大和村の史跡・文化財・石碑 本文へジャンプ
大和村の史跡ギャラリー

  オキナワウラジロガシ  和家の石垣  蛸(トホ)ゴモリ  キビの里  直川智生誕の地  開とみ神社

  高千穂神社  群倉(ぼれぐら)  鰹漁業発祥の地  月見公園   峰山公園  津名久焼窯跡 

 ヒエン浜遺跡  旧役場跡地石碑  田畑佐文仁隧道跡  山の神  名音寺(神社)  



蛸(トホ)ゴモリ




津名久焼窯跡




開とみ神社
準備中




高千穂神社
準備中




旧役場跡地石碑

 昔の役場は現在恩勝郵便局の
ある所にあったようです。



オキナワウラジロガシ
準備中




和家の石垣
 「にぎけ」と読みます。奄美には一字姓が多く何て読むのかな?と迷う姓も少なくありません。




直川智(すなおかわち)生誕の地




群倉(ぼれぐら)
準備中




キビの里
磯平パーク内にあります。




月見公園





峰山公園
準備中




ヒエン浜遺跡
準備中




名音寺(神社)
準備中




田畑佐文仁隧道跡
 奄美フォレストポリスの中にあります。ここは昔大和村と宇検村の中間地点として旅人等の休憩地・宿場として栄えた所で、20数戸の人家があったようです。その福元集落の跡(石垣等)が現在でも残っています。
 龍郷町の「浦の干拓」で知られる田畑佐文仁翁が藩政期福元盆地の新田開発のため開削した用水路跡が現在でも山の中に残っており、隧道は2ヵ所ありますが、画像のようにとても280年も前のものとは思えない程しっかりした形で残っています。
 翁は43歳の時にこの福元盆地の開墾に着手し、まず通水用の水路及び隧道を構築したが、水路の高さが新開田地より低かったため失敗に終わったようである。この失敗を教訓にして、この福元用水路に着手したが、その成否は定かではないとのこと。
 用水路は延長500m、水路幅1mでその中に約15mと20mの二つの隧道があり、ノミで削った跡などが残っており、江戸時代中期(8代将軍吉宗の頃)水路勾配千分の一という緻密な測量技能は当時の土木技能を知る貴重な遺産となっている。
 



山の神
 田畑佐文仁翁が福元用水路の構築工事を行った際やはり犠牲者が出たようで、その霊を慰めるため用水路近くの丘の上に祠を建て祀ったのがこの「山の神」である。
 広義では「山を守り支配する神」で、新年明けて初めて山で仕事をする際「山始め」の儀式を執り行っている所は多い。私が以前勤務していた山の中に事務所等がある会社でも、山の神にお参りして一年間の無病息災・安全を祈願をしてから仕事始めとなっていた。



鰹漁業発祥の地
準備中