宇検村の史跡・文化財・石碑 本文へジャンプ
宇検村の史跡ギャラリー

  湯湾:宇検村役場(高倉、保岡武久翁之像)  

  宇検:農村小唄の碑  辨財天石像  厳島神社  檀那墓  倉木崎海底遺跡       

  名柄:かんつめの碑  八幡神社 

  佐念:佐念モーヤ 

  平田:平田神社  ベルスーズ奄美の碑  肝付八郎兼命の墓    

  阿室:厳島神社  火の見やぐら  ミャー   

  屋鈍:屋鈍神社  共同墓地  三月石    

  湯湾岳:與湾大親墓石  二神降臨之碑  奄美岳大師御堂(南無大師遍照金剛)  湯湾岳公園の石碑    


湯湾
宇検村役場

保岡武久翁之像



宇検
農村小唄の碑



辨財天石像
準備中



厳島神社



檀那墓
準備中



倉木崎海底遺跡





名柄
かんつめ之碑
 昔、名柄の豪農の家に島唄の得意な女奴隷の「加弥津女」という美貌の女がいた。当時、名柄の山を越えた反対側の久慈には薩摩藩の役所があり、ここに現在の書記にあたる筆子の「岩加那」という青年がおり、三線が得意であった。ある日、岩加那が仕事で名柄のカンツメの主人の家を訪れた時、主人は酒宴を開き歓迎した。岩加那はお礼に三線を弾いて宴に興を添えたが、主人は村一番の歌い手であったカンツメを呼び出し、岩加那の伴奏で歌わせた。 これがきっかけで二人は恋仲になった。ちょうどその頃妻を病気で亡くした主人は美貌のカンツメに言い寄り、岩加那との仲を割こうとしたが無理だと知ると凄まじい折檻をカンツメに加えた。 将来を悲観した彼女は名柄の山で首を吊り自殺した。しかし、その後もこのあたりの人たちは、名柄の山で岩加那の伴奏で美声のカンツメが歌っている姿を度々見かけたという。そして二人が声を合わせて歌っていた唄がいつしか広まりはじめ、「加弥津女節」と呼ばれるようになったとか。
 この話は、あくまでも伝説であり、「加弥津女節」は「草なぎ節」にこの伝説をあてはめた一種の替え歌であるらしい。



  「カンツメ伝説」は、当時の薩摩
 藩の横暴きわまりない圧政に対
 する批判を直接口にできない島
 民の形を変えた批判、ささやかな
 る抵抗という見方が一般的です。

 
  「かんつめの碑」には、今でも花
 が添えられ線香も供えられていま
 す。奥にはかんつめ節の碑とその
 碑文も新たに建立されています。


八幡神社





佐念
佐念モーヤ
準備中





平田
平田神社
「ひらた」ではなく「へだ」と読みます。



ベルスーズ奄美の碑



肝付八郎兼命の墓





阿室
厳島神社
準備中



火の見やぐら



みゃー





屋鈍
屋鈍神社
準備中



共同墓地



三月石
準備中





湯湾岳
與湾大親墓石
準備中

奄美岳大師御堂(南無大師遍照金剛)


二神降臨之碑
準備中

その他

湯湾岳公園の石碑