2001年10月の編集日記


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還暦になった佐竹さん 10.31

「さねんばな」という雑誌をつくっていた(今は休刊しているため)佐竹京子さんが、還暦を迎え、友人たちを集めてお祝いの会を催しました。とても気持ちのよい会でしたよ。佐竹京子は福島県出身なのですが、何故か暖かい奄美に憧れ25歳で単身来島。恋も失恋も結婚も離婚すらこの地で経験、波乱万丈の人生のなか、常に自分の思いを追い求めてきました。
 会は、晴れのお祝いの会は子供出産のときしかやっていないというので自分で声をかけて皆が集まったのですが、ハレの日にこれからの自分を励まそうとしているんだと思います。よくやってきたよね、佐竹さん。わたしではとても乗り越えられない人生です。髪を真っ白にしながら、でもこれからの自分を楽しみたいような明るいあなたの笑顔はとてもうつくしかったです。男性陣に冷やかされながら、女性陣に囲まれながらあ〜人徳なのよねと反省していたわたしでした。
 新民謡を歌う人、詩を朗読する人、手品をする人、おいしいワインを飲みながら、時はあっという間に過ぎていきました。素敵なバラの花を一本、ワイン瓶に入れてもらってきました。

リュウキュウ松 10.29

奄美に多く自生している松にリュウキュウ松があります。今、地元木材素材で注目を浴びているやつです。奄美パークでも屋根の骨組み付近に多く登用、昨日いったマングローブパークにも色々活用されていました。そうそう、先日行った古仁屋中学校の新築校舎にも多様されていました。左が校舎内、右はマングローブパーク内の休憩施設のテーブル。リュウキュウマツは奄美のいたるところでみられる松。昔から造船や建築資材に使われていたとか。根をはるので民家付近では大変だと思いますが、者は使い様なのですね。ガジュマルだってすごい根の張り方ですよねえ。あれは、妖樹といってケンムンが棲むばかりではなく、森のギャングといわれるほど、絞め殺しの木というそうじゃありませんか。でも、木のぬくもりは好きです。こんな校舎で勉強できる生徒は幸せですよねえ。

マングローブパーク 10.28

今日は、朝から奄美パークとマングローブパークへいってきました。奄美パークはまだまだ人がいっぱいでしたね。受付へ行ったら、知り合いの職員が今日は宮崎館長が見えてますよとおっしゃるとおり、あの薄グリーンの二部式着物を着られた宮崎さんが舞台で北高のブラスバンドの生徒と打ち合わせをしていました。う^ん、もしかしたらあの着物が宮崎さんの制服なのかなあ。奄美の郷は島口で語る昔話が人気のようでした。おじいちゃん人形が語るケンムンばなしや、火鉢のなかが紙芝居のようなアニメになっているものに子供より大人が喜んでいました。故郷を出た人たちが帰省してきて懐かしがっていましたし、話題がいろいろ出て奄美もいろいろあっていいなあと改めて思ったのではないでしょうか。 午後からマングローブパークへ行きました。館内で知識を得て、モノレールで展望台へ。これが夏休みには子供の列ができたそうです。あっという間なのですがねえ。帰りは歩いて降りてきました。館内のシアターでは上からだけではなく、水面下のマングローブが見えてよかったのですが、あんなに透き通ってたっけ?
 ま、いずれにせよ、奄美のマングローブは日本で2番目に大きくオヒルギ、メヒルギの群生地としては最北端になります。日本一は沖縄の西表島。あのイリオモテヤマネコがいるところ。島々のことを知ろうと思ったら、島の成り立ちを知ると大変面白いことがわかります。
 沖縄も奄美も昔は中国大陸の一部だったと、みなさん、ご存知でしたか。これがわかると、この島に固有種が多く存在していることに納得!なのです。大和村にある野生生物保護センターでも書いてありましたが、奄美は約100万年前に島として孤立し亜熱帯湿潤気候のなかで独自の進化をしてきたというわけ。1000万年前は中国と陸橋だったのですよお。150万年前に屋久島を隔てるトカラ海峡ができたので同じ鹿児島県ではありますが、生物相は全く違うのです。ここ、ほんと大事です。奄美の面白さはこの島の成り立ちにあり!です。

ユタ神の阿世知さん。 10.26

すみません。実はパソコンが故障していて、今日やっと直してもらって書き込みができます。
25日は旧の9月9日で、朝、龍郷の安木屋場で、海と山の神に祈り、家内安泰などを願うユタ神さまのお祭りがあるというので、初めて観に行きました。いままでも行きたくても行けなかったのは、神がかりを怖れたから。なんてね。ウソのような本当の話です。ユタ神とは奄美のいっぱんの人々の悩みなどを見てくれる神様たちで、名瀬の阿世知さんが親ユタとのこと。このかた、とても気さくな人で実は一本釣りの漁師さんでもあるのです。体力の限界ということで、山でのお祈りは最後、海へはまた来年もくるそうです。私は個人的な時間の都合で海の神を招くあたりを拝見しただけ。「あまり、マスコミがいると神様がおりてこんちょ!」と阿世知さんがいったとか。そう、みんな、ばしゃばしゃとっていましたねえ。そういう私もそのひとり。ある若いユタ神さんは、「あ!う!ん」と顔を背けていました。集中できないですものね。ごめんなさい。午後はカケロマ諸鈍で、諸鈍シバヤがあったそうです。


「徳の塩」  10.23

 徳之島でも以前は塩は自家用につくっていたようです。幕末の資料によると、徳之島町の山や花徳などで塩つくりで販売をしている人もいたとか。伊仙町にあるミヤドバルは洞窟のようなところですが、昔(あれ、いつだったかしら古代かもしれません。)塩つくりをしていた現場らしいです。これ、伊仙町歴史民俗資料館の義先生に聞いた話。また、天城町朝間にある塩田発祥地碑をみると、明治11年、土佐の塩田を学んできた人がいるようです。
 どれが土佐式なのかはわかりませんでしたが、この付近で塩つくりをしている川口さんは、おとうさんの代に塩つくりをしていたようです。昔は海岸近くに塩田のようなものがあったのですが、専売制導入でおじゃん。彼は沖縄に視察しに行き、海水濃度を高くする方法を考案したとのことですが、実はこの建物がヒミツの基地。この中は、竹を逆さ釣りしてあって、海水を循環させながら塩分濃度を上げているのです。うわ^、面白いですよ。奄美で初めてみました。そして、屋根でまた循環させて天日干ししながら、20度くらいの濃度にし、これを平釜でたきあげるとのこと。
 このかた、このほかに、建設業、ホテル経営、さとうきびつくり、黒糖つくりもしているので、すごいですねえと奥さんにいったら、「結局、一つでは食べていけないんですよねえ」と可愛い笑顔でいわれました。そっかあ〜。みんな、がんばっているんですよね。川口さんは父親の後姿を思い出し、最近になって始めた塩つくりだそうですが、評判ですよ。!!お土産に頂いた塩と黒砂糖はすこしずつお裾分けしながらかえりましたよ。ありがとうございました!!


徳之島で見た!10.22

今日は徳之島へ急きょ行ってきました。おりしも、昨日いえ、今日未明、伊仙町で激しい選挙戦があったばかりのあの徳之島へです。ま、選挙には全然関係ない取材でしたが。実は、あまぎ食品さんでつくっている「徳の塩」の取材でした。ま、その辺はおいおい述べるとして、面白いものからお見せしましょう。「バス停以外でも止まります。」というバス。ははあ、これはほんとに奄美なのですね。
 で、次には右のモスク風建築。これ、何だと思います?はあ、これは天城町の役場なのです。それも、かなりの高台にあって、まちを見下ろしております。これを造った元町長の寿さんは、いまでもトライアスロンに参加して頑張っています。あ、ヨロンマラソンでもお見かけしましたが、あまり、皆さん、お声を掛けていなかったみたい。今は昔なのですね。尚子ロードも見てきました。来年2月にまた徳之島へ来るそうです。なんか、自慢そうに空港のかたが言っているのを聞きました。つづく。

21世紀、奄美の明日を拓くリレーシンポジュウム 10.20

昨日、アイアイ広場で奄美群島振興開発特別措置法延長に対して、上記の会が開かれました。主催は「奄美の明日を拓く群島民の会」。奄美の自然を考える会の重田弘雄さんが、専門の貝やカニの生息環境が非常に悪化、個体数が激減している状況を話し、元大島高校の名物校長の藤山萬太さんが、奄美にもっと将来の進路に結びつくような総合学科の新設および、大学の設置など訴え、環境ネットワーク会長の薗博明さんが、奄振の延長反対を宣言、これを受けて、商工会議所専務理事の前田信一さんが、、いままでのような土建中心ではなく、産業育成するための構築を目指した奄振の延長を呼びかけました。それぞれの人たちがそれぞれの立場で述べ、とても面白く拝聴してきました。
 私も考える所は同じ。ただ、最後に大津さんがいったように、毎回同じように中央陳情しても、今の法律では、ソフト部門に大きく援助するわけにはいかないといわれるだけ。そこで、同会は今回を突破口として法律改訂にまで漕ぎ着けようとの目論見があるようです。これしかないと私も思っていました。
 ただ、今回の参加者が非常に少ないのは気になる所です。この辺が沖縄の人たちと全然違う所なのでしょうね。誰かがやってくれる、こう思っているうちは奄美のアイデンティティーは煮詰まらないでしょうね。わたしたち、ホライゾンが目指すものとこの方たちがめざすものは同じなのに、やはり、よこの繋がりもなかなか得られません。あ、重田先生にはお世話になってます。事務局長の関さん、今、ティダネシア塾でいっしょですね。
 この、リレートーキングは今月末東京であるそうですが、是非、詳細を聞きたいものです。最後に鹿児島のからもじあ交流会の理事長は「あなたたちは、鹿児島県大島郡島民として生きていくのか、奄美民族として生きていくのか」と問い詰めていましたが、そのへん、問い詰め方が甘いのが奄美なのかもしれません。来月、わたしも奄振の会議が東京であります。いっぱい文句はありますが、有効にしゃべるにはどうすればよいか、模索中です。

奄美のパイナップル 10.18

台風が去っていって、奄美南部のサトウキビはかなり、打撃を受けたようです。自然との戦いである農業は本当に大変です。でも、この農業こそ、輸入大国日本が求められているのですよね。
 先日、太くんが、瀬戸内阿鉄で生産されたパイナップルを買ってきてくれました。まあ、ちょっと小型で自家製らしいのですが、以前はかなり大々的にやっていた土地なので、年配の人はいまだにつくっているのでしょう。あま〜い香りが部屋中に広がり、とても素敵でしたよ。昭和30年代は徳之島山にも大きな缶詰工場があったとか。沖縄が復帰したので、衰退したものと思います。歴史ですね。
 今年は奄美のバナナが大豊作、あれ、絶対、都会に売り込めますよね。でも値段がちょっと高すぎるかなあ。八百屋さんの店先には島バナナが、房をいっぱい蓄えてつるさがっています。東南アジアの市場風景みたいです。いい感じ!


大型台風21号が去っていった。  10.17

今朝は、市役所の台風の警報で始まりました。お昼頃に奄美諸島北部が暴風域に入り、夕方6時が再接近とのこと。で、初めて台風の写真をまともに撮ろうと思ったわけです。一時すぎに、むかったのは、小湊海岸。着く前に風は非常に激しく、軽自動車の私の車など風で飛ばされそうでした。岸壁近くは潮の飛沫と砂が激しくあたり、やばい!!と本当に思いましたね。必死で休憩棟の柱にしがみつき、何カットか撮りましたがデジカメでは、この一カットがやっと。あまり迫力がないですが、やっぱり、シャッタースピードが遅いので、風雨のなかで構えているのは、非常にたいへんでした。風雨が激しく、カメラに雨風が当たるんですよね、カメラが使い物にならなくなる前に、風の合間をぬいながら、走って車に戻りましたが、我ながら無謀でしたねえ。ジーパンは、雨と砂でびっしょり、座席シートも濡れてしまいましたよ。
それから、長浜港へも行きました。う〜ん、自然相手は本当に大変なのですね。テレビ局も取材してましたが、2人体制で、撮る人をビデオを支え、濡れないようにする人に分かれるのでしょうね。ずぶ濡れで帰って来ました。ま、6時すぐには既にとおりすぎたようで、明日はもしかしたら、晴れだったりしてね。では、また。

スーパーであってスーパーでない。 10.15

今日は台風21号の気配のため、本当は徳之島へ行く予定だったのですが、「着陸できない恐れもある」とのことで、予定を延期。しかたなく、さとうきび畑が広がる笠利付近で仕事の打ち合わせをしてきました。笠利町は今年町制施行40周年になり、11月にイベントが目白押しなのです。
 で、またしても帰りにスーパーさとへよったのですが…。うわ〜っ!!ここはもう、スーパーであって、スーパーでないと思いましたねえ。35センチもあるシャコガイ、でかいシマダコ、サザエやトビンニャ(とび貝)、まるごとのアオブダイ、ハージン(すじあら、赤い魚)、これらは30センチ位合ったのでは?などの魚介類のほか、笠利産黒豚のツランコ(顔)、皮のほか、山羊の肉もあり。そういった地元素材で加工品もつくって販売しているのですね。南養鶏もあり、卵や鳥肉も充実しているのです。野菜類はこれらの迫力に負けていましたが、う〜ん、ここはもう、市場ですね。スーパー自体が市場と化してしています。おまけに、地元笠利を愛するテーマソングまで店内で流れていてホント勉強になりました!お土産は、魚みそ、豚味噌、豚ミミの味噌漬、、トビンニャ、シビのアラ、を買ってきました。島興しの精神がいっぱいです。さあ、今日はひさびさ一杯やりますか。だって、ホライゾンの入稿を昨日、朝2時までやっていたのですもの。またしても目にクマが出現してしまいましたよ。ま、仕方ないか!!

フヨウの花が咲いた 10.13

今日は瀬戸内へ行ってきました。道すがら、フヨウの花が少し咲き始めているところがあって、南の島に秋がきたことを知りました。ハイビスカスの原種?がフヨウなのですよね。奄美にはもともとはハイビスカスはなく、あれは移入だと以前、田畑先生が教えてくれましたような…。写真は色がよくわかりませんが白いものや薄ピンクのふわ〜っとした優しい色合いで、私は大好きです。ハイビスカスはドギツクテね。はぜの木も紅葉しているように見えますね。ひゅーっと車の前を横切ったのは、サシバ、それともからすだったのか。秋晴れの瀬戸内路は、すがすがしくホントいい旅をさせてもらいました。仕事の帰りにAコープへ寄りました。お土産に、瀬戸内名産のそらまめを黒砂糖でまぶしたお菓子、黒砂糖カリント、喜界島のゴマ菓子、ゴマ餅、などを買ってきました。それから、シビの刺身、白ウルメ、小あじ類まどです。瀬戸内はなんといっても漁業の町、名瀬なんかより刺身が獲れたてで安い安い!これから、瀬戸内いかれる方は是非、Aコープへ寄って、島ならではの素材をお買い求め下さい。わたし、感激でしたよ。また、シビ、トロッとしていて美味しかったのですよ。う〜ん。また行こう!

ツタヤにいってきました。.1012

ホライゾンは現在、奄美群島の各空港や名瀬市の各書店のほか、離島の大きな書店におかせてもらっています。あと、鹿児島ジュンク堂や東京の書肆アクセスなど、島の香り豊かな書店と奄美に理解ある温かい書店の皆様のおかげで見入りの少ない雑誌ですが、おかせていただいています。ところで、最近できたツタヤ、都会のみなさんにはおなじみですよね。雑誌、CDのほか、ビデオが豊富、この店ができたので、つぶれてしまったビデオ店もあるほど。まるで都会なみですよね。こういう所へいくと、気後れしてしまう私ですが、最近、ここでも郷土本「奄美コーナー」ができ、小社の雑誌や関係書籍を置いてくれるようになりました。ホライゾンコーナーはごらんの通り。半分近くは小社関係の本です。
 郷土本というのは、だいたいが売れないというのが定説でしたが、最近は奄美に日本復帰時期の奄美ルネッサンスのような時期になぞらえて、第二の奄美ルネッサンスと呼ばれるほどです。われら、ホライゾンもそのなかで、かなり、健闘しているとおもうのですよ。「生命めぐる島奄美」(南日本新聞社)「トロピカル」(小学館)はいまでも人気で2〜3刷りめ、、クロウサギの子育てを絵本にした「とんとんとんのこもりうた」(講談社)は5刷りが決定したと、本日連絡がありました。ホライゾンだって13号出たうち、すでに8冊が絶版、今、出ているのは、3,6、11、12、13号だけです。都会の本に)比べて地味ですが、中身は負けないゾ!という気持ちで頑張れるだけ、頑張ります。明日は、瀬戸内行きで〜す。お土産買ってきますね。!!自分の分ですが。ははは。

最近、奄美でも秋ですよね。by Anri.



ああ、大高、応援団!  2001.10.11

みなさん、NHK「人間ドキュメント」みました?奄美大島、大島高校の体育祭に賭ける応援団の2ヶ月を追ったものでしたね。そうなんです。はたでみていると勉強や睡眠時間を犠牲にして、いいかげんにすれば?と言う感じなのですが(実は我が家の娘も3年前、この応援団に入り、朝は夜が明けない4時ごろから、夜は11時あたりまで、練習に練習で汗を絞っていたのです。)都会育ちの私には信じられないことでしたね。番組を見ていて、女の子のドスの効いていた事、男の子のやさしいこと!。人間模様は面白いですね。でもいろいろあってからまとまることの大きな喜びはやったものにしかわからないものかもしれません。これで大学一年浪人してもいいじゃない、いいもの掴んだねといいたいですが、いざ、自分の子供のことになると、親は引き締めにかかってしまってダメですね。反省してます。小学校6年の長男は、運動会で応援団長をやり、前日までの頑張りすぎで当日は声が出なかったです。でも、「鯉の滝登り!」なんて先生の指導で、やってとてもかっこよかった!この応援団が奄美の名物になっていることを「人間ドキュメント」で放映されて、改めて知りました。

新しいデジカメのテストです。  10.10

今日は、新しいデジカメのテストです。このデジカメを買った途端、なぜか以前もものが壊れてしまったようなのです。Hさんてば、「やきもち焼いてすねてしまったんじゃない?」だって!まさか!ト思うのですが本当にあまりにも、タイミングがよいのでちょっと感心しています。実は最近、イラストばかりだったのはそのせいなのでした。ま、たまにはいいですよね。あとで日記は書こうと思いますが、今ならったばかりのことを復習してます。カレンダーの写真をとってみました。笠利の八月踊り風景です。成功するか。ではまた。


キンキンキン…は何の音?    10.8

さて、奄美大島できんきんきんと鳴くのはなんでしょう?知らなかった私は、奄美の森に耳をつんざく踏み切りの音?と思ってしまいましたよ。これ2〜3年前の話。実はオオシマゼミというセミなんですね。ジ〜ットとなくアブラゼミしか知らなかったのでほんとにびっくり。でも奄美では普通にいるセミでした。先日奄美パークオープンの日にそこの展望台に行ったのですが、いく道すがら、植栽がまだまだ禿げはげなのですが、セミはしっかり留まって鳴いていました。それはそれはにぎやかに。でも、禿げ禿げなので、みんなみえるんですねえ。セミが枝で一生懸命鳴いているのが。すかさず、「みんな見えてる。とられちゃうよ!」と誰かがいってました。ま、取る人はいなかったでしょうが、早く植栽も緑豊かになってくれるといいですね。
 我が家の隣りの家にも今日はキンキンキン!キンキンキン!キンッキンッキン!と鳴いていました。もう、10月なのにね。やはり、亜熱帯ですよね。まだまだ半そでです。

子供の運動会は、母の運動会  10.7

今日は、奄美の各地で小学校の運動会でした。子供はかけっこで走りますが、奄美の母たちはお弁当作りに走ります。各家庭、勿論違うと思うのですが、じいちゃん。ばあちゃんを呼ぶ家庭では恐らく煮物、それも豚の煮物(ワンフネ)をつくるのではないでしょうか。これが、奄美の味ですよねえ。なんか、最近食べ物のことしか書いてないようで恥ずかしいのですが、秋なのでしょうか。ついつい興味がいってしまうのですよ。で、ですねえ、この煮物にかかせないのが、豚肉(できれば黒豚)。これ、スーパーで売っているのは鹿児島のものらしいです。肉屋さんに、「島豚あります」の看板が書いてある所へ行くのが確かですが、これが肉質が全然違うの。塩豚がいいという人もいますが塩を抜くのに時間がかかるため、私は少し塩をしてもらったのを煮込みます。ほんと、おいしいんですよね。20年使っている圧力鍋でやわらかくしますが、昔はかなり長く煮込んだのでしょうね。豚肉はビタミンB1が牛肉の10倍?とか。脂肪だって煮込めばコレステロールを下げるというじゃありませんか。それから、別鍋でつわぶきとか、芋ヅル、奄美風切干大根、厚揚げ、こんにゃく、しいたけ、をきびなごのダシでぐつぐぐつ煮込みます。2〜3日食べるぐらい鍋いっぱいつくってしまいました。

奄美の郷土料理、鶏飯 10.5

奄美の郷土料理の代表選手は鶏飯。この料理のルーツをひもとくと----1609年、薩摩藩が奄美から島伝いに琉球制圧をしてから、この島に代官所が、笠利におかれたました。薩摩から奄美に入ってくるのに北大島のが近かったからだと思うのですが、これら代官などを接待するため、つくられたのが鶏飯とか。もともと、この地方には豚飯(とんふぁん)といって豚肉の炊き込みご飯があったようですが、以前頂いたのはちょっと油っぽかったです。でも、鶏飯は意外とあっさり。子供も大人も大好きです。我が家では、大鍋にいっぱいつくらないとすぐなくなり、ぶーぶー言われる始末です。
 でも、郷土料理といっても、やはり薩摩の陰がちらほらするんですねえ。作り方は至って簡単。地鶏のガラと胸肉あるいはササミをいっしょに炊き、こくのあるスープをとります。ここで、わたし、以前は生姜をいっぱいいれてたんですねえ。でも。入れないのが普通なんですって。味や香りを消してしまうからだそうです。後は錦糸玉子(あまりぱらぱらじゃない方がおいしい)、小ネギ、鶏肉を割いたもの、しいたけ、パパイヤの漬物のみじん切り等をあつあつのご飯の上にかけ、のりをふって、さあ、召し上がれ!今日、アメリカに暮らす娘に、この鶏飯のレトルトを送りました。島を離れて、恋しくなるのはやはり故郷の味なのでしょうか。いっぱい食べてね!!
 そうそう、ホライゾンのアンケートでよく頂くのが奄美の郷土料理特集。島々の料理をもっとほりおこしたいですね。私は、あまり、上手ではないけれど。うんうん、食べるのは大好き!


教会の歌声  10.4.

我が家はみこころ教会の裏通りにあります。朝6時と昼12時夕方も鳴っているんだっけ、鐘の音がなるのです。はじめはうるさいなあと思ったのですが(だって、すごい音だったんですよ。)、今はやはり慣れでしょうね。ほとんど気にならなくなりました。朝、賛美歌を歌っている声がきこえて、神父さんのむにゃむにゃいう声まで聞こえます。夕ご飯(我が家は8時〜8時半ころから食べ始めます)が終る頃、美しい歌声が響きます。新民謡のこともあれば、賛美歌、クラシック、童謡のときもあり、なんだかゆったりした気分にしてくれるのです。おなかがいっぱいだったり、晩酌をしていることもありますが、奄美でも朝晩秋めいてきた今日この頃、教会の歌声がとても麗しく聞こえます。
 そうそう、昼は親愛幼稚園の園児達が運動会の猛練習でとてもにぎやか。そのうち、秋の夜長、隣りのおうちに来る鳥や虫たちが鳴き始めるでしょうね。待ち遠しいですね。

浜田太のコーナーにクロウサギが登場します。!! 10.3

いよいよ、室長、浜田太がしぶしぶ?動き出しました。ホームページに「クロウサギの独り言」コーナーが開設されました。Hさん、ありがとうございました。途中で眠ってしまったり、酔っ払ったり、はたまた、誘惑に負けそうになりかもしれませんが、とにかく、今日、記念すべき一ページが開きました。みなさん、励ましのお便りや掲示板にご意見をどしどしお寄せくださいね。
 で、私のほうはホライゾンの追い込みまっただなか、まだやっているの?なんて言われそうですよね。ごめんなさい。今週中で入稿する予定です。ちょっと、いろいろあって、内容を一部変更しました。よくあることではありますが、すみません。まだ、ちょっと確定ではないため、なにをどう替えたかは、しばらくあとでお知らせ致しますね。ずっとデジカメの調子が悪く、入力ができなくて、やはり、映像のすごさを感じますよね。文字ばかりだと、私らみたいななまけものは読みたくなくなるから困ります。今日、映像がこのあと取り込めたら大成功!Hさんのおかげです。失敗したら、わたしのせいです。……
 うほ〜!成功!です。で、本日は取材に出かけていないので、脈絡なく、またまた、かずみでの一こまを載せちゃいます。。さあ、この方知らない人は奄美のもぐり。奄美ではじめて民謡日本一になった築地俊造さんです。ラジオ沖縄の島袋さんがインタビュウしているところを強引に写真撮らせてもらいました。奄美特集をかなり、ロングランで流すそうですよ。では、また!



テンテンテンナ、シツルクテン2001.10.2


10月1日は旧暦の8月15日にあたりました。奄美パークオープンの疲れを背負いながら、わたしたちは小学館の宮川さんというサライ編集部の友人とともにカケロマ島へ渡りました。天候が次々変わる、フェリーで瀬相港へ。ちょっと前までは、「加計呂麻慕情」の名曲がじゃじゃじゃじゃーんと流れていて、あ〜加計呂麻へいくんだなあという気になったのでしたが、今は波と風景をみています。どちらもいいけど、やっぱり、あの歌が流れるのが、私は好き!ある新聞記者に「鳥も通わぬ〜」という歌詞はけしからんとからまれましたが、好きなものは好き、けして、この島をばかにしているわけではないと思うのですけど。まあ、そんなこんなで、昨日は勝能(かちゆき)のトラ踊りを観に行ったのです。結局、帰りのフェリーに間に合わなくなりそうな時間あたりから、最後の題目にはいるようで、しかたなくかえってきました。でもね、収穫は大。諸鈍シバヤの流れと思われる、テンテン テンナ シツルシツルクテンのお囃子にあわせての踊りやサンバトがでてくるあたり、とてもよく似ていましたね。諸鈍シバヤが厳格な感じがしますが、こちらは、かなりくずしてますね。衣装はなぜか、上着が女性のあかっぽい襦袢なのですよ。これにはビックリ。諸鈍の芝居を見て帰った人が、集落へもちかえり。みようみまねで伝えたのでしょうね。どちらがいいというのではなく、おもしろいな〜!!でね、ここの桟橋に海上タクシーが乗り付けてくるんです。かっこい〜!