;)。 実情は全く逆で、行く先々でアイドルの如く若い娘にキャーキャー言われて引っ張りだこなのである。 我々とは殆ど話す間もなく、若いお嬢さん方ばかりと懇談されている。(-'-)

  それだけ若い人にも芋焼酎が浸透している証左であろうが、佐藤、西の両よかにせ専務及び矢部さん達がカリスマ蔵元として若い娘を引きつけている現実は、ひねくれた青年時代から焼酎を愛してきた根暗人間にとって隔世の感を禁じ得ない。(・_・)

新屋さん
静かに焼酎ファンの相手をされる新屋さん。

  我々と同じ列に雲海酒造新屋記念蔵新屋さんが見えたので、挨拶に伺った。 妙齢のお美しいご婦人であるため、こういうスチエーションは若い頃から超苦手なのである。 どぎまぎしながら秘剣師の話で会話のきっかけを作り、何とか警戒されずに打ち解けて頂いた。 愚息と同年の超優秀なご子息のお話などお聞きして、母親の暖かさと芯の強さが「紫尾」の柔らかく清冽な味わいに出ているのだろうと納得した次第である。

  Aptiva野郎さんと一緒に来たと告げると、是非お会いしたいとのことで、我々の席にお招きした。 やはりご婦人の間でもAptiva野郎さんの人気は絶大なのである。(^^) 主宰者のコセドさんは会場を回りながら、結構楽しみながら飲んでいた。 奥様も甲斐甲斐しく焼酎を注いで回っておられた。 聞けば新屋さんとコセドさんの奥様とはご友人とのことで、得も言われぬ焼酎縁の深さ感じる。(^_^;) 

谷口さん
「御神火」を前に御著書にサインを下さった谷口さん。

  伊豆大島の蔵元谷口酒造さんもご夫妻で参加されていた。 秘剣師よりユニークなお人柄を聞いていたので、御著書「一円大王」を求めて1階の受付に行くと既に会場でサイン会をやっていると言うではないか。 もう本が無いかもと狼狽しながら、会場内の谷口さんを探すと、若い女性に囲まれて著書へのサインに勤しんでいる所であった。 どうにか小生の分まではあったようである。 色々話をしたのだが、この時点で既にかなり酩酊しており、何を話したかは定かではない。 確かご先祖が鹿児島か否か等というピント外れたことを訊いたような・・・。(^^ゞ)

  ご持参した麦焼酎「御神火」を頂いたが、筋がピンと通って薫りコク共に申し分ない。 これは麦焼酎界を席巻している「いOちこ」、「二O堂」とは対極にある深みのある味わい旨さである。 原酒も飲ませて頂いた。 まこちうんまかど〜! 根底に流れる精神は芋も麦も変わらないことを改めて実感した。 しかし、原酒は効ききますな〜。(@_@)

薩摩酒造松下さんと小生
薩摩酒造明治蔵工場長松下さんと。もう顔を忘れま
せんと仰っていたが・・・。(-_-?)


  薩摩酒造明治蔵松下工場長が同研究所米元室長と共に飲んでいる所に乱入した。 松下さんとお会いするのは去年夏以来3回目なのだが、どうも小生のことを憶えていないようである。 色々経緯を話して朧気ながら若干は思い出したようである。 まあ不特定多数を相手にする立場、仕方ないか。(-'-)
  「さつま白波黒麹仕込み」が順調とのことで、何故だか大いに盛り上がる。 どうも薩摩酒造や本坊酒造には名状しがたい親近感を憶えるのである。 やはりルーツが加世田市津貫だからであろうか?(^^ゞ)
  ここには小生のお気に入りの一つ「さつま白波明治蔵」が置いてあった。 これは昔ながらの味わいで実にうんまかのである。(^^)
村尾さんとAptiva野郎さん
村尾さんとのツーショット。後継者がいないと嘆く
村尾さんに、「おいげぇん息子はどげんじゃろかい?」
と、悪魔の如く囁く。(^_^;)

  ご両人に、「こん焼酎をもっと売らんな。」と息巻いている所にAptiva野郎さんが村尾さんを連れて来た。 実はここら当たりから殆ど記憶喪失状態で、後日デジカメの映像を眺めてやっと思い出した次第である。
  この時秘剣師から電話が入った(これも翌日聞いた(^_^;)。 泥酔と周囲のざわめきのため殆ど聞き取れないし、幽体離脱の状態では殆ど会話も不可能であったのだろう。 電話を村尾さんに預けて、秘剣師と話をして頂いた。(^^ゞ) 秘剣師は大分感激していたようである。(^_^;)

  まあしかしよく飲み、よく語りました。 もっと沢山の蔵元さんと話をしたかったのだが、お湯割り至上主義のおんじょにとって、24銘柄をお湯割りでコップ1杯ずつ飲んだら・・・、生換算で約5合・・・小生にとって十分に致死量ですな。(@_@)
 
  4時に始まった飲ン方もあっという間に時間は過ぎ、終宴の7時になってしまった。
  Aptiva野郎さんと二人で乗った帰りの電車も鹿児島駅から先は一人になってしまった。 記憶が所々吹っ飛んでおり、まさしくまだら痴呆の状態ながら、西鹿児島駅で降りて加世田行きバスに乗る所などは比較的清明に記憶している。
  9時に自宅に帰り着き、国運を賭けたワールドカップサッカー日本vsロシアを観戦しながら崩落したらしい。 非国民呼ばわりされようとも、焼酎に生死を賭した一日であった。(^^ゞ)

  昨近の焼酎ブームを目の当たりに感じさせる熱気溢れる会合であったが、これがブームで終わらず、日本人の飲酒文化として定着することを願って止まない。

            いや〜、ほんのこて焼酎の縁ちよかどな〜!


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