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山郷エリアの史跡ギャラリー

  山郷エリア(伊須・阿木名・網野子・節子・嘉徳)

  伊須:外人墓(オランダ墓)  トネヤ 

  阿木名:重野安繹木碑  

  網野子:厳島神社  お地蔵様     

  節子:厳島神社  奉安殿  村上春子墓   

  嘉徳:鍋加那の墓  鍋加那の滝  嘉徳遺跡 


伊須
外人墓(オランダ墓)
 1771年6月(新暦7月)、伊須湾にオランダ船が漂着(難破)した。漂着したのは、ハンガリー生まれのポーランド軍人ベニョフスキーとその仲間であるが、全部で6、70人いたらしい。座礁した際溺死した仲間をここナガネ山の旧墓地に埋葬した。
 以後、外人墓、オランダ墓と呼び現在まで伝承されてきたが、集落の日本人の墓は海岸沿いの現在の新墓地に移された。外人墓はそのまま鬱蒼と樹木が茂る旧墓地に残されたままになっている。


伊須集落トネヤ



阿木名
重野安繹木碑

重野安繹先生は、薩摩藩から西郷隆盛と同時期にここ奄美大島に流された人物である。西郷隆盛は龍郷に、重野先生はここ阿木名に流されたが、西郷が龍郷に謫居していることを知ると、片道3日かけ龍郷の西郷隆盛に度々会いに行ったそうです。
 平成22年に、寺小屋のあった場所に新たに木碑と説明板が建てられました。




 ← 左の木碑は、根元が腐り倒れてしまったため、阿木名集落区長さんの家に保管されていたものです。      



網野子
厳島神社
準備中


網野子お地蔵様
準備中



節子
厳島神社
準備中


節子小の奉安殿

村上春子女史お墓
準備中



嘉徳
鍋加那の墓鍋加那の滝
  歌詞の内容から親不孝者とか身体障害者だったのではとか諸説ありますが、現在では神に仕える神女だったという説が有力視されています。墓石をひっくり返すと表に刻まれた名前とは別の本当の名前?が彫られているという話を墓石を調査したことのある歴史研究家から聞いたことがあります。
  元ちとせが奄美民謡大賞を受賞した時の曲は「嘉徳なべかな節」でした。ちなみに歴代の奄美民謡大賞受賞者20人の内9人がこの「嘉徳なべかな節」を歌い大賞を受賞しています。平成21・22年と連続で川畑さおりさん、里歩寿さんが「嘉徳なべかな節」を歌い奄美民謡大賞を受賞しています。


嘉徳遺跡