名瀬の史跡・文化財・石碑 本文へジャンプ
名瀬下方地区の史跡ギャラリー

下方地区

朝仁町:朝仁千年松  野口みずき記念碑   

赤 崎:村上春子顕彰碑  島育ちの碑        

小 宿:厳島神社  名越左源太居住跡   

里・福里:大山久義頌徳碑  尾崎の三本松  


朝仁町
朝仁の千年松





INFORMATION
場 所  朝仁町
  旧名瀬市で保存樹第1号に指定された琉球松です。画像ではよく分かりませんが、実に見事な枝ぶりです。


野口みずき記念碑






INFORMATION
場 所  名瀬運動公園
 準備中




赤崎
村上春子女子顕彰碑




INFORMATION
場 所 赤崎公園
準備中


島育ちの碑


小宿
厳島神社
 神社までは結構距離がありますが、境内から見渡せる景色は絶景です。



名越左源太居住跡
 薩摩藩のお家騒動(高崎崩れ、お由羅騒動)の責任をとらされ5年間に亘り奄美大島に流された薩摩藩の上流武士「なごやさげんた」の謫居跡です。「なごし」と読むのかと思っていたら「なごや」と読むのだそうです。地元の人にこの場所を訪ねた際3人の人に聞いたのですが、三人とも「なごし」と言ってました。地元ラジオ放送のアナウンサーも番組で「なごし」と言っていたので、恐らく大抵の人が「なごし」だと思っていると思います。
 名越左源太は流刑中に「南島雑話」を書き記したことで有名です。これは奄美の自然や文化・生活等について図解付き全5巻で構成された民族誌で昔の奄美の生活様式等を知る数少ない貴重な文献となっています。

里・福里
尾崎の三本松
 奄美市の保存樹第2号に指定されている三本の琉球松で、通称「尾崎の三本松」と呼ばれているようです。

 三本松の樹本に祠が祭られています。これは一体何の祠でしょうか?
     

大山久義頌徳碑
 スモモ育ての親「大山久義」の頌徳碑です。スモモと言えば、現在では大和村が有名ですが、実は奄美プラムの発祥の地はここ里集落で、この碑が建っている場所に二本の苗木が植えられ、それが奄美全土へと広がっていったようです。