2001年9月の編集日記


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奄美パークオープン!  2001.9.30

やっと文字がうまく入るようになりました。やれやれ。さて、本日午後2時より奄美パークが一般公開されました。午前中は招待客のセレモニーがあり、須賀知事はじめ、さまざまな方が島内外からみえました。祝賀会で笠利の婦人会の方々が作った手作りの一品がどれもおいしかったです.。くわりの酢とゴマと味噌の甘辛あえ、かぼちゃの餅天ぷら、いものツルの煮物、などなど、どこかの料理店よりよっぽどおいしかったです。今日は、無料公開とあってたくさんのかたが奄美パークにきてまして、スタッフの方は、昨日の大雨とうってかわった天気にほっとひといき!でしょうね。、


田中一村記念美術館 2001.9.29
今日は台風が近づいていて一日雨模様。夜、久留さんが経営している「新穂花」で、ラジオ沖縄の懇親会があり、琉球エアコミューターのかたとか龍郷町の村山さんとか、市役所の山田さんとかといっしょに楽しくお話をさせていただきました。ホライゾンのことも取材いただき、あれこれしゃべってきました。ちょっと脈絡なくしゃべりすぎ?かも。
ま、それはいいとして、明日も雨でしょうね。せっかくの奄美パークオープンがたいへんですねえ。実は昨日、マスコミの内見会があり、全体をみてきました。一村の絵は常時45点展示で、年4回総入れ替えで計150数点をみせていくらしいです。高倉をイメージした3棟の常設展示室に年代別に絵がおさまっていました。保存のためらしいのですが、う〜ん、全体を見たければ年4回は、観に行かなくてはなりません。いい考えです。みなさんみにいきましょうね。
記念展示として一村が撮影した写真が50点飾られていました。つい最近、晩年の一村を撮った田村周一さんが遺品の筆入れの底からネガをみつけられたそうで、奄美の風景やデッサンに参考にしたと思われるソテツの成長過程写真などが興味深かったです。写真で観察したものもありそうです。カメラはオリンパスでした。いろいろ発見があるものですね。ミュージアムショップでは、一村の2002年カレンダー(NHK出版)を販売していました。これ、今回のホライゾンプレゼントにしましょうね。

手広のサーファー  2001.9.28

今日は曇りのち雨。30日の奄美パークオープンが心配です。奄美パークの帰り、手広海岸でポットに入れたコーヒーを飲んでから帰っていました。波が結構あって、こういう日はサーファーはジットしていられないのでしょうね。ホライゾンでも特集したことがありますが、サーファーには私たちとは違った5官が備わっているのですね。
実は昨日、かずみで鶏飯をいただきました。地鶏と胸肉使い、ササミはだしがでないから使わないンヨねえとのこと。福沢三味線店のお姉さまといっしょに料理の話を聞きました。
 パパイヤは青いものは皮を剥いて千切りにして油いためや、刺身のつまに。また4分割して薄塩浸けしたもの干して、砂糖味醂酢をまぜたものに浸けると甘辛のパパイヤ浸けになるようです。つけものはほとんどやったことがないのでいい勉強になりましたよ。
それから、ドラゴンフルーツ。あれ、見た目はばらの花のようですが、中身は味がなくておいしいとは思えませんでしたね。なんでしょうね。


瀬戸内特産かまぼこ  2001.9.26


またまた瀬戸内町へ行ってきました。役場で打ち合わせだったのですが、帰りに新製品やら、うまいもんを見つけようとAコープへ寄ってきました。で、お目当ては実はかまぼこ。瀬戸内町は、かまぼこが地元の人には人気。東江かまぼこ、上原かまぼこ、池田かまぼことなんと3社のかまぼこが売っていました。奄美でいうかまぼことは、魚のすり身を油で揚げたもので、よく見る半月型のものではありません。これらは、アカウルメなどの白身の魚を練ったもの。揚げたてをアツアツでたべるのが、おいしいのですが、この時間(5時)では難しいですよね。東江かまぼこのものを一パック買ってきました。今夜の肴のつまみにと思っていたのですが、ちょっとばかりつまみ食い!こういったところが、瀬戸内帰りの楽しみなのです。魔法瓶に入れたお湯でインスタントコーヒーを飲み、雨の瀬戸内道をカセットテープ(映画音楽)を聞きながら帰ってきました。なんと贅沢な旅!

ハブをいっぱい見てきました!!  2001.9.25

今日は、瀬戸内町にある東京大学医科学研究所の服部正策さんにお会いしてきました。この方、昭和28年生なのですが、虫大好き少年がそのまま大人になったって言う感じで、なんか、とても面白い人なのです。頭がいい人ってなんであんなにしゃべりが早いのでしょうね。つぎつぎ言葉がでるっていうか、とても頭が追いつきません。彼は、奄美ではハブの研究をしていることで有名。人間がはぶにかまれないようにするにはどうしたらよいか、また噛まれたらどうすればよいかなどの研究をしているようです。ハブは怖くないといってました。面白かったのが、奄美と徳之島と沖縄のハブの性格の違い。奄美はおっとり、徳之島はすぐ燃えるタイプ、沖縄は奄美よりもっとおっとり型なんですって。何故なのかはわかりませんが、祖先は同じ東南アジアなのらしいのですが、島々のなかで個体差がでてきたそうです。研究棟で、赤ハブ、金ハブ、銀ハブ、黒ハブなどをみてきました。はあ、いろいろ色彩差もあるんですねえ。もっと詳しくはホライゾン「夢追い人」をご覧下さいませ。わたしがふるえたせいか、デジカメはみんなぶれていました!!残念。



 

偶数は中国文化で、奇数は大和文化なの?  2001.9.24

今日、「もうひとつの旬 食」の執筆者、久留さんと電話で話していたのですが、今回の「三献(さんごん)」のなかで、お椀に入れる具の数は、お祝いだから、わたしが奇数だといったんですね。そうしたら、彼女、そうそう、これは薩摩など北からの大和文化の流れで、中国文化ではお祝いは2とか4とか偶数なのだと教えてくれたんですね。で、沖縄には三献の食文化はないらしいのです。奄美は食文化においても中国や琉球と大和の間にあることが、判明!面白いですねえ。彼女の原稿が楽しみです。
 夜9時15分頃、できたというので、ゆっくりビールなんか飲んで、10時に彼女の店「新穂花(あらほばな)」に行ったら、なんと、もう、シャッターがしまっていました。シマッター!!。仕方ないので、すごすご帰ってきました。
 明日は、ハブ博士に会ってきます。今日も、区切り線を使ってみました。何が出るか楽しみですね。そうそう、以前紹介した、冒険スキーヤーの和田さんから、ハガキが来てまして、9月27(木)夜9時からBS朝日で、彼が北極圏最高峰の滑降に成功した全記録が、「BS朝日スペシャル」として2時間放映されるそうです。お暇な人は是非見てあげてくださいませ。そういえば、今、どこにいるんだろう。日本は縦断したのでしたっけ?・






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ホームページ更新しました!  2001.9.23

長い間の懸案だったホームページがだぶっていることと、浜田太の写真をいれるという重大かつ、難しい問題にやっと、「とりあえず!」というかたちですが、やってみました。気が付きましたか??お粗末な所もありますが、ちょっとの間、ご勘弁ください。
 だって、Mさんてば、「あんまり頑張りすぎなんでないの?とりあえずを出しておいたほうがいいよ」なんて、アドバイスするものだから。へへへ、実は予告ばかりで全然やってなかったのよ。写真の取り込みはなんとかわかるようにはなり、色調整も少しずつわかりだしてきました。でも、マックで取り込んで、ウィンドーズに移すので、色が変わるのですね。winのほうは、色がこゆくでますね。マックでかなり、色を薄くしないといけません。でもマックで見る人には迫力ない色が出ているかも。その辺がやはり難しいですね。
 そのうち、太君の独り言コーナーをつくろうと企画してます。みなさん、是非応援してくださいませ。今日は、ぐずついた天気でした。半日パソコンとにらめっこ!なので、気晴らしかさぼりか、またまた映画館へこどもを連れて行ってきました。今日は「ラッシュアワー2」。頭使わずにおもしろかったです。

ジェフのこと。  2001.9.21

写真集「村−ネリヤカナヤの人々」で、太君がジェフリー.S.アイリッシュさんと対談していますが、彼、ものすごく日本語が上手。ボキャブラリーが乏しい日本人は、恥ずかしいほどです。彼、満で40才なんです。カリフォルニア生まれなのですが、小さい頃ドイツにもいたので、ドイツ語も堪能のバイリンガル。アメリカや日本の大学院でも学んでいるのですが、甑島で漁師をやったり、現在は鹿児島の川辺町で、ダイオキシンを発生させない設備会社の営業とか室長をやっているのです。南日本新聞開発センターの紹介で知り合ったのですが、私どももいろいろ学びましたね。独身がもったいないほどのいい男性なのですが、「暇人」を自称しながら、農業やら、執筆活動やら、テレビ出演やら、いろいろ楽しくやっているみたい。こういう生き方もあるんだなあ、なんて大きな体を見上げてしまいました。ほんとにデカイのです。190センチはあるのでは?足も巨人みたいにデカイ!でも心はとてもとてもやさしいのです。
こんど、川辺にいくからね!。かずみでバイバイした翌日、彼は与論島の友達、田畑テッチャンに会いに早朝の船に乗ったようです。またねえ!!そうそう、彼、MBCのテレビスタッフと今回のショチョガマと平瀬マンカイ、秋名と人々を取材しに来島してくれたのです。放送日時がわかり次第、お知らせします。今月中ではあります。では、また。

秋名アラセツ、ショチョガマの祈り  2001.9.20

今日は八月初丙、アラセツの日です。未明、秋名のショチョガマ行事に何年ぶりかで行ってきました。
ティダが上り始める前に、ヨラメラの掛け声とともに山の中腹につくられたショチョガマを壊すのです。これに乗れるのは男性だけ、特別に初潮前の女の子は許されます。この年生まれた赤ちゃんが乗ると
丈夫に育つそうです。、飲み屋から寝ないで駆けつけた人、県外からの研究者などなど、いっぱいのギャラリーがいました。
 でも、今年は、雨で地盤が緩んでいたせいか、ヨラメラの掛け声がクライマックスを迎える前に、みんなの「ああ〜!!」という声とともに、あっという間に右に倒れていきました。ちょっと早すぎましたよねえ。 右に倒れれば、豊作が約束されると言われます。
 何年か前。どうやっても倒れなかったときがあり、ある女性カメラマンが乗ったからだとか、丈夫に作りすぎたとかささやかれたそうです。準備する方は大変ですね。反対に夕方には、女性中心の平瀬マンカイという行事があります。どちらも稲霊(にゃーだま)を招き、五穀豊穣を祈り、感謝するもの。
 平瀬マンカイは海のかなたのネリヤカナヤから、ショチョガマは天のオボツカグラから神を招きます。ショチョガマの方が早い時期にに始まったようです。マンカイとは招き意味とか。岩に乗ったノロたちが手招きして神を招くからでしょうか。こちらは、今年は仕事と重なっていて、無理かも。だから、とりあえず、ショチョガマの写真を入れますね。ん〜〜、でも眠い〜!瞼が落ちてくる〜。

西阿室のテンテン踊り  2001.9.18

嘉入から西あむろに回って、豊年祭をみてきました。豊年祭と敬老の日を兼ねていて、お年よりを喜ばそうと青年団の人たちは、一生懸命です。見ていても、ほんと、頑張ってるねと思いました。この日はスコールが何度もあり、シバヤと呼ばれる椎の葉で作った天然のテントのうえに、仕方なくあの青色のビニールシートをはり、一時土砂降りとなったため、公民館やら学校から椅子を調達。それが相撲のまわしをしたまま、トラックにのって走り回るのですから、午後零時の始まりの前から、既にショータイムのようなものでした。ほんと、楽しかったよ!奉納相撲などのあと、テンテン踊りの開始です。金久と里に分かれ、踊りや花を競うらしく、婦人会のみなさんが大活躍。テンテンテンナシツルクテン、テンテンテンナと言う声に納得。これは諸鈍シバヤの影響なのですね。なんでテンテンなのかというと、これは花の名前だそうです。テンテンという花を掲げて。にぎやかに競い踊る。西アムロの豊年祭は雨に見舞われながらも、例年のように盛大におこなわれたようでした。
 ここはまた、絶景の夕日で有名ですよね。新民謡に燦然と輝く名作、「加計呂麻慕情」を産んだ地なのです。「あ〜あ〜あ、加計呂麻島に陽は落ちて、唄が聞こえる歌が聞こえるいきゅんにゃ加那〜〜」

嘉入の滝と天然塩  2001.9.17

 実は昨日はカケロマの嘉入にいる本田さんを取材にいってきたのです。本田さんは、「加計呂麻の塩」を作っている人です。一昨日に塩は炊き上がってしまって、出かけたときには、なにもありませんでしたけれど、いろいろ面白いお話を聞いてきました。本田さんは、本当は鰹の一本釣り漁師、でも塩の専売制度が解除されたのを機会に塩つくりを思いついたそうです。
 「もうけられないかな」という気もちだったようです。ほとんど手作業で50時間もかけてつくる天然塩は、中粒。強火でガンガン炊き上げるとなぜか細かい塩になり、じっくり仕上げると中粒になるようです。炊き上げず、全くの天日干しで乾燥させて作る塩もありました。味見したら、塩辛いだけでなく、なにか味がします。これがミネラル分だそう。ただの工業的につくられる塩化ナトリュウムとは違うのです。
これはやはり、汗水たらさないと、結晶になってくれないのかもしれませんね。奄美では昔、マシュタキヤドリという塩炊き小屋が各地にあったそうです。その辺、ホライゾンで詳しく説明してもらいましょうね。泉さん、よろしく!!そうそう、国頭(沖エラブ)の塩つくりもユニークですよ。乞うご期待!!)
 嘉入は今、加計呂麻島で一番の過疎だそうですが、かれの試みは周囲の人にもきっといい刺激を与えているでしょう。夜、塩炊きをしていると、近所のお年よりが「とぎ」をしにくるそうです。とぎとは、夜なべ仕事に周りで話たりしてつきあうこと。あまり、話し掛けられても困るそうですが、みんな昔のとぎを思い出して懐かしんでいるのでしょうね。
 途中で見かけた嘉入の滝は、滝といえるほど迫力はなく、かわいらしかったです。頑張れ、本田さん!続きは明日。

和瀬トンネル・マングースandイノシシ?   2001.9.16    

今日、和瀬トンネルを抜けて瀬戸内方面へいってきました。和瀬トンネルは、瀬戸内へいくこれでもかというほど曲がりくねった道を名瀬市から、一気に住用村まで抜けられる快適なトンネルです。実際には和瀬トンネルと新?トンネルと城(グスク)トンネルが連結していました。は〜、ゆったりしていて、トンネル内も明るく、なによりいいのはトンネル内ではラジオが良く聞こえるということ。でたとたん、雑音が混じると言うのはどうしてなんでしょう。ラジオ難聴区をなるべくはやくなくしてほしいですね。これは災害時の時に特にかんじることではあります。でね、浜田の話によると、いままで使っていた旧道にマングースのワナを仕掛けた人がいて、これが結構捕獲できるというのですね。だって、車が通らなくなったのですもの。車があるときはいままで仕掛けられていなかったし、ね。今日は、いっぱい取材してきたのですが、小出しに出し惜しみ!だって、もったいないもの。
 朝5時半出発しまして夕方6時ころかえってきましたが、あんまり疲れてないのは昨日イノシシのスープを食べたせいかも!圧力釜でガンガンやったら結構柔らかくなってですね。冬瓜と一緒に塩味だけでおいしくいただきました。やはり、野生のパワーか!!これで目の下のクマが消えたらわたくし、イノシシパワーの信奉者になります!

テレビ局の取材  2001.9.14

最近テレビ局の取材が続いています。丹波さんのもそうだし、今来ているのは、奄美の祭りや追い込み漁などのハイビジョン撮影、それから今月末にオープンする奄美パークにからんでテレビのほかに雑誌なども来出しました。奄美の知名度がまたまたアップしていくのでしょうね。いいことです。そうして、旅客運賃なども安くなってくれれば、もっと人はやってくるでしょうね。奄美に注目している人はいろいろです。自然や島唄、民俗…。だれかがいっていましたが、貴重な自然が残っているという事は、人間や民俗も同じことがいえると。島のなかで、動物も植物も人間も閉じ込められ熟成していったのではないでしょうか。自然と文化、奄美が世界自然遺産登録を申請するのならば、自然と文化の複合遺産なのではないかと誰かがいってましたが、そうかもしれません。ただし、官主導民間無視では困ります。写真はイメージです。奄美ではないのですが奄美のようで、不思議ですね。

朝夕のスコール  2001.9.13

最近、朝晩ものすごいスコールおそわれています。我が家では、クーラーをかけて寝ないので、窓を開けて寝てるのですが(奄美ではクーラーが当たり前になっているようです。ま、お年の方には敬遠されていますが、私はお年ではないのですが寝苦しくてもクーラーに慣れたくありませんねえ。)、この朝晩のスコールにはびっくり!!だってうかうか寝ていられないのだもの。雨が入ってくるではありませんか。これって結構寝不足になるのですよね。
 で、昼間や夕方にも勿論あるわけで、洗濯物、特に布団を干しているときが一番の困りもの。なんのために干しているか分からなくなりますよね。スコールと聞くと、なんか熱帯のジャングルにいるみたいですけど、やはりここは亜熱帯、奄美なのですよ!。
 ふふふ、気がつきました?今日、編集日記の表紙を変えました。太君はこの写真集の発行を機会に、太くんの独り言コーナー(仮題)を設置したいといってます。というより、みなさんのご要望にお応えしてというところでしょうか。写真を添付して、雑感を書き込むことから始めようと思います。でも、予告ばかり書いているとまた叱られそうですが。ね!!


海辺で聞くラジオ   2001.9.12

今日は一日中、アメリカのおぞましい同時多発テロのことばかりが気になって仕方ありません。娘は東ではなく西海岸にいるはずなのですが、連絡が来ず、やきもきしています。このホームページをみたら連絡してください。
 さて、夜、太くんがなにやら田舎へ電話をかけていたのですが、漁師のおじさん、食後はラジオをもって海辺で聞くのが楽しみなのだそうです。なんかいいですねえ。昔ながらの追い込み漁をしているのですが、潮騒の音と香りのなかで聞くラジオ、う〜ん。素晴らしい。円の浜は昔の美しい姿ではありませんが、やはりこの浜を残してよかったと思っている人が多いと思います。浜を残すにあたってはまあ、いろいろもめたようですけどけど、反対した人もあとあとになってわかるかもしれませんネ。やはり海は偉大です。あの音、あの香り。生物のふるさとが海。私はなぜか、山より海が好き。でもって太君はどちらかというと山が好きなようです。山は山への感性がないと入れないような気がしますね。
わ、なぜか写真が大荒れ!明日までには直しますので今日はこれでごめんなさい。では、明日!

シナシナのパッションでも美味!   2001.9.11

皆さん、パッションフルーツをご存知ですか。奄美では別名時計草と呼ばれています。年2回、夏と冬に収穫されるのですが、やはり夏が旬。細かい種がいっぱいあるのですが快い風味と酸味と甘味でわたくし、魅了されております。
 で、ですね、このパッションが表面が美しい艶々のルビー色のときだけが賞味期限ではないということをお伝えしたかったのです。知ってましたか?シナシナになっても中身はほとんど変わらず、いえ、かえって甘味が増すというのです。
 いいですねえ。人間もそうなのでしょうか。そうなりたいすねえ。このパッション、都会ではとても高価ですが、奄美でもバカスカ食べられるほど安いものではありません。ん、長浜のおき商店では安いでした。ちょっと色形はまずいけど、家庭で食べる分には十分。このエキスで、ジュースやアイスクリーム、最近ではあの「うこんきびすストレート」などにも使われているのですね。奄美では最近とてもポピュラーな果樹となりました。でもやはり地元で食べる旬の味が一番よ。いもーれ奄美。

日本初確認!!倉崎海岸にいるジョーフィッシュと珍種エビ
  2001.9.10

 アゴアマダイ科の魚のジョーフィッシュは、オスが口のなかで卵を育てるので、有名です。卵が孵化するまで何も食べない涙ぐましい子育てをするのですが、この孵化の瞬間を沖縄のダイバーが撮ってから、ダイビング雑誌の表紙を飾ったりして超人気になりました。奄美でも瀬戸内町大島海峡などで、生息が確認されていましたが、北部の倉崎海岸にいるとはだれも知らなかったようです。あ、何故なのかは聞き忘れてしまいましたけど!
 でね、その瞬間をとらえたのも面白いのだけれど、その写真を撮ろうとして頭付近にもぞもぞしている共生中のエビを見つけ撮影した人がいます。そしてそれが日本では見たことがない珍種であることがわかりました。撮影したのは、ネイティブシー奄美インストラクターの多羅尾拓也さん。奄美にきてまだ半年とのことですが、世界中を潜っているすご〜い人みたいですよ。ちょっと写真が暗かったです、すいません!。
 彼、息を殺してドキドキしながら撮影したそうです。発見者しか味わえない醍醐味でしょうね。
 そういえば、水中写真専門の楚山さんもよく倉崎で撮影していたなあ。色々撮影できるっていつも何時間も潜っていました。やはり、奄美は面白い所なんですねえ!これからも珍種、新種あっとおどろく種がでてくるでしょうねえ。今日はその写真ではなくて、多羅尾さんの顔写真にいたしました。

運動会シーズン始まる  2001.9.9.

奄美では既に高校の運動会が始まっています。今日も奄美高校であり、お弁当をつくってお昼時に行ってきました。午後一番で行われる恒例の奄高名物「八月踊り」。みんな、花が咲いたように色とりどりの浴衣とハッピをきて、炎天下のもとで奄美の踊りを踊るのです。昔は、旧暦の八月に収穫が終わり、この時期にはみんなで唄って踊ってたのしんだそうです。昨日、坪山さんがたたいていたチヂンという太鼓が間に入り、指笛が臨場感を増し(これが入るとなんかドキドキしてきちゃうのは私だけでしょうか)、それ以外ほとんどがアカペラ?の唄だけです。身振りは手踊りと足の変化だけ。曲によっていろいろちがうのですが、昔の人は良く考えたなあと思いますよね。高校生のお姉さま方は若い色気が漂い、このまま、大人になってくれれば奄美の伝統も受け継がれるだろうなあと思いました。手舞も見事な子もいましたねえ。この奄美高校の伝統は戦後21年市民運動会で披露したのがはじまり、なんと56年も受け継がれているのですね。今後も残るよき伝統でしょう。

よっ!いい男!!   2001.9.8

今日の大浜の夕日はよかったですよね。でも、昨日のがもっとよかったって。そりゃ、やはり、毎日ここで見ている人が一番分かるでしょうね。先日、「遠くへいきたい」と言う番組で、丹波義隆さんが来島しまいたが、今日はご家族で台風にもめげず、来島されました。またまた、大浜へいったのですが、なんと、今日は酒井多賀志さんというオルガン奏者と坪山豊うじの島唄のジョイントコンサートだったのですね。わたしは、坪山さんの「あやはぶら節」が大好きですね。あの抒情と哀愁は素晴らしいです。オルガンとの競演には実はあまり興味がありませんが、乗り合わせた船ってな感じでデジカメのおさめてしまいました。それに、坪山さんの一番弟子で、最近めっきりいい男になった貴島康夫くんも出演。フラッシュが届いているかはわかりませんが、新聞記者 に混じって写真を撮りましたよ。ははは。坪山さんもめっきり、年とった感じがしますねえ。太鼓たたいているのが坪山さん、貴島君はさすが、彼女連れて帰っていきました。唄者ってもてるのよねえ。昔から。

森田さ〜ん!  2001.9.8

奄美の島唄を次々にCD化しているジャバラレコードの森田さん。今、月一の割りで奄美がよいしているんですって。もともとはロックに始まり、ビートルズの影響で世界中の民俗音楽に惹かれ音楽関係のライターをしているうち、奄美の島唄にであったそうです。世界のなかでも歌遊びが残っている島唄にビックリ!ついには自分でレーベルをたちあげてしまったのです。ところがこの人、飄々としていて、なんでもあり!っていうことであまり形式に拘らず、歌者の好きなように録音しているのですねえ。民俗音楽では当たり前らしいのですが、大手レコードではなかなかできないことなんですね。今、9枚?出しているのかな。「ジャバラは蛇腹、アコーディオンのあれです。調子のいい時は大きく膨らみ、駄目な時は縮こまっていればいいやってなかんじですよね。ひゃひゃひゃ…」ごもっとも。そんな肩肘張らないところが、あなたの生き方そのものですね。次の企画、期待してます!!かずみにて。

さよなら 夏の日  2001.9.6

夕方、雨の中を車にのっていたのですが、ラジオから流れる「さよなら夏の日〜!いまでもあの時の君を忘れないよ〜」と歌う山下達朗の歌に感動してしまいました。みなさんも夏の思い出があるでしょ。台風16号がきているせいもあってもう、真夏と言う感じではなく、秋の雰囲気が感じられますよね。(関係ないけど、達朗山下は、高校の一年先輩です。私たちの校舎新築のため、廃校寸前の新宿高校の旧校舎を間借りしていたのですが、静まり返った講堂に彼の歌とギターがよく流れていたことを思い出します。なっつかしいなあ!!)
 ところで、テレビではバナナ専門家の方が、「島バナナは最高!」といってましたね、そうなんです。とっても甘くてでも甘酸っぱい本当にフルーティーな感じ!このビューティフルなおいしさを味わいたい方は是非奄美へお越し下さい。
やはり、島のものは島でたべるのが一番です!!。




一村の絵が焼酎のラベルに!  2001.9.5.

今月30日にオープンする奄美パークには田中一村記念美術館と奄美の郷の二つの館があります。奄美の郷は群島の自然と文化の情報発信基地で、美術館はご存知一村の絵を年代別に3棟の高倉を模した展示棟でみることができます。県が3億もの大枚をはたいて、購入したものだそうです。奄美パークではおそらくいままでにないお土産も皆さん考えていることでしょう。以前、一村の絵をモチーフにした紬の小物のことは聞きましたが、この夏には町田酒造がだした一村の絵入りの「奄美の杜」が超人気だったようです。もともとは都会出荷のためらしかったのですが、やはり地元でうるのがいいですよね。先日はじめてみました。箱があると贈答にもいいでしょうね。どんどんのんでもらいたいですね。わが社は、今、都会からの取材のみなさんには、これをお土産にしています。あ、森さん、ゴメン!ビンもすててはもったいないくらいですよねえ。ということで宣伝でした。

サトウキビ畑で思ったこと。  2001.9.3

今日、笠利方面へ行く道すがら、サトウキビ畑をみて、ざわわざわわの歌をなんとなく口ずさんでいました。サトウキビには奄美の悲しい藩に搾取された歴史がいっぱい詰まっています。でも、夏の晴天のもと、そんな歴史を知らなければあま〜い黒糖の香りを思い浮かべるのでしょうね。そういえば、先日、ティダネシア塾で沖縄大学の教授が面白いことをいってました。今、人気の「ちゅらさん」の舞台、小浜島のこと。この島もサトウキビが主な産業なのだそうですが、住民が高齢化し、生産がだんだん落ち込んでいたそうです。そこでだれのアイディアか知りませんが、インターネットで援農隊を募集したそうです。もちろん賃金はただ。ところがそれなのに北海道などから自費で手伝いに来る人があとを絶たず、きびの生産性がまた向上しているというのです。む〜。賃金はただでも、仕事を終えてサンシンやら歌やらを楽しみ、島のじいちゃん、ばあちゃんの話を楽しみにしてくる人たちなのだそうです。世の中、おもしろいですねえ。もちつ、もたれつのさわやかな関係ですね。奄美ではこんな考えできないものでしょうか。実情は同じようなものだとは思うのですが。の

送り盆と八月踊り  2001.9.2

今日はお盆の最後の日、送り盆でした。龍郷町円のお墓は、山の斜面にあります。夕方から雨がスコールのように降り、この送り盆が心配されましたが、滞りなく終わり、ほっとしましたね。7時頃から、集落の真中、ガジュマルがある広場で八月踊りが始まりました。男性はすでにしたたか酔ってしまっているおっちゃんがいましたが、やはり女性はき然としてリードしていましたね。かーっこい〜い!って感じでした。地から湧きあがるようなちぢんの音が過ぎ行く夏を惜しむように聞こえましたが、唄って踊れてちぢんとたたける人は集落のリーダー的存在らしいです。八月踊りは、難しいですよね。単調にみえて、これが難しい!。手と足だけで唄によって様々に手踊りが違うのですよね。だんだんテンポは速くなるし、クライマックスがまた興奮状態でなんか、エロティックなのですよねえ。あなたも、いかが?(ゆ)

旧盆がはじまりました。 2001.9.1

昨日、旧歴のお盆がはじまりました。奄美ではほとんどが旧暦でやっています。名瀬市の大熊と徳の島のどこかが新盆でやっているようです。お墓はどこも先祖を迎えるのでいっぱい。さすが夕方からが多かったようですが、混み合うので昼にむかえてくるひともいるようですね。
 お盆でたべる豚と野菜の炊き込みが私は大好き。どうして年方のひとの煮物はおいしいのでしょうか。むむむ。なかなかあの味が出せないのですよね。
 またまた、シネマパニックで映画を見てしまいました。今年のなつは昨日で5本目。「ジェらシックパーク」でした、時間が2時間と普通より少なかったのが不満でしたが、前回よりも面白かったですよね。次は猿の惑星かな。やはり想像力を掻きたてられるものがおもしろいですよね。3本立ての昔の映画も大好きでしたよ。臨月でも大きなおなかを小さな椅子の押し込め、かなり際どいやつもみてました。これ、娘に遺伝したかな。