2001年12月の編集日記


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手を振る扇国土交通大臣  12.29

忘れないうちに、扇さんの写真を挿入します。走りながらデジカメを撮ってはいけませんね。ブレます、必ず!あえて失敗したものを入れますが、例の不審船事件で、海上保安船「あまみ」にのって負傷した金城さんを見舞うため、二^3日前に副大臣がみえて右往左往したと思ったら、今度は急きょ扇大臣が見えたのです。保安庁の特別機のジェット便に乗ってきたようですが、県病院につくと、出迎えの病院長をはじめ、マスコミや一般に人が見物にまわると、「あらあら、若い人たちが…」などど、にこやかに微笑みながら、なんと手を振っていたのです。なんか、不思議な感じですよね。お見舞いに来て手を振る。大臣はこれで最後のようですから、パフオーマンスもしてみたいのでしょうね。
 女の目って恐いですよ。大臣は網網の黒いタイツをはいていたのです!若いといったらよいのか、ちょっとびっくり。海保の前で、30センチも離れていない所で、お顔も拝見してしまいました!。まあ、あえて何も言いませんけど、でもタフですよねえ。職員に」訓示をしてから、2〜3分のインタビュー後、また、車に乗り、今度は被弾している奄美の様子を見に、鹿児島へ行くといってました。足元はちょっとよろよろしていましたが、目元口元はしっかり。ま、ユニークといってもいいでしょう。
右写真は副大臣、彼、声が小さくてなにいってるか、聞き取りにくかったなあ。
 

スマートメディアをかじられた!!  12.29

 昨日、なんとスマートメディアをかじられました!!信じられない!思わず、そいつをひっぱたきましたよ!!まさか、5歳の子供じゃあるまいし、酔っていたからといって、いきなり取り上げてかじるなんて!許せん!
 ということでまず、新しいのを買ってきます。映像だけ、挿入してみます。これ以降は保存されなくなってしまったので、とりあえず、文章は後にします。写真の二人は、かじったひとではありません。念のため。
 あ〜、お騒がせいたしました。デジカメはメディアを取り替えたらOKでした。ちょっとバッテリィ―が切れていたため、更にわたしの取り乱す所となりました。失礼。明日は大潮で、冬は夜に潮が引きます。それも30センチも引くとか。いきたいなあ。でも、夜中3時ころ?だというのです。決断がにぶりますよねえ。昨日は、太くんの親友、元冶さんが、自宅二階に「炊き肉の店 あまか」をオープンするための、お披露目でした。肌シャツ姿が、元冶さん。隣りが中岡建設の中岡さんで、いざり名人。さっきの話を聞かせてくれました。瀬戸内の夕離ですって。島タコのスガリがいっぱい。サザエもいっぱいですって。でも、わたしは、獲物はあまり必要ありません。夕離周囲が見渡す限り、サンゴが浮き上がる光景を見てみたいと思うだけです。
 右写真は、明日、また、解説します。これがまた面白いのです。では、また。

 

「村」出版記念会  12.26

きのうは、「村」出版記念会でした。秋名から、バスを貸しきり、30名ほど参加していただきました。年末の忙しい時に、皆さん、本当に申し訳ありません、そしてありがとうございました。秋名の皆さん、この写真集の出版を待ち望んでくださり、出版にあたっては高齢化していくなかで、浜田も気ばかりがせいていたものです。写真集になったのは撮りためていた中のほんの一握りでしたが、それでもこうして出版できたのは、秋名の人たちと、地方の一集落の四季に理解を示してくれた南日本新聞社のお陰だと思っています。こういう本はあまり売れないのも拘わらず、「売れなくても出す価値がある」といって破格の取扱いをしてくれたのです。
 「村」としたのは、全国に共通する言葉で発信するためです。本来ならば、「シマ」なのでしょうが、誤解がいろいろ生ずるとの関係者の判断です。でもこれほど豊かな南海の海と森と稲の自然とともに生きる人々の姿は、今ではあまり見られなくなっているのではないでしょうか。「みんな、びっくりするよ」といっていた浜田。こんな、豊かなシマに生きていることを改めて写真集を通して秋名や奄美の人たち、大きくは日本の人たちに見てもらいたいという気負いでした。先日取り上げてくれたNHKのディレクターなども非常に強く関心を示してくれましたね。テーブルスピーチで島尾ミホさんが、「人々への深い愛情が感じられて、何日もかけてなんどもみて」くれているそうです。雨の日には雨の写真を、晴れの日には晴れの写真をみるとおっしゃったことがとても新鮮でした。
 会が始まると場内は明かりが消え、秋名の平瀬マンカイがおもむろに始まりました。こういう状況でやるのは、たぶん前例がないことでしょう。神事なのですから。でも、この話を浜田が持ちかけたとき、区長さんはこころよく快諾、かえって日頃、お世話になっている新聞社等に会場でお礼がいいたいといわれました。ありがたいことです。ちょっと長い気もしたけど、それは秋名の人たちの真摯な思いからだと感じたのです。みなさん、堂々と、大きな声でされていて感動的だったですね。会の進行の中で、今日の僕の会ではなく、秋名の人たちにお礼をいうための会だったと浜田が話すと、涙ぐんでいる方もいたとか。皆さんの温かい拍手に包まれ、秋名の皆さん、喜んでいただけたでしょうか。区長さんの挨拶も皆さんの八月踊りもとても素晴らしかったです。
 楠田豊春さん、藤山まんた先生、かずみ∩孝介、弓削政巳、林蘇喜男、重田弘雄先生ほか、町田酒造さん、奄美群島写真連盟の実行委員の皆さん、本当にありがとうございました。これから、まだまだ、奄美の素晴らしさ、面白さをいろいろな形で発信していくつもりです。いろいろな表現の仕方はあるかと思いますが、私たちのやり方は批判から生ずるものではなく、自分の信じる道を自分のやり方で歩いてゆこうと思います。少なくとも、それが奄美を全国に発信する一番いいやり方だと思うからです。

 

 




緊急で大忙しでした!  12.24.25

 ずっとサボってしまってすみません。実は22日夜11時頃、奄美沖でおきた不審船事件で駆り出され、23日未明には大島病院に搬送されてくる乗務員の撮影、なんやかやで眠ったのは朝6時頃、それからまた、朝8時半には起きて10時にはまた、県病院につめ、国土交通省の副大臣のお見舞いを取材、ほっとひと息ついたものの、息子を水泳に送ってから、また、かずみで11時までいて、翌24日は年末の仕事に追われてました。、
 25日は、奄美復帰記念日だったので、朝11時から、名瀬おがみ山にふ〜ふ〜いいながら、のぼり、様子を撮影してきました。日頃の運動不足がたたり、途中で咳き込んでしまうほど、この坂道で息が切れてしまいました。でも、目の前を70歳すぎのミチエおばさまが、すたすた昇って行かれるのですもの、まけてはいられません。がんばりました、平気そうなかおしてにこやかに!しっかし、昔の方は足腰が丈夫ですよねえ。最近お見受けしない西シガ子さんにお会いしたので、具合でも悪かったのですかとお尋ねしたら、「来年2月に、いじゅんごを出すのでよろしくね。お互い、がんばりましょうねえ!」と檄を飛ばされてしまいました。はいはいはい、ただ笑うしかなかったですねえ。
 奄美の日本復帰は昭和28年のこの日.クリスマスプレゼントのように、返還されたのでした。再来年は復帰50年。復帰の父といわれる泉芳朗氏の胸像に献花したあと、復帰の歌と詩を名瀬小の子たちが、石碑に向かって朗読していました。最後は、炊き出しのおしるこ。金久中のおかあさんたち、お疲れ様!ホライゾンでもこの奄美群島復帰を特集する予定です。この日を境に奄美は急激に都会化していったのです。
 あ、そしてそれからまた、県病院の取材に駆り出され、昼も夜も食べられず、化粧をしたまま眠ってしまった私でした。あ〜、しんど!またまた、今日の夜は「村」の出版祝賀会です。あ、それから、奄美パークの一村記念美術館で、浜田の写真展をしています。来年、1月7日まで。みなさんん、お正月にでも出かけていった下さいね。よろしく!

クリスマス会  12.22

今日は、幸町子供会のクリスマス会でした。何故か、太君が会長なので朝から買出しやら、準備に追われていました。私は以前に、うどん浜地区のこども会会長はやったことがあるのですが、太氏にも大変さをわかってもらうため、今回は彼に引き受けてもらっています。夏までの清掃作業とラジオ体操までは、なんとかやっていましたが、最近はダレギミ。今回だって、チラシは娘につくってもらい、買出し準備は私、で、ゲームは大島支庁勤務の沖島さんがいっぱい頑張ってくださいました。で、太氏はというと、ま、初めの挨拶かな。私の顔みいみい自信なさげ。ま、でも沖島さんのおかげで、3年もやっていなかったという幸町子供会のクリスマス会は盛況のうちに終了しました。あ〜、お腹すいたあ。準備に追われ、昼御飯も食べずだったです。帰ってきてから二人でキャンプ用でのこった「きつねどんべえ」をすすったの。これが、おいしかったあ。久しぶりにインスタントを食べるとおいしいです。彼はこれにさばのカンズメをいれて食べるそうですが、うどんはうどん、さばはさばというのが私の主義です。
 こうやってひとつずつノルマをこなしながら、今年も終るのですね。幸町の子供会は予算がないので、お菓子を子袋の詰めたものと、頂いたリンゴ、ジュース、ケーキは一本180円の池田屋のロールケーキを6等分にしたのですが、これ、安い割りにはおいしいんですよ。これで十分。みんな、全部食べてくれました。次、清掃にはもっといっぱいきてくれるかな?

奄美の高校  12.21

 昨日は、また瀬戸内へ行き、夜10時ころ帰ってきました。でも、大丈夫、テープをもっていったのです。映画音楽やら、ユーミンやらかけているとあっという間に着いてしまいました。やはり、ラジオがないところはこれに限りますね。娘たちはもっと今風のを聞くのでしょうが、これ、昔買ったものです。そうそう、最近、セントラル楽器が奄美の新しい歌謡曲を作りましたね。「海、果てしなく」「奄美エアポート」でしたっけ。指宿正樹さんが、写真を借りに来られていろいろお聞きしました。早く、聴いてみたいです。だから、次回は書籍に変わって、奄美の新しいCD特集ですね。
 古仁屋高校OBで、ホライゾン定期購読者のかたとお話していたのですが、古仁屋高校の進学率があまりよくないとの事。いい子達は大島高校へ行ってしまうというのです。それで、OB有志が文化講座を来年から開くことに決めたそうです。学校が文化の拠点にして生徒や父兄の意識を高めていくというもの。いい考えです。笠利北高でも同じ悩みがあって、北高に行くなら、鹿児島の高校へというので、廃校の危機に陥っているらしいのです。親の負担は大変なものですよね。大島高校へは、奄美群島から成績がいい子が集まるのですが、来年から一学級減、よけい奄美から鹿児島に行く人が多くなるかもしれません。島の高校をもっと充実させたいです。単に進学率を競うのではなく、特色ある専門学科を新設していけば、人材確保にも繋がると思うのですがことは、そんな簡単にいかないものかもしれません。でもね、もっとやり様があるのではということで、いろいろ企画を実行していくそうです。
 大高は、朝課外でほぼ毎日7時20分から勉強の日々。先生も大変です。奄美高校はというと、課外は全然なくていたって青春を謳歌。いろいろ専門課程の資格試験が受けられます。普通課はないのですが、即戦力になる子を養成しています。でも、もっと専門を深めたいコが進学、今年は就職がかなり難しいため、推薦進学がおすすめとのこと。
 古仁屋も笠利も勿体無い気がします。勉強はどこでも出来ると思うのです。ようは、そのコの考え次第なのですが。う〜ん、刺激がないとだれてしまうのかなあ。
写真は瀬戸内の夕陽と奄美高校の吹奏楽部定期演奏会(観客は少なかったけど、みんな頑張っていてよかった!)


りんごとネギ 12.19

 東京の知人から林檎が送られてきました。林檎はダブルで2方から。でも林檎って不思議ですよね。みかんみたいに、すぐには傷まないから、ずっと長く置いて置けます。まあ、いろいろな人にすでにお裾分けしてしまいましたが…。う〜ん、おいしかったよん。で、昨日はなんと長ネギ。ふかやネギといって、群馬だっけ?土がついていて甘くて柔らかいのです。毎年、すみませんね、ナベちゃん!みなさん、あとで焼酎送るからね。そうなんです。忙しい忙しいといっているうちにまた一つ年をとってしまいそう…。数えないようにしてはいても、あ〜大台が近い!
 26日は、「村」の出版祝賀会。奄美群島写真協会の方たちが開いてくれるのですが、秋名の人たちもいっぱい来てくれるようです。秋名の人々が主役なのでバスで送迎させてもらいます。区長さんも、昨日のNHKで流れたHGXの番組もとても喜んでくれて、会では地元新聞社の社長にいつもショチョガマや平瀬マンカイを掲載してくれるお礼をいいたいそうです。私どもはあまり大きな会は望みませんでしたが、秋名の方が喜んでくれるのであればと思い直しました。当社も忘年会も大掃除もこれが終ってからです!

ASIVIの夜 12.17

昨日、屋仁川のライブハウス「ASIVI」へ行ってきました。奄美にもアカペラグループが活躍しているんですねえ。3グループが出てました。すっごくよかったです。右写真は右から2番目の方が、たぶん麓さんで、ここのオーナーです。まだ、30才らしいのですが、いい空間を奄美につくりました。一番左の黒い帽子をかぶっているのは、元ヤナギヤクウィンテットのメンバーですよね。いいなあ。実は、高校生の娘の保護者として行ったのですが、入場料がワンドリンク付き1000円とは、安すぎますよ。ちょっと煙草臭かったけど、叉行くぞ!週末はなにかのライブをやっていて、それ以外の日はレストランバーとして飲み物や食事もできるとのこと。そういう所だったとも知らず、若い子たちしか行かないのかと思っていました。40代でもおかしくないみたい。ふふふ
 ラッキーだったのは、飛び入りで中孝介と朝崎郁恵さんが特別ゲストでステージで歌ったこと(左写真)。朝崎さんは、今、考介君がお気に入りみたい。すごいですよ。およそ半世紀近くも年の差があるのに、渋さと若さが共演できるのですから。朝崎さんの声は、不思議な魅力ですね。古典島唄が、ジャズのように聞こえました。来年2月には、この二人の歌が入ったCDがでるそうです。題名も決まってないようだけど、今、奄美は島唄の新しい時代を迎えようとしています。
 そうそう、来年、1月27日には東京で「夜ネヤ島ンチュリスペクチュ!!」をやるそう。それも凄いメンバー、奄美からは貴島君、サーモン∩ガーリック、バナナマフィン(この人まだ聞いてないけど)、あちらは、リッキ、元ちとせ、里アンナ、朝崎郁恵、ボックスフォーのケイコとコージロー、ネリヤカナヤの豪華メンバー。みんな、若い中に朝崎さんがダントツ。朝崎さんは、カーネギーホールでも歌ったことがある天才唄者とか。蔵満センセではないけれど、行きたいなあ!今なら、まだチケットが少し余っているようなのです。

奄美のグスク  12.16

 昨日は瀬戸内町図書館で奄美考古学の先達者、中山清美さんの「奄美の城(グスク)」の講義を聴きに行ってきました。奄美に沖縄のような石垣様のグスクがありません。掘り切りがあったり、高倉を立てたような後が残っているだけ。それらは、沖縄のグスクより古く、このグスクをつくった奄美の按じが琉球へ行き、琉球建国にかかわったと見られるようです。以前、高梨さんからも、「おもろそうし」に琉球の先祖は北から来たと謡われていると聞いたことがあります。奄美では島が小さすぎたのでしょうか。これは非常に面白いですよねえ。琉球の祖は、奄美だった!また、考古学を特集したいですね。
 奄美には3種類のグスクがあり、山のなか、海沿い、集落の神高い場所にあるそうです。でもすべて海を意識しているそうです。中山さんによれば、これは中国など大陸との大交易があったからではとのこと。グスク跡からは、当時宝物であった青磁や白磁がでてくるそうです。そっかあ、中世が面白くなってきましたねえ。宇検村の倉木崎水中遺跡もにわかに光って見えます。勉強しなくては!残念なことに、デジカメを忘れて写真をカバーできませんでした。
 急いで瀬戸内から帰ってきて、デジカメをもって龍郷で打ち合せをしたら、もう6時。ビッグ2でシクラメンの鉢を買って、ポインセチアがあまりに可愛かったのでやっとぱちり。そんなことしてたら、わ〜、有屋あたりから凄い渋滞で、全然動かないのです。結局有屋からかえるまで40分くらいかかったのですよ!半日ずっと座りすぎて腰が痛い!です。
 

行きはよいよい帰りは怖い 12.14

 夜、古仁屋へ行って帰ってきました。行きは古仁屋行きラッシュか?と思えるほど車がいっぱいだったので寂しくありませんでしたが仕事を終えて帰ろうとした9時45分頃には、名瀬に帰る車はほとんど無くなっていて、まずいなあと思いつつ飛ばしたのです。やはり帰りは怖い。瀬戸内は戦時中、陸軍の要塞があって、噂では兵隊さんの…がでるとか。う〜、これ書けない!
 それから瀬戸内はケンムンの話も真顔でするところ!実は私は大の怖がりや。ケンムンは話だけなら面白いけどやっぱり一人ではお会いしたくない!ので、ドキドキしながら、すっ飛ばしてきました。やだやだ!会いたくない!でも、本当に会ってしまったらどうしよう!何て思いながらバックミラーは見ないようにして早く城トンネルに着くよう、頑張って走りました。
 やはり、こんな時ラジオが聞けるのはいいですよねえ。人の声にほっとします。だから、ラジオ難聴区域は無くさなくてはいけません。災害時だって、走っている人は情報が得られないのだから、困るのです。娯楽のためのテレビより、もしものときのラジオのほうが大切だと思いませんか。私は走りながら聴くラジオが大好き。走りながらニヤニヤしてしまいます。これって年なのかも?だって若い人はラジオよりCDやMDなのでしょう?でも、ラジオのが退屈しませんよね。野球放送は嫌だけど。
 帰ってきて、ハア、ビールを一杯、やっとほっとしました。でも20日にまた同じ思いをしなければなりません。怖いけど仕事だから頑張るぞ!年末もぎりぎりまで仕事。今度はテープでも持っていこう!桑田くんでもかけよっかなあ…。


再び島唄について  12.13

 今日、朝から市役所紬観光課へ行ってきました。勿論、仕事の話だったのですが、話の中で島唄を聞かせる店が少ないという話になりました。奄美では常時OKというところは、やはり西和美姉さんの「かずみ」ですよね。あとは予約で屋仁川の吟亭かな?これは松山美枝子さんのうどんやさん、ばしゃ山では山下聖子さんが団体の予約があるときだけ唄ってくれるみたい。お店としてはそんなところかなあ。ASIVIは、いつも島唄というわけではないし…。
 沖縄ではギンギンの民謡酒場がいっぱいあって、わたし大好き。だってほんと真っ赤なソファだったり、こてこての民謡歌手が沖縄民謡歌っていたり、みんながワイワイリクエストしたりで、沖縄の夜を楽しんでしまうのです。そうそう、実は2番目の娘が来年から沖縄にいくので、年に何回かは沖縄通いができます。これは、大変うれしいこと!!
 で、話は戻りますが、島唄のお店が少ない。沖縄では伝統芸能を守るために、芸人を公務員にして、生活の保障をしたという話をなにかで読んだことがあります。奄美でもプロとして食べていくのは難しい。沖縄では公務員の歌手や作家がいますよね。奄美でも人材確保のためになにか手立てはないでしょうか。高校を卒業すると、若手歌者たちは職や進学のため、島を離れます。島へ帰ってこれた中村瑞希さんは本当によかったのですが、みんないつの間にか、都会に行ってしまうのです。あ〜、もったいないですよねえ。なんとかしないと、奄美はいつまでたっても人材流出の島になってしまうのです。

ホライゾン15号に向けて 12.12

ホライゾン原稿執筆者の方々で一番原稿が早い方は、芳賀日出男先生です。なんてたって、もう、15号の原稿が届いてしまったのですから。素晴らしいというより、驚異です!。次回は紬織りにしましょうと打ち合わせをして、先日奄美をお帰り頂いたばかりなのに、いえ、まだ14号の写真もお返ししていないのに、む〜、これは大変なことになりました。すこ〜し、のんびりできるかななんて思っていましたが、もはや、15号に向け、戦闘開始か!。
 と言うわけではないのですが、次回はカケロマ島特集のほか、島々の巨大樹、炭つくり、ふち餅、奄美の果樹野菜特集などを考えております。まだ、執筆者のかたには口頭でお願いしてあるだけ、来年下旬頃御願い状を出す予定です。それにしても芳賀先生、ありがとうございました。気を引き締めて頑張ります!
 そうそう、本日、やっと掲示板を表示してもらいました。でもカウンターがまだ。ま、数字を気にせず、淡々とやればいいかあ…。
ところで、こういう時期はなにをするかというと、通常の印刷物の制作業務のほか、知識を広げるための読書、新聞の切り抜き、あ、それから噂話にミミを傾けるため、え、ちょこちょこ飲みに行ったり、食べに言ったりあっちこっちおしゃべりも楽しみます。小さな島でも、興味は次から次へとあるんですよ。
 今、やはり歴史が面白いですね。日本のなかの奄美、薩摩のなかばかりか、日本のなかでの奄美の存在にとても興味を覚えます。そういえば、徳之島で旧石器時代の石器が先日確認されました。やはり南島から、人々は北上したのでしょうか。幕末における奄美の存在もとても興味があります。今、ちょっと取材しているのですが、こちらの人が考えているより、はるかに重要な島であったような気がします。これは、そのうちまた詳しくお話しましょう。





まだ余震が続きます。 12.11

 昨日も今日も時々震度1〜3程度の余震が続きます。このビルは見かけは頑丈そうなので安心していますが、やはり築17年くらいたっているので心配です。周りにはあまり高いビルはないので倒れてくることはないとは思いますが。みなさんのところはどうですか?
 全然、話は変わりますが昨日蛇腹レコードの森田さんが見えていろいろ奄美の若手歌者の近況をお聞きしました。山下聖子さんがどんどんうまくなっている話、中孝介くんが琉球大学へ来年から行く話、貴島康夫くんがなかなか話し上手な話、喜界島の歌姫たちの話、大笠利島唄倶楽部の変声期がある男の子のためにチヂン講習の話、いろいろあっちへ飛んだりこっちへ飛んだりでもう、楽しくって楽しくって。森田さんて、ほんと面白いです。ま、自分では面白くしているつもりはないのでしょうが、ユニークでユニークで、大笑いしてました。
 市役所勤務の芸人、サーモン∩ガーリックの方たちは、最近島唄をワンフレーズだけだったのが、一応歌えるようになったとのこと。あ〜、聴きたいなあ。来年2月にまた島唄ライブをするそうですが、ASIVIにお願い!もっと頻繁にやって!せめて月1!お願いします!島唄と何かのセッションも面白いですよねえ。そうそう、里国隆のお孫さん(女の子)が島唄大会で唄ったそうですね。風貌も声も、ちょっと似ているとか。まだ小学6年なので、未知数ではありますが。
 そうそう、以前NHKで喜界島の中学生の女の子を特集していたのですが、名前がわからないのですが、すごい美人さんでしたよね。名前、知ってます?もちろん三味線も弾いていてかっこよかった!です。あ〜、奄美にはかなり若手の島唄人材がいっぱいですね。すごいことですよ、これは!!ホライゾンでも、そのうち島唄第二弾で、この辺やりたいですねえ。

名瀬震度5弱!!12.9

朝、5時29分突然恐怖映画が再現されたかのような揺れがありました。やばいぞ!と思う間もなくやばいやばいから恐怖に変わりました。子どもの頭の上には、机の上の乱雑さが襲い、裁縫箱が落ちてきて後で気付いたら挟みも落ちてきていました。しばらく布団の上でこわばっていましたが、起き出してみると、食器戸棚の上の段からは頂いた泡盛やらウィスキー、お客さま用のグラスが倒れ、床に散乱!これは平成7年頃、一度奄美で経験したものと同じぐらい。あの時は、8階にいたので、揺れは大変なものでした。揺れて倒れてしまうかと思ったものです。
 30分程して商店街を回ったら、焼酎びんを片付けているお店の方を取材させてもらいました。こっちもまだドキドキしていてお忙しい所、すみませんね。9時過ぎには名瀬市里集落で瓦が落ちてきた被害の写真を撮ってきました。何故かこのあたりの川沿いに被害が多かったようです。不思議です。
 知人に消防署のかたがいるのですが、夕方、たまたまお会いしてそのときの状況を聞いたら、まず、消防車を車庫から出すので大変だったそうです。だって、車庫が崩れたら、車が非常事態には出動できないからです。それから、ワンワンなるマスコミからの連絡、知人は危険物取扱いなので、全島100箇所近くに安全の連絡をしたそうです。
 幸い、大きな事故の連絡はなく、これら以外には水道管の破裂で断水をしたところが合った模様。まだ、ときどき余震があって不安ですが、こればかりはどうしょうもありません。今、聞いたら甲信越地方、新潟でも地震があったとのこと。もしかして日本列島を襲ってきたりして!!う〜!コワイ!!
 (すみません。手違いで掲示板を消してしまいました。もうちょっと待っててください。今、修理中です。)

すすきと雲 12.8

あっという間に時間がたち、3日も日記を書いていなかったようです。そういえば、レンチャンで飲み会でした。金曜日は、奄美ティダネシア塾の例会をしたあと、懇親会を兼ねて。この会、市役所メンバー3人、名瀬港運の人、宇検村からきた鹿児島出身女性、東京足立区出身地域婦人会の女性、と私、ヨロン役場の人は遠距離のため、やむなく欠席でしたが、地域興しのシュミレーションの会なのですがとても面白い。カケロマを選び、地域興しのテーマや方法を考えるのですが、カケロマにとどまらず、奄美がかかえる問題ほとんどすべてが集約されてくるから勉強になりますね。本当にみんなで何かを立ち上げようかと思うくらいです。行動をおこさなければ、いくら偉い人が講演しようが、議論しようが、所詮、机上の空論なのですよね。
 土曜日は少年スポーツ団の忘年会。でも、こども抜きなので、こどもは釈然としない様子。ごめんね。ということで、帰りにおみやげを買って帰ったのです。
 今日は、すすきが風に揺れる笠利路へ。走るたび、少しずつなのですが、奄美の季節が違ってくるのです。いつもハイビスカスではないですよ。秋には秋の草、秋の雲、風、光…。今日の雲はおもしろかったですね。うろこ雲のようで、見上げながら車を走らせていました。これは、ビッグ2の駐車場。写真を撮るためだけに入りました。ひえ〜、トップページのカウンタバーのところ?が消えてしまった!!

ホライゾン14号、本日到着。12.5

 本日14号、到着。早かったという人もあれば、ああ、やっとと言う人もあり、いろいろな感想です。本屋さんには明日お届け、定期購読者の方には本日、郵送いたしました。もう少し、お待ちください。
 表紙はアダン。一村が好きだったのもあるし、奄美というとイメージはアダンがある海でしょうか。このあたりが沖縄と違うという点かも。よく、奄美らしいイメージという写真の依頼はこういったアダンの海なのでした!!
 今回は天然塩つくり、正月には欠かせない三献料理、カンツメ伝説や嘉徳なべ加那、奄美の歴史がすごい反響でしたが、今回は論争の可能性があるという平家伝説、そして鉄器文化到来、奄美の暗いイメージの代表、ハブの意外な面白話、45年前の大熊新穂花、紡ぎ組合100周年記念として、茂野幽考の絵入り紬秘話などなど。執筆者、ご協力者の皆様、本当にありがとうございました。
 ちょっとマニヤっクッて感じもするけど、深ーい奄美を語るにはどんどん深く掘り下げないと!!で、巻頭は、アマミアン・サンセットで、ゆっくり奄美の夕陽に酔って見よう!夕陽の島、奄美アイランド!

名瀬みなとまちづくり  12.4

 名瀬市では今、港と連動した商店街活性化を含むまちづくり議論が盛んです。なぜか、また委員になってしまっていて、前回は奄美パークオープンと重なって行けなかったので今回始めていきました。女性ひとりだったけど、隣りが奄美自然観察の森の作田祐恒先生だったので、リラックスできました。
 島はやはり海から魚や人やものといった幸や恵みがやってきたのですから、港がもっとアピールされてもいいですよね。私は、船の旅が大好き。だって、解放感があっていいじゃないですか。昔、家出!をしたときはお金もなかったからでもありますが、船でしたねえ。船にのると張り詰めていた神経がふーっと楽になるのを感じました。そいでもってビールを一杯飲んで、グーグー寝る!ゆらゆら揺られて反省したりして。海に抱かれている感じですよね。今の名瀬港はちょっと綺麗ではないです。これをもうすこし、ロマンティックにして、船で来るひとたちに島の海のロマンを語れる所にできたらいいなあといつも思います。人は貨物ではない!のですからね。人が集まってきたくなるような物産を含めた拠点施設、ほしいです。

海辺の忘年会 12.3

女10人の忘年会、今年は気分を変えて笠利のばしゃ山で鍋を囲みました。ま、みんなあんまり飲まないので今回は食べることに専念。しゃべるわ、しゃべるわ、笑うわ笑うわ、食べるよりしゃべったことでみんな結構憂さ晴らしをしたのかもしれません。脈絡無くあっちいったりこっちいったり、話題は女性議員を増やす話から、皇室雅子さんの女児誕生、噂話、映画の話、などなど、鍋の具より次から次へ。
 観光客の女性の声が聞こえたのですが。「ハワイよりいいわよね〜!!」と感激した様子。ハワイへ行ったことないから、比較はできないけれど、そういう話はよく聞きますよね。
 一番最後まで居残りしてしまいましたが、帰りに笠利町歴史民俗資料館の中山清美さんにばったり。新聞紙上で浜田の「村」をとても評価してくださっていましたので、ご挨拶。久しぶりでした。
 奄美の偉大な自然に感謝しつつ、ばしゃ山のワゴン車で名瀬へ送ってもらったのですが、パジェロのサンルームからは夜空に瞬く、★がみえたような。そうそう、龍郷町役場前では、クリスマスツリーの豆電球がいっぱいちかちかしていました。市内のNTTのツリーがなくなり寂しくなりましたが、、みこころ教会のツリーがきれいですね。車のなかでも運転手さんが沈黙するなか、熟女のお姉さまたちの話は尽きる事無く……。さあ、師走、忘年会真っ盛りですが、仕事ももう一頑張りしなくっちゃね!!

ハリーポッターin奄美 12.2

 昨日、子どもと一緒にハリーポッターを見に行きました。12.1全国一斉ロードショーなのです。つまり、奄美にいても、東京の人たちと同じように、見られるのです。いえ、きっと東京で見るより楽、だって、人口が少ない分、競争率も少ないわけで、興行主は大変かもしれませんが、前回「千と千尋の神隠し」同様、家族連れで大賑わいでした。140人入る定員をオーバー、私は151番目でしたが、最前列の設けられた仮座席に座り、グワーっと楽しんできましたよ!。
 魔法の国の暗黒の時代に一人だけ生き残ったハリーポッター少年が、魔法学校で繰り広げる奇想天外な活躍がとっても面白かった!ポッター少年の初々しいこと。いいですねえ。少年も美しい!原作を読んでいなかったので、ちょっと追いつけない所がありましたが、この原作は世界中ですごいベストセラーだそうですね。離婚して大変だった作者が一躍大人気作家になって、印税がいっぱいでしょう。離婚しなけりゃ良かったなんて、元旦那は思っていたりして、ははは。
 奄美のシネマパニックは超満員。川上さん(ここの社長。実は元信用金庫の社員で、わが社担当だったの。同じ年齢でよく夢を語っていましたっけ。)、やはり、家族で楽しめる奴、お願いしますよ。写真が真っ黒ですが、雰囲気だけでも、どうぞ!
 で、今日は、これから、ばしゃ山で、女性だけで海辺の忘年会!飲みやすいカッコして行ってきま〜す。