第1章.「蔓無源氏」の造りの原点となる「大正の一滴」が造られるまで

「大正の一滴」を初めて仕込んだのは、平成12年の秋です。

この3年前に、「いも麹 芋」を初めて仕込みました。「いも麹 芋」は、平成11年12月から、全国の酒販店で売られるようになったのですが、「いも麹 芋」を仕込む前は、杜氏(安田)と私(笹山)は、「さつまいも100%の芋焼酎というのは、より個性のある、独特の焼酎になるだろう」と思っていたのですが、いざ造ってみると、非常にキレのある、スッキリとした芋焼酎に出来上がり、ある意味、予想外の焼酎となりました。

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それで、より個性のある芋焼酎を造るために、杜氏(安田)が考えたことは、「しっかりとした米麹を造ること」でした。その時に参考にしたのは泡盛の造りで、泡盛は、全量米麹(黒麹)で造られますが、泡盛では、麹を老ね(ひね)させることがあるという話しを聞いていました。また、杜氏(安田)は、「黒麹による芋焼酎が定着した大正時代の人たちは、製麹(麹造り)にも発酵にも、もっとゆっくり時間をかけていた。ひょっとしたら、その頃の焼酎の方が今よりも美味しかったのではないか」と考えるようになりました。そこで造った焼酎が、大正時代の造りを再現しようという芋焼酎で、黒麹での培養時間を長く延ばし、2次もろみの発酵日数も20日間(通常の2倍程度)ぐらいまで引き延ばしました。常識や効率にとらわれず、じっくりと醸した芋焼酎「大正の一滴」ができあがりました。

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