中・高校教師用メールマガジン【連載】

■「共に学び高め合う生徒を育てる学級づくり」目次 (その1〜10)

1  はじめに〜わたしの「学級崩壊」体験から〜

2  学級づくりの基本的な考え方

3  まず何に目を向けるのか〜学級の座席に目を向けて〜

4  6つの柱 「班長選挙と班長による生活班の編成」(1)

5  6つの柱 「班長選挙と班長による生活班の編成」(2)

6  6つの柱 生活班を基盤にして行なう具体的な活動
      (「生活班を単位とした日直活動」「「帰りの会」の工夫」)

7  6つの柱 「班日誌の利用」(1)

8  6つの柱 「班日誌の利用」(2)

9  6つの柱 「生活班を単位とした・給食活動・作業活動」

10 6つの柱 「リーダー育成の場の設定」

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■「共に学び高め合う生徒を育てる学級づくり」(1)

            川端 成實(鹿児島市立西陵中学校)
            k-narumi@po.synapse.ne.jp

1 はじめに
 ・わたしの「学級崩壊」体験から

 今から13年前、私は今でいう学級崩壊を体験しました。
 それは、初任地である離島小規模校での新採3年を終えて、学年4学級の中規模校に赴任してきた年のことでした。前任の小規模校では、学年7名の生徒を2年3年と持ち上がり、子供たち一人一人と語り合う時間も十分とれたのに比べて、今年の担任となった2年生40名は大変な負担でした。

 新しく赴任してきたその学校。その中で具体的にどのようなことが学級で起ったか。
 授業のとりかかりが遅れる。授業中に私語がやまない。注意して一時的に静かになってもまた騒がしくなる。給食の準備ができない、片づけが遅れる。教室が散れる。窓ガラスが頻繁に割れる。掃除をしないし注意しても行動しない。けんかやトラブルが連続する。リーダーにいじめの対象にあうような弱い生徒が選出される。欠席や早退が増える。

 結局担任として、生徒に規律ある行動をさせることができなくなったのです。指示に従わない生徒の増加は、まじめに頑張ろうとする生徒にまで広がり、今度はその生徒への指導を試みると「自分たちだけではないじゃないか」という反論がかえってくる。また、学級のリーダーになるべき生徒も「まじめ」と揶揄されるのを嫌がるようになり、その力を失っていきました。担任として生徒から孤立した状態に陥ってしまったのでした。

 そしてそれは、学級経営だけでなく教科経営へも支障をきたすようになりました。2年生4学級、どの学級にいっても私語がやまない、指名させても質問しても「わかりません」がむなしく響く。ましてや、話合い活動などはできない。授業に参加する生徒が次第に減ってくる。「生徒一人一人を大切にする」とは、いかに担任が一人ひとりの生徒と直接語り込み、思いを伝えていくことでそれが実現できると考えていた自分。けれども、そうすればするほど離れていく子供たちの現実を目の当たりにして、為す術無く、ただ打ちひしがれて行くのみの毎日でした。

 自分がこれまで、それが大切だと思って取り組んできた教育活動のすべてが否定され、打ち消されていく。教師としての未熟さや指導力の無さを痛感させられました。2学期後半から子供たちとの溝がますます広がるの感じ、教室に行くのが億劫になりました。そして、何の打開策もなく3学期のスタート。おそらく心労からでしょう、腹部に激しい痛みを覚え「急性膵炎の直前」で2週間の緊急入院。復帰してからも、状況は変わるはずもなく暗澹たる気持ちで日々を送り、「自分はこの仕事には向いていないのではないか」と思いがつのるばかりでした。

 「一人ひとり人を大事にしていけば必ず子どもは応えてくれる」「教材研究を一生懸命やれば子どもは付いてくる」たくさんのアドバイスをいただくのですが、子供たちの心が離れていては言葉が通じません。
 3学期終了。校内人事では当然の如く他学年への希望。しかし、2年生からの持ち上がりの先生がいないということで、担任として3年の一クラスを持つことになったのでした。まさに手詰まりの状態での3年担任。

 そんな息詰まった状況を救ってくれたもの。それは、3年担任として赴任してきた同期のH先生との出逢いでした。そしてそれは同時に「共に学び高め合う生徒を育てる学級づくり」との出逢いだったのでした。

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■「共に学び高め合う生徒を育てる学級づくり」(2)

            川端 成實(鹿児島市立西陵中学校)
            k-narumi@po.synapse.ne.jp

 ◆学級づくりの基本的な考え方◆

 さて、そんな私自身が学び取り組んだこと。それは、学級づくりの基本的な考え方を変えることでした。
 それは、「一人一人を大切にする」ということの意味を問い直すことでした。一人一人を大切にすると言うことはどういうことでしょうか。「個性を伸ばす」「一人一人の良さを発揮させる」そのことが大切なことは論を待たないでしょう。では、そのためにどんな方法や手段があるのか。「生活の記録での対話を大切にする」「毎日一人一回声かけをする」「専門部を生かす」「一人一役で生かす」等々様々な方法があるでしょう。
 ところが、教師一人の力には限りがあります。ましてや、40人という生徒の一人一人に果たしてどれだけの関わりができるのか。さらには、教科を4クラス持てば160人という子供たちの一人一人を生かすとはどうすればいいのか。
 また、学級内では語り込むにも、子供たち同士の人間関係が非常に希薄になってきている中、なかなか他との関わりを持ちたがらない生徒が確実に増えてきている現実。専門部活動があっても、それは1年に2回変えるだけでリーダーを中心とした活動が機能しないこと。ひいては、子どもの力関係によって、面倒な役や係は弱いものに押しつける姿勢。人間関係で傷つくことを恐れ、学級内での新しい友達関係づくりに消極的な状態。友達関係を学級に求めるのではなく趣味趣向の合う部活動等に求め、学級としてまとまり意識に
欠ける実態等。
 その中で、果たしてどう切り込んでいくのか。さらに、対生徒との問題だけでなく現実的には次のような問題も複雑に絡んでいます。その問題とは、
^教師同士の横の連携が,組織を作ってあっても実質的に機能しない,対処療法に追われて断絶している状態があること。
それなのに
_車社会の到来で,教師同士が共同研究する態勢欠如していること。
また、
`新規採用や再配置教員の学校の教員比率の割合の高さから生じる学校運営上の問題
さらには
a地域の協力をもらえない,教師集団の努力を成果のみの観点からしか評価されないという問題等。
 そのような様々な要因から、一人一人の教師が心理的に孤立した状態に置かれている状態からくる問題も大きいのです。そして、そこから生じる心理的な不安な状態を飲み会などで一時的に紛らわし、ストレスを発散させることはできても現実は一向によくならない。
 こう考えてみれば、生徒一人一人も、教師一人一人も大変似通った境遇にあることが分かります。
 さて、そういった状態を打開していくための基本的な考え方。それが、「一人一人を大切にするためにこそ、その一人一人所属する学級や班という集団を大事にしていく」ということでした。言い換えれば「より良い学級環境の中により良い一人一人が育つ」ということです。
 「一人一人話したらいい子なのに、みんなの中にいれば……」ということをよく耳にします。私も実際それを経験しました。それは、私自身が「一人一人を大切にする」という言葉にとらわれて「教師対生徒」を1対1の構図でしかとらえることのできなかったことに起因していました。
 一人一人への対話と共に、子ども同士の横のつながりを太くし、そのつながりに教師が切り込んでいくこと。そこに、学級づくりの基本的な考え方を持っていきました。そして、その一つの手段として取り組んだのが「班活動を基盤とした学級づくり」だったのです。
 そこには、「一人一人大切にする」という言葉の意味を「だれが一人一人を大切にするのか」という発想の転換が生まれました。それは「教師が」という言葉に加えて「生徒が」という言葉が入るのだと言うことです。教師が大事にしても、生徒同士がお互いを大切にし合わなければ本当の意味で大切にしたことにはなりません。
 つまり,ここでお話しする「共に学び高め合う生徒を育てる学級づくり」における「班活動を基盤とした学級づくり」は、学級の生徒40人がお互いに「一人一人を大切にする」という考え方が根底にあるのです。