2001年11月の編集日記


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芳賀日出男先生、来島 11.30

 鹿児島のおはら祭りの写真審査の帰りに奄美に来島された日本写真家協会の創立者の一人でホライゾンでも大変お世話になっている民俗写真家の芳賀先生を、奄美群島写真協会の忘年会を兼ねて歓迎会をしました。わたしは、ホライゾンでお世話になっているために写真には関係ないのだけれど出席。一次会は、鍋を囲み、盛り上がっていました。二次会は会員のあさぎりのママの店へ。著作権が優先するのか、肖像権が優先するのかに、芳賀先生が利益が生じる場合は肖像権が特に優先されるので気をつけるようにとおっしゃってました。なるほど〜。芳賀先生は、記憶力が驚異的に素晴らしいのですが、写真は撮るだけでは、60点、それにどれだけ正確なコメントがどれだけ書けるかで、その写真が生きるかどうかとなると貴重なご発言。
 そうなんですよね。時代背景、原因や考察がどれだけできるかでほんと、写真の価値はぐっと変わってきますよね。デジタル処理ができる現代、イメージだけの写真は画面のなかで如何様にも変化をつけられます。でも、現場に行ったものにしか撮れないものがやはり貴重ですよね。
 この日は、奄美の民俗写真の走り、越間誠さんを始め、写真好きな連中(あのブキさんも)が集まり、撮影にかんすること、カメラに関することの興味深い話をいっぱい聞きました。太君は、越間さんに代わり、最近、同協会の会長に就任、越間さんは顧問となりました。この3人が揃うのも私が言うのもなんですがとても面白いことです。左の写真は、芳賀先生の色紙「飲めば飲むほど深まる奄美の秋、秋、秋」だったかな?今年で80歳を迎えられた芳賀先生は以前とほとんどお変わりなくお元気で、今でも日本だけでなく世界を回っているのです。(隣りは一次会でのママさんです。)
 奄美が復帰した直後来島された芳賀先生の写真は、発表したプリントは譲ってネガは手元に残せたそうです。昭和30年の撮影は材料費などは自分もちの奄美探求の旅だったそうで、びっくり。でも、だからこそ、ご自分の手に後々残ったのですね。民俗写真は漬物と同じ、時間がたてば経つほど旨みが増すそうです。奄美もそうですね、越間さん。(右写真の左の方)
 今年初めての忘年会でしたが、明日、日曜日から、ちょっと連続して飲み会が続きます。
 そうそう、ホライゾンは来週始めには、発行されます。みなさん、よろしくね!!
それから、クロウサギの独り言コーナーも更新してますので、よろしく!!

イザリの季節到来 11.29

 もう、師走が近づいています。一年、早すぎますね。明日は大潮だなと太君。冬は夜に、潮が引くのでリーフに夜出かけ、逃げ送れた魚やタコなどを捕る漁(イザリ)が奄美では昔から盛んです。何度か行ったことがあるのですが、みんなでワイワイやるのが」面白かったけど、獲物はさっぱりでした。やはり、土地感があって、やりなれている婆ちゃんにはかないませんわ!捕る人はほんとにすごいんですよね。あれ、なんで〜!って感じ。鍛えられてますからねえ。翌日は眠くて眠くて大変でした。さすが、太君は奄美っ子。海山が学校だったので、勉強はこの魚たちに教えてもらったらしい。スガリ(島の小さなタコ)を捕ってきた時は見直しちゃいましたね。
 以前聞いた話。笠利のシスターはあの修道服をたくし上げて、イザリに出かけるとか。想像しただけでも楽しいですよね。夜のリーフは土地感がないととても危険。どこで、サンゴ礁が口を開けているかわからないと足をとられてしまい、戻ってこれないことに!行きなれている人といきましょうね。
 そうかあ、一度は獲物を捕る快感に浸ってみたいなあ!


そろそろポンカンの季節ですね。 11.27

そろそろ、年末の気分がでてきましたね。龍郷の水間黒糖でも、サトウキビが集まりだしたので黒糖菓子を作り出したようで。予約しておきました。あとで買いにいかなくては!あそこのは本当にとろけるようでおいしい!住用村を走っていたら沿道はポンカン畑、奄美交通がポンカン狩りツアーを広告していました。ポンカンはス上がりがあるといって、タンカンよりはちょっと人気がないですが、やはり奄美の師走の味ですよね。
 ところで、名瀬市では最近、中学生男子の丸刈り強制に疑問をもつ人たちが集会を開きました。全国でも丸刈り強制は珍しいそうですね。あのうるさい鹿児島でさえ、丸刈りは廃止なのです。一番、思春期の大切な時期、女の子だけでなく男の子も大切なとき。軍隊式の強制は教師には識別できる標識かもしれませんが、あの詰襟と丸坊主の強制は疑問。それと、中学生になるとなぜ、教師はあれほど校則に拘るのでしょう。もっと大きな目標に向かわせなければいけないときに、身の回りのコマコマしたことばかりに、ぐちぐちいって、子どもだけでなくわたしだって嫌になります。改革しようとすると、前例がないの一点張り。当たり前だろ、いままでやったことがないのだもの。小学校時代は楽しくやってきたのに中学生になると、急に狭い部屋にいっぱい押し込んで、それでなくても体が大きくなり微妙なこころの変化があるときなのに、いも荒い式なんて。中学校こそ、人生の芽生えのとき、大事にしてほしいです。ね!!

ご無沙汰! 11.26

すっかり、ご無沙汰しておりまして、申し訳ございません。ホライゾンがほぼ完成間じかなのと、いろいろ行事が重なったのとついに鬼のかく乱というやつでしょうか。風邪らしきものにてダウンしてしまいました。う〜ん、でも寝すぎて腰が痛い!まあ、言い訳はこれ位にしてと、この23〜25日は各地でイベントが目白押しでしたね。笠利、天城で町制40周年行事が相次ぎ、紬組合創立100周年があり、青年会議所も何周年かだし、古仁屋中学校でも55周年だし、おまけに子ども劇場も「ピアにゃん」があって、北から南まで走り回った太くんとちょっぴり走ったわたしでした。瀬戸内路には、もう、つわぶきの花がさいているんですね。黄色い花が沿道に咲き始め、そろそろ、師走なのかと感じました。古仁屋中学校では、山田洋次監督の講演があり、渥美清さんの、最後の話とか、カケロマに毎年夏にスタッフできている話など聞きました。それまで、うつらうつらしていた古仁屋中の女生徒もかなりの部分が起き出してきいていました。3人ほどはそれでもぐっすり眠っていらしたけど、そうね、中学生は眠たいのかな。

ロケーションフォト 11.22

奄美でも最近は、ロケーションフォトといって、野外で婚礼の前写真をとるのが流行っています。名瀬でそんなロケーションがあるのは大浜です。芝生もまだ結構あおくて、枝をいっぱい広げたガジュマルをバックになかなかいい感じ。スタジオで撮るとみんな緊張するけど、こうところにくるといい顔になるんですねえ。でも、真夏のどぴーかんの時は花嫁さんたちは、大変だろうなあ。汗だくで美容室も衣装が心配でしょうねえ。砂浜で撮るのもいいですよねえ。奄美で花嫁さん、こんなキャッチフレーズもいいかも。帰りの道路では、既に実業団チームのキャンプインが始まっているようで、何人もの人が走っていました。沖縄がテロ問題で敬遠されて、奄美のキャンプが急浮上してきたようです。キャンプが重なり、ホテルではお断りもでてしまうとか。奄美の良さがアピールできるいい機会、大切にしたいです。

奄美相撲選手権大会イン笠利  11.21

東京から帰ってきた日曜日は、笠利の太陽が丘で町制40周年記念の相撲大会が開催されていました。実はこれをみたくて早々と帰ってきたのです。昼近かったのですが、まだ、小学生の部、六年生が終ろうとしていた所。奄美で相撲が強いのは瀬戸内の古仁屋中、笠利の赤木名中、住用も強かったですね。そうそう、住用に全天候型の土俵をつくるようなことをききました。本当?
 奄美では集落ごと、また各学校にも土俵があります。相撲は豊年際に欠かせない行事だったのです。昔は各集落の代表が全郡から集まり、奄美一を決めたのだそうで、それはそれはすごい熱気と迫力だったようです。それを再現しようと計画されたのが今回の企画。役場の人は誇らしげでしたよ。
 中学生ともなると強いコは、ダンプカーみたいに押しだけで相手を土俵外にだしてしまって、唖然としてしまいますね。観客も興奮してくるとだんだん土俵に近寄ってくるから面白い!

 その人の名は… 11.20

その方はとてもうれしそうでした。声が弾んでいて、「おめでとうございます」とおっしゃったのでした。わたしは大しておめでたいことをした覚えはなかったのですが、その方はどうしてもお目にかかってご挨拶がしたいといわれたのでした。午後3時。緊張のなか、お待ちしておりました。あわよくば、ホライゾンにご協力をお願いしてみようと思いながら。その方から再度の電話。出掛けにお客様がお見えになって、これから出ますというのです。わざわざ、おいでいただくのは恐縮ですと申し上げると、いえ、玄関さきで失礼しますから、ちょっとのお時間をといわれます。待つこと10分、その方は赤いチェックのスカートをはかれた娘さんとごいっしょでした。黒い帽子のしたで笑顔が美しい方でした。ブランデーと果物を
いただきましたので、お礼に浜田の写真集をお渡ししました。お見送りの際、突然その方が、握手を求められたのです、そして「いろいろおつらいこともおありでしょうが、どうぞ、がんばってください」と。
 不思議な感覚でしたね。車のなかで母娘はにこにこされて、わたしが振る手に答えて角でまがるまでずっと手をふっているのが見えたのです。この場面は忘れられません。その方の名は、島尾ミホさんとマヤさんでした。わたしの奄振委員の記事を新聞でみられたとのことでした。

東京は別世界 11.19

そうなんです。東京は別世界。羽田空港の上空へ来た時そう思いましたね。きれいなんですけど、それはいっぱいのイルミネーションガが輝く世界、きれいなのですがやはり無気味な世界です。この電気一体どうやってどこからくるの?と思ったらいやになるものです。
 いっぱいの人、早い車、めまぐるしい商品の群れ。都会のひとは疲れないですか。いつも走っているみたいで。田舎はゆっくり考えながらあるくことができます。だから、都会になろうと思わなくてもいいと思うのです。格差はあって当然。都会を羨むのではなく、都会にないもので勝負をかければいいのです。ミネラルたっぷりの黒砂糖、黒糖焼酎、きびす、薬草、海、夕陽、森、などなど、都会には絶対ない奄美の魅力、それを大切にしながら商品化するのです。
 口をくわえているのではなく、羨ましがられる奄美へ。自信をもって知恵を絞り、都会へ勝負をかけよう!!友達と朝鮮料理を食べてきました。キムチ、今、人気みたいですね。わたしには辛いのですが彼女達はわざわざ朝鮮へいって食べてきたようです。それに垢すり、いって見たかったけど、やっぱり朝までみんで飲んでしまった!朝鮮の焼酎はきゅうりの千切りといっしょに飲むんです。甘くてちょっとものたりない?けれどメロンの香りと味が辛いキムチにいいのかもしれませんね。では、つづきはまた!

 11.15

ちょっと東京へ行ってきます。島興しの調査、例えばアジア料理、タラソテラピーのことなど調べられたらなあとは思っています。市場調査もひつようですよね。ではいってきま〜す!日曜日までお休みです。じゃあ、また。

あの宮崎学さんが来島11.14

今日は、写真家の宮崎さんがテレビスタッフとともに奄美に見えました。何年か前、民家で子育てするルリカケスの取材をしたのですが、その後を追ってという構成だそうで、奄美や沖縄、その他各地を撮影していく番組だそうです。奄美のその民家はおじいちゃんおばあちゃんだけが住んでいて、毎年山裾にある家の中の廊下奥の書棚のようなところで子育てするのです。鳥がやってくると、夫婦はタンカンを買いに行きます。ルリカケスにあげるためです。宮崎さんがいってました。「いいタンカンをルリカケスにやって、ちょっと悪いのは人間が食べるのよ」だって。それほど、二人は可愛がっているのです。既に19年もそうやってルリちゃんはやってきています。不思議ですねえ。軒下あたりで、子育てするのは知っていますが、民家の中に入ってきて毎年やってくるというのは!
 あ、それで宮崎さんの顔写真をとり忘れてしまいました。狐目の同姓同名の宮崎学さんとは違いますから念のため。「宮崎学のカメラ・アイ 野生動物が見つめるゴミ列島」(太郎次郎社刊)と言う本をいただきました。宮崎さんが捉えたするどい視点を是非みてみましょう。。

ホライゾンがVOL14がいよいよ追い込みです。11.13

そんなんです。最近、日記が途切れ途切れになってきたのは、ホライゾンの追い込みなのです。なんて、言い訳してます。いろいろ年末に向け、走り出したという所でしょうか。木曜日には東京に久々いってきます。それまでに終らせておきたい仕事がいっぱいあって、もちろん終らせられないのですが。、あたふたあたふたしてます。時間の使い方が悪いというか、要領が悪いというか、不器用なんですかねえ。一日、朝から夕方までずっと事務所で缶詰でした。もう、来年のカレンダーが配られてきて(実は当社がつくったカレンダーだったのですが)、年末を感じてしまいますよねえ。
 娘は文化祭で、ボイパ(ボーカルパーカッション)をやるといって、毎日夢中です。最近、テレビでもすごい人気ですよね。アカペラに似ていますが、ベースのほかになんか破裂音を出してリズムを取るのがとってもかっこい〜いのです。楽器を使わず、いつでもどこでも誰とでもやろうとおもえばできるというのが魅力です。曲をアレンジしたり、男の子も女の子も関係なく歌うのがすきで仲間がいるというのがすごくいいですよね。若いコたちはいろいろチャレンジして可能性を広げてください。なにかが開けてくると思います。いいなあ。がんばれ!!

男には負けられない挑戦? 11.11

今日は第12回めの奄美レディーストライアスロンでした。これの標語がいいです。いわく、「男には負けられない挑戦がある」。あ、それから、カケロマジョギング大会でした。スポーツの秋ですねえ。今、沖縄の観光が冷え込んでいて、その分特にスポーツ関係の合宿が目白押しだそう。徳之島は、高橋尚子人気で、満杯状態らしいです。あ〜、それなのに、わたしは全然スポーツをしていなくて、最近特に筋肉が衰えていることを実感してます。それで、三儀山ですこし、歩いて見ました。途中、野良作業のおじさんに出会ったので、尋ねると裏山にスモモの手入れにきたそうです。でも、今年の台風で塩害を受け、来年もまた、不作だろうなあといってました。なんか、花が狂い咲きしていたそうです。哀れですね。そんな、会話も楽しく歩いていました。ほとんど人はいなかったけれど5人ほどジョギングコースを歩いたり走ったりしていました。私もこれから少しずつでもなにかスポーツをしよう〜っと!!
 あ、明日はホライゾン文字校正第2弾があがってきるんだっけ。頑張ろう!来月初旬が発行日です。

  ぱたぱたぱた!11.9

夜10時半.つづきを書こうとスタジオへ降りてきたら、突然、ぱたぱたぱたっと音がするではありませんか!。音のするほうを見たら、なんと、ヤモリ!でした。それもかなりでかい!よく見かけはしていて、実は先日も階段の壁にしがみついているヤモリの赤ちゃんをみつけました。色はうす〜イベージュで
ほえほえしていて、かわいかったのですが、まさか、それが大人になったのではないでしょうねえ。それともおかあさんだったかもしれません。スタジオのカでも食べていたのでしょうか。急いでぱたぱたぱた、わたしの視界から逃れようと、天井近い壁を必死で逃げていきました。で、今日は、でっか〜いヤモリ君に敬意を表してこれでおしまい!

一村の新版作品集が出ました。  11.9

NHK出版から、新版の田中一村作品集が出ました。作品は大きくは違わないのですが、解説に一村を世に出した元南日本新聞記者の中野惇夫さんと、田中一村記念美術館顧問でNHK編集顧問の大矢さんによる解説が読み応えありそうです。ゆっくり読みたいのですが、取り合えず、ご報告をいたします。実はこれ、もちろん買おうと思っていたのですが、なんと、寄贈で送られてきたのです。ありがとうございました。一村のカレンダーは今回、ホライゾンのプレゼントにするのですが、この本は間に合いませんでしたので、次々回の書籍特集にいてるつもりです。最近、郷土に関する本が多いですね。買うのも大変。うちは仕事だから、いろいろ収集しておりますが、一般の方は本当にすきな人が買ってくれるのでしょうね。一村作品集は、美術館のお土産に最適。だって、この奄美でしかHNKの、一村関係の本は買えないということです。

ネリヤを見つめる松山さん 11.7

昔、名瀬女性ネットワークという女性サークルがありました。市役所の松山タツ子さんが立ち上げたもので、名瀬在住の様々な活動」をする女性たちのゆるやかな集まりの会でした。バイタリティある彼女のお陰げでいままで知らなかったサークルの女性やいろいろの問題点を指摘するグループのかたたちとか、問題意識をもった人たちにお会いすることができたのも、この会に入会を勧めてくれた松山さんのお陰でした。定年が近づいたある日、倒れ、一年後、帰らぬ人となってしまいましたが、彼女が敷いた名瀬のおける女性の活躍は目を見張るものがあるといわれます。
 松山さんが眠る有良の海岸を見つめるお墓にの縁の人たちと墓参りに行ってきました。本当に、海岸を見つめながらたっているのです。きっと海のずっと向こうにある楽土を見つめているのでしょうね。

ホライゾン初校出る。11.6.  

今日、ホライゾンの初校が出ました。急ぎ、執筆者の方々に持って回ったり、ファックスしたりで忙しかったです。なんせ、コピー機が故障ではないのですが、この時期、紙が湿気を帯びてうまくコピーができないのです。一回、湿気抜きのため、熱を通し、初めてコピーするのです。高くつきますよね。でも仕方ありません。これが最上の方法なのです。で、今日は忙しくなるため、博物館横にある展示用の古い奄美の家屋にぶら下がっているスイジ貝の写真を添付して勘弁してもらおうっと。高梨さんがいる博物館に寄った帰りに写しました。
 このスイジ貝、奄美では玄関横に吊るして魔よけなどにしているようです。スイジとは、形が水の字に似ているためとか。これがあると、なんか人の匂いがしてくるから不思議です。ではまた。

座礁、座礁!! 11.6

昨日、奄美を飛行機でたち、今朝たった今、奄美名瀬新港へ到着。もう、あまりに揺れたので、頭の中は座礁!座礁の言葉がいっぱい渦巻いていました。ほんと、怖かったです。船はなんか、解放感があって好きなのですが、やはり口ほどになく、怖がりなのでしょうね。ユニクロで衣類を仕込んできました。冬物です。マリックスラインのクウィンコーラル8だったので、わりと快適でした。これが同じ金額で7だった日にはそんした気分ですよね。そういえば、大島運輸のほうですが、有村会長の本が出ましたね。空港で見かけたのですが、今度買います。みるからに、会頭、快刀?という感じでした。いちど、女性の会合でごいっしょしたことがあります。女性はズボンや髪を短くするのは好かないということだったので、どちらも当てはまるわたくしは、遠巻きにしておりましたが。でも、何故か、私が花束をお渡しする羽目になって、緊張しながら、お側によったことがあります。10年ほど前かな。赤い腰襦袢をいつもはいていて、入院中も朝、毎日車で会社の前にきたそうです。年をとるほど、頭脳明晰、まさに巨人でした。
ヨロン島には、巨人が19歳まで住んでいた茅葺の家が民俗村にあります。あ、なんか、いつも脱線してしまいますね。ではまた。

名瀬市民体育大会 11.4

今日は昨日の雨が嘘のような上天気でした。名瀬三儀山運動公園で市民運動会がありました。これで、運動会はほぼ終了。9月はじめから高校、中学、小学校、幼稚園、保育所、各地区、郷友会などなど様々なところで繰り広げられていた運動会がおわるのです。ほぼ2ヶ月の間、みなさまお疲れ様!
で、皆さん、そろいのユニフォームで楽しくやっていましたね。わが、中央地区は最下位でした。で、優勝は金久地区。ショッキングピンクのTシャツがかっこい〜!優勝するだけあって、出場する人数自体が違いますものねえ。そうそう、笠利でも町民体育大会が太陽が丘運動公園であったはず、今、思い出しました。笠利は今年町制40周年なので、次から次とイベントが目白押し。今月は忙しいぞ!来週はレディストライアスロン。そうそう、今日は、もしかしたら、カケロマジョギング大会だったっけ。
 帰りに見つけたソテツの実(なり)。もう、こんなに赤く色づいて、ほんとに秋なのですね。秋風が身にしみる季節ももうそこここに。焼酎の仕込みの時期が始まりますね。
 

言葉を失ったファイナルファンタジー  11.3

今、シネマパニックでファイナルファンタジーを見てきました。あまりの凄さに言葉がないといった感じ。凄いとしかいいようがありませんね。絶句。フルCGというやつだそうですが、どうやってあんなに、生の人間っぽくなりえるのか。コンピューターはここまでできるのかと思いましたね。でも描く世界は、生命とはなにか、心とは何か、それを超未来の地球で描き出そうとしていたように思いました。憎しみは憎しみを生み、消える事無く増大し、それを止め再生能力させるのが信ずること、愛。すべてが絶滅しそうな地球という設定がこれからの世界を予言しているようで、このままではいけないと思いつつ、人間の憎しみを解決できないかぎり、絶望の未来はやってくる、そんな気がしました。
 そういえば、これ人気ゲームの初めての映画版だそうです。ゲームで主題歌をうたっているのが、瀬戸内町出身でもと島唄民謡日本一のRIKKI(中野リッキ)だったのです。高校一年生のときだったでしょうか、彼女が日本一になったのは。奄美では超大型台風がやってきて土石流で14名もの犠牲者がでた直後でしたから、奄美のおおきな励ましになりました。今、彼女は島唄とは違う世界で、大きく羽ばたいているようです。今日は、違う世界にタイムトリップしてきました。

名瀬小学校の階段  11.1

 昨日あたりから天気がぐずついていて、曇り時々雨の空模様です。今日は、名瀬小学校に行ってきました。娘が小学生の時には、かなり古い校舎で先生の机の上に埃がうっすらたまっているように見えましたが,息子の代になると改築して素晴らしくキレイになっていますね。でも何だかなれなくて、ときどき迷子になってしまいます。それほど学校に足を向けていないということかア!。いえ、それほど大きいということかもしれません。
 わたしの小学校は東京でしたが、アスファルトの地面がネコの額ほどしかありませんでしたから、奄美の子たちは恵まれていますよね。校庭のなかほどにアカギの木があります。名瀬小学校の付近はこのアカギ並木がこんもりと茂っていて緑陰が素晴らしいです。鹿児島銀行あたりにもこんな並木があると夏涼しいのですがね。
 この階段は奄美の日本復帰運動の拠点になったところ。復帰まで20回以上の群民大会が行われ、復帰祝賀式典もここで行われたのでした。改築にあたり、階段も老朽化していたのですが、この歴史的に貴重な階段だけでも残すということで、補強をされたかと思います。時はたってゆくますね。再来年、奄美は復帰50周年を迎えます。