2001年8月の編集日記


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森さんの紅白歌合戦  2001.8.29

今日、以前鹿児島NHKにいた森アナウンサーが5ヶ月の息子さんと奥さんを連れて奄美にやってきました。彼、新人の時代、はじめてインタビューしたのが浜田太くんだったのです。とちりとちりインタビューしてくれたのが縁で、とても仲良くさせてもらってます。才色兼備の奥さんと電撃結婚、NHK大阪と奥さんのいる東京をいったりきたり。頑張ってね。でもって、彼の目標は紅白歌合戦の司会だとか。本当かどうかわかりませんけれど、とても楽しい大浜海岸のバーベキューでした。ありがとう、ニライカナイ大浜の元冶さん。みなさんも、シーサイドのバーベキューは大浜を利用しよう。
毎日違う夕日と、月夜に潮騒の音、なんともたまりません。あ〜、ここは亜熱帯奄美なのです。(ゆ)

泳ぐイソギンチャク 2001.8.28 

うわ〜!!これ、何だと思います??ははは、海中の花といわれるイソギンチャクなのです。じつはこれ,奄美で撮影されたせかいでも珍しいもの。アフリカ西海岸にいるものとおなじものがこの奄美でもいたのです。本土のものと見た目は違うのに、内臓が同じという貴重な結果がでたそうで、ほんと不思議奄美です。無気味な宇宙の物体と言う感じですよね。触手一本から体全体を再生できるというのですから、さらに驚きます。奄美には不思議がいっぱい。もっともっと面白い発見もこれからあるでしょう。撮影者は楚山勇さんでした・ではまた。(ゆ)






こほっ  こほっ  こほっ 2001.8.27

明日、ラジオ体操にいくため、早く寝ようとしていたら、かすかに聞こえる声がします。「こほっ、 こほっ、こほっ」
さあ、なんの声でしょう。ネコではないし、カエルではないし…。おそらくリュウキュウコノハズクだと思うのですよ。ここは市街地なのですが、隣りのお家が立派な庭をもっていらして、このリュウキュウコノハズクやら、カエルやら、ときにはカラスなどがやってきています。リュウキュウコノハズクは奄美では一般的なふくろうで、体長20センチほどのとてもかわいらしいふくろうです。何年か前、こどもの夏休みの宿題に夜の奄美の森の生物探検をしたことがあります。本茶峠から、奄美自然観察の森あたりを走ったのですが、この鳥のほかにルリカケスやアカショウビンなども、夜の暗闇のなかで、眠っていました。こんなに近くに貴重な野生の鳥たちの生態をみられるのに驚きましたね。驚かせないように、ゆっくり静かに走りました。夏の終わりの思い出ですね。あ〜。今年の暑い夏も終わりに近づいているんですね。
日が短くなってきているのが分かります。(ゆ)

村田実男さんのコンサート  2001.8.25

明日は、奄美新民謡の父、村田実男さんの思い出コンサートがあります。ずっと前から気になっていたのです。行きたいんです。本当は行きたいのです。教会では連日、その練習の歌声でしょうか。さわやかな声が聞こえていました。セントラル楽器のチケットは完売らしいです。えええ、そうでしょうそうでしょう。実行委員長は、4月に市役所を退職になった文(かざり)さん。実は村田さんが亡くなって、18年?くらいだったですか。はじめてのメモリアルコンサートらしいです。
 村田さんは、戦後、奄美がアメリカの統治下にあった時代、「本茶峠」「名瀬セレナーデ」「思い出の喜界島」
「夜明舟」など、島唄と違った誰でも口ずさめる歌をつくり、アコウディオン片手にうたっていたそうです。そうそう、クラシックがとても上手だったとか。赤土文化といわれた時代、歌や演劇、詩や論文などさまざまな文化が、本土を思いながら小さな島のなかで、沸騰するように興ったといいます。
 人々のこころにともし火をつけた村田さん。体がとても大きな人で、スクーターが小さくみえたのを覚えていると太くんは、いってます。ちょっとだけでもいこう。明日は、どうしてもでなければならない飲み会があるのですが、ちょっと抜け出して、雰囲気だけでもみてこよう。今、蘇る、奄美の熱き想い!その時代に居合わせることが出来たならばなあ。(ゆ)


カケロマ島の活性化  2001.8.24

明日、はティダネシア塾の第二回目の演習日です。なぜか、わたしめが、第二班の班長になってしまっているため、明日までに、奄美のどこかの町村の町興しの課題を考えておくという宿題をこなさなければなりません。昨日夜、急きょ、名瀬にいる4人が集合、わたしの独断でカケロマ島にスポットをあててはと提案したところ、ほぼ全員の快諾がえられたため、具体的な話し合いを6時から9時まで、市役所4階で行いました。だって、5人のうち、3人が市役所の職員だったのですもの。あ、それとわがスタジオは、紬の衣桁がけ撮影のため、話し合いのスペースがとれないほど混雑を極めているからなのです。
 高齢化と産業創出、自然環境の保護、これが大まかな問題点ですが、面白かったのは、空からカケロマを見る遊覧ツアーや、海水の利用、カケロマクルージングツアー、民謡酒場、請百合を利用した化粧品、本格ラム酒の製造、などなど。実行するのは大変でしょうが、いろいろ考えるのもいい勉強ですよね。みなさんは、どう思われますか。(ゆ)

南の島の交通渋滞  2001.8.22

 早いもので、もう8月下旬となってしまいました。今年の夏は、なにかをやったという充実感にいまだ浸れません。なんか、自分に納得ができてないのです。やっぱり、夏風邪をひいてしまい、思考能力が夏の暑さの上にまたまた重なり、ひどい状態だったからでしょうか。むむ、言い訳だなあ。
 さて、午後、名瀬を出たのですが、夕方、6時すぎ、龍郷から市内にもどってこようとして、交通渋滞にかかってしまいました。都会並みの交通渋滞があるなんて、島外の人には信じられないでしょうが、鳩浜あたりから、かなりひどいのですよね。文化センターで大きな催し物等がある場合、もっとひどいのです。笠利、龍郷からわんさかわんさか車が押し寄せて、歩いた方が速いほどです。山越に大きな夕日が沈むのを追いながらみながら、「今日もつつがなくカエル」のカエル像を佐大熊で迎え、やれやれ、伊津部町の旧道を通って帰ってきました。夕日に向かって車を走らせるのもなかなかいいものですが、それにしても車に乗っていると右手がやけに焼けるのよねえ。(ゆ)

台風11号過ぎ行く  2001.8.20

今日未明からいよいよ台風らしくなってきました。でも、あまり雨が降らないね。それに、それほどの風でもないし。なんて思っていました。ここは、名瀬、それも市内に入っているので北部や南部、あるいは海沿いはやはりたいへんだったでしょう。8時40分ころ、名瀬港にいってみると、満潮から一時間たっているにもかかわらず、岸壁と潮位がほぼ同じくらいになっているのです。びっくり。ここに風や波がきたら、ほんとうに大変ですよね。先月から潮位がかなり上がってきていたそうで、これは大きな潮流が南の海でできているためらしいです。いろいろなことが重なっているので、まあ、これくらいの接近でよかったです。直撃だったら被害がかなり出たでしょうね。サンゴの白化がふせげたのではないかと、これが良かった点ですね。台風によって海のなかをかき回してくれるので、水温が下がったでしょう。やれやれ。やはり自然に無駄はないのですね。(ゆ)

パッションフルーツの原種  2001.8.18

我が家の小さな庭にあまり見かけない植物が黄色い花を咲かせていて道行く人が不思議そうにみてゆきます。お隣りの郡山眼科さんはいつもきれいなお花をいっぱい咲かせていて、それはそれは見事なのですが、此花は見かけたことがありません。実はこの花、奄美でも特産品になっているパッションフルーツの原種だそうです。瀬戸内町で樹木医、設計園芸をやっている前田さんのプレゼントなのです。隣りのソテツも蘇って今、花壇のなかは結構はなやかです。手入れも大してしないのに、こうして人を楽しませてくれる花は素晴らしいですね。

台風がやってくる    2001.8.17

今年は5月ころにはや台風一号の気配がしたのですが、本番の夏にはやって来ず、鹿児島湾ではサンゴの白化現象が98年のときよりもひどくなりそうだと、新聞に出ていました。奄美でもそれらしい傾向はあったようですので心配でした。奄美海洋展示館の興(おき)さんにきいたら、リーフのなかはそうだが、外側ではまだ白化は表れていない様子。リーフ内は前回で壊滅状態でしたから仕方ありません。明日奄美を強風域にするという超大型の台風がやってきてほしいですね。押し寄せる波が海を攪拌してくれて、サンゴも熱く湯のようなプールから解放されるというもの。やはり自然現象はこないとこないだけの被害がどこかにでるのですね。勿論恵の雨も降らし、農作物にも適当な雨を与えてくれればいいのですが。風だけの風台風、土石流がでるほどの大雨でも困りますが。(ゆ)

倉崎海岸の幻想的な美しさ  2001.8.15  

龍郷町にある倉崎海岸の海の色は、海が深かったり、浅かったりするためブルーがグラデーションでとても幻想的。昨日行ってきました。以前、テトラマリンというホテルがあって、ホライゾンでも広告を出していただいたり、いろいろお世話になっておりました。去年急に東京本社が危なくなったため、奄美を引き上げたのですが、ほとんどこのホテルそのままを引き継いだのがネイティブシーというやはりダイビング主体の会社です。ここのパンフを作るため。出かけたのですが、間近に見る倉崎海岸は雄大で美しかったですネエ。近くでウィンドサーフィンもやっていました。昨日は結構風がありましたね。この手のスポーツにはいいかもね。台風がやってきてくれないので、またまたサンゴが白化しているそうです。オニヒトデの大量発生といい、奄美の海は今、大変です。この美しさをいつまでも堪能したいですね。(ゆ)

徳浜にいってきました。2001.8.13

内地では盆入りにあたる13日、カケロマ島徳浜にいってきました。この浜は寅さん映画でもロケがあった護岸もない浜で、ちょっと曇りだったけど、昔ながらの奄美の風情が実感できるいい時間が流れていました。実はホライゾンで塩作りに挑戦するため、出かけていったのです。生憎朝方はずっと雨。でも、向こうについたころには雨も止み始めました。沖合から、自然の海水をくみ出してそれを天然木で36時間炊き上げるというもの。ニライカナイ物産というところに出かけたのですが、ここでは三段階法により、海水を煮詰めていました。徳浜の塩分濃度は3.2度。これ、濃度計で測ったのですよ。薪はネコ担ぎで運び、薪に火を興し、徐々に沸騰してくる海水から出で来る湯気にあたりながら、風邪が治らないかなあなどと真剣に思っていました。鼻炎にはいいでしょうね。塩が固まりだしたのを掬いだし、乾燥させて出来上がり。こういえば簡単なのですが、昔は海水を運ぶのが大変だったでしょうね。いまでは、機械でやっていますから、お金はかかるけど簡単になりました。この塩、最近では宝島始め、沖縄などがブームをおこしつつあるようです。奄美でもこのカケロマで2件、徳の島でも一件、奄美北部で一件、与論で一件商品化しているところがあります。
もう少し、取材しますね。(ゆ)

うこんきび酢のストレートタイプがおいしいぞ!

先日、全国的にサトウキビ酢が発ガン性予防に効果があると新聞をにぎわせました。カケロマのきび酢メーカーは電話におおわらわだったようです。これが島おこしにつながれば、いいのにねえ。と思っておりましたが、このストレートタイプが旨いのなんのって。奄美のパッションフルーツ果汁を入れ、蜂蜜もいれているそうですが、さっぱり感と体によさそう感がたまりませんねえ。毎日、汗をかいたら、これでのむのが楽しみになりました。これ、まだ、市販はされていないのです。そろそろ、出そうかなという所かな。一リットル600円の紙パックにしようと思っているそうですが、是非一度飲んでください。なんちゃって宣伝しているみたいですが、いいかもよ。せとうち町のヘルシーネットワークが売り出します。「うこんきび酢ストレートタイプ」をお試しアレ。(ゆ)

夏風をひいてしまいました。  2001.8.12

 暑い中、あちこち行っているうち、疲れとクーラーでどうやら風邪をひいてしまったようです。だるくてだるくて、眠くなってしまいます。明日は、塩作りの取材でカケロマ島に行かなくてならないというのに!やはり、クーラーはだめです。まず、のどをやられてしまいました。人間、やはり、暑い時は汗をかかなくてはなりませんね。
 明日の塩作りは徳浜。泉さんご家族といっしょです。塩の照り返しでしょうか。スキー焼けと同じようにかなり、焼けるそうです。やばいよ!。今年の夏は熱中症でかなりの人が倒れているとか。倒れないように、みなさん、頑張りましょう。そういえば、ADSL?でしたっけ。入ったのですが、いいようで、面倒なようで複雑です。では、また。(ゆ)

都会は茹だるような暑さです。  2001.8.6

しばらく日記を書いていないと開き方を忘れる所でした。あぶないあぶない!!毎日やっているからこそ、車もこなせるのであって、わたしなどメカに弱いからすぐ忘れてしまいそうです。
 昨日、鹿児島は36.5度だったとか。今年の夏の最高です。信じられない!実は昨日、「千と千尋の神隠し」を鹿児島東宝で見ていました。ご存知宮崎駿さんの映画です。朝一番に観に行きましたが、8時半には既に長蛇の列でした。子供の分だけ前売り券を買ってあったのです。この映画、大人の前売りから無くなったそうです。うん、なんか、どろどろした部分がいっぱいあってまあまあ面白かったです。こういううとこどもには叱られますが。
 実は息子の水泳の県体会に出かけていてその翌日が自由行動だったものですから。うん。でね、そのうち新聞に出してくれると思うんですけど、児童水泳(小学生)のフリーリレーで、伊津部スイミングが県第一位になったんですよ〜。女子は県第二位!うれしいというより、ビックリでしたねえ。だって県なんですもん。もっと速い子はいっぱいいるのに、4人の呼吸があったんでしょうか。うれしい思い出でした。我が息子が頑張っている姿には感動!親ばかです。
 鹿児島は前日から灰が降り、散水車で道路に水を撒いていましたが、かごんまの人は大変ですがねえ。夏と冬では灰が舞ってくる方向が違うようですね。目を痛める人も多いと聞きました。西郷さんもあの大きな目には桜島の灰がはいったのではないでしょうか。天文館の雑踏は絶える事無く、続きます。
 そうそう、きょうの発見、飛行機で奄美空港に降り立とうとするとき、海にサメのようなものがずっと同じ方向についてくるんですね。前列の女の子がおとうさんに、「サメがついてくる」といってました。あれ、きっと飛行機の影ですよね。へえ〜、そうなんだとうれしくなった私でした。では、また、明日!(ゆ)

続ホライゾン14号2001.8.1

今日、食の担当の久留さんと打ち合わせをいたしまして、黒糖料理をやめて、三献(さんごん)料理に変更するよう、お願いしました。これは、浜田ふっとクンの提案。冬号においては実は昔からやりたかったテーマでした。久留さんは、「新穂花(あらほばな)」という薬膳郷土料理店経営者でありますが、民俗学を修めた民俗研究家でもあるため、うってつけのテーマだとのこと。20年も前から、三献は調べていたそうです。
 三献とは、奄美ではおなじみの正月などお祝いの席で食べる料理。昔は高膳にのせていただいたそうです。いまでは、高膳で頂く人はごく少数でしょう。一献かたむけるとはいうのに、三献はききませんが、六献はあるといってました。この食の文化の比較は久留さんならではでしょう。面白くなりそうです。乞う、ご期待!
 また、11月23日は、本場奄美大島紬組合100周年記念行事があります。この100年に一回という年のため、紬特集第二弾として、明治から、大正あたり、組合の設立あたりの状況、地球印にいたるエピソードを重村斗志乃利さんに、執筆していただこうということに急遽決めました。
 ですから、夕日特集は残念ながら、見開き2ページだけになってしまいました。残念!でも、次回もへ〜ってな感じで、面白い特集が目白押しですよ。人物にもスポットをあてますね。歴史に埋もれてしまった人やものを、浮かび上がらせるのも、ホライゾンの使命と考えております。では、そんなこんなで。また、取材に出かけま〜す。(ゆ)

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