2001年4月の編集日記


<<現在の日記へ ←5月以降 3月へ→

クッカルーが鳴いた!2001.4.30

 今日は朝のうち、激しい雨と雷がなり、なんでこうなるの?というかんじだったんですが、(だって、洗濯物も干せないくらい凄まじい豪雨だったから)、午後にはなんとか晴れてきて、4月最期の日となりました。
 一日中、デスクワークでした。夕方、息子がプールで昨日から毎日泳ぐので、親としても、ちょっとは見に行かなくてはと出かけました。
 すると、「くっかる〜」と耳にやさしく、響いた鳴き声、あ!アカショウビンがやってきたんだ。そろそろ、そうだったと息子はそっちのけで、とてもうれしくなりました。リュウキュウアカショウビンは、夏鳥で、4月下旬ころから、やってきます。朱色の大きな口とその鳴き声は、島に初夏を告げる鳥として知られています。田中一村も愛した鳥で、奄美の野山を飛び回ります。昆虫やカエルを食べるようですが、以前、オカヤドカリを岩にぶつけて、中身だけを食べるのをテレビでみたことがあります。頭いいんですね。
 リュウキュウアカショウビンは、留鳥ではなく、天然記念物でもないのですが、なぜか、奄美と縁が深いようですね。民話などにもよく出てくるのは、やっぱり、あのやさしく甘い鳴き声が、人里すぐ近くで聞こえるからでしょうね。ひゅるるるるる、くっかる〜。残念ながら、写真はとれません。(ゆ)

奄美のソテツ2001.4.29

奄美の島々にそこかしこに生えているソテツ。これが今、新緑で風に揺れ、とても美しいシーズンです。街路樹にソテツというのはとてもすきです。ソテツは、今から2億年前に地球上に現れたって知っていましたか。わたしは、県立博物館で、2億年前の予想図というものをみてびっくりしました。だってね、今の奄美とほとんど変わらない風景なんですもの。ソテツがあって、へゴがあって。
 でも、ちがうところが一つだけありました。それは、なんと巨大なゴキブリでした!!。そう、ゴキブリは昔は巨大だったのですね。生きるために進化を遂げ、今のように強力な殺虫剤にも次々に適応してしまう生命力あふれるものたちなのですね。
 ソテツは蘇鉄と漢字でかきます。鉄を蘇らすと書くのですね。ですから、奄美では泥染めの泥田が養分や鉄分が少なくなった時、蘇鉄の葉をいれてきたのです。もちろん、飢饉のときの救荒植物としても知られていますのね。ソテツは奄美を守った植物。これをもっと大事にしたいですね。(ゆ)


2001.4.28 立神

昨日は良い陽気。名瀬の入口にある岩の島、立神もいい陽気を喜んでいるようでした。
 そこで、従業員みんなで、夕方、オープンしたばかりのビアガ―デンに行ってきましたよ。ビッグフィッシングが長浜の港に面してにオープンしたホテルの上にできたビアガーデン。夜は涼しすぎたけど、夏は良い感じだろうなあ。ビールと焼酎をいっぱい飲んで食べて、予算オーバーでしたけど、ま、いいか。
 で、バスで送ってくれることをいいことに、旧港にあるジャズのライブのお店、マヤスコへ。意味はふくろうだったとおもいます。生で聴くジャズはいいよね。べちゃべちゃしゃべるところでは、ないのですが、ちょっと酒癖が悪い一人が結構のってまして、あ、ちょと乗りすぎだったよね。太くんははやばや退散。神風だとか、ピーチフィズだとか飲んで、ま、たまにはいいよね。はやく、仕事終わらせなくっちゃ、そとに出られやしないもんね。がんばりま〜す。左ガビアガーデン、右は立神をみる佐大熊周辺。立神付近で遊んだ夜でした。ではまた。(ゆ)
 






島尾敏雄文学碑2001.4.26

 今日、弓削政己さんに聞いて、県立図書館奄美分館にいきました。なにを聞いたかって?実は笹森儀助という幕末から明治の人の書物に、奄美の紬柄がたくさん書いてあると言うことを聞いたのです。儀助は青森出身ですが琉球列島を調査してまわり、、「南島探検」と言う書物を書いた人でも知られていますが、実はそのご大島支庁長にもなっているのです。そのとき、紬も調べたとか。残念ながら、分館の人ではそれがどれなのかは、分からずじまい。また、弓削さんに聞いてみなくっちゃ。
 「病める葦も折らず けぶる燈心も消さない」という島尾敏雄文学碑に見とれてきました。これは、聖書のなかの一節らしいのですが、とても勇気が湧いてくる言葉に感じて、こういう言葉は、やはり、一人で感じ入るほうがいいなあと思いました。東京で学生だったころ、友人が島尾ファンで、「死の棘」の話をよくしてくれたことを覚えています。奄美はその人の聖地だったのですが、わたしが、まさか、この地にくることになろうとは思っておりませんでした。
縁とは不思議なものですね。そして、島尾敏雄と田中一村が、同時期同じ奄美の空気を吸っていたなんて。ふたりは接点はあったのでしょうか。そうそう、里国隆もいたはず。なにか、濃密な空気をかんじますよね。(ゆ)

あ、やばかった!2001.4.25

いま、ちょっとした弾みにデジカメの写真が文字の上いっぱいにのってしまい、あわてて消したのですが、あ〜やばかった。もしかして、全部消えるかと思いましたよ。23日のイラストが壊れているといわれたので、今、直してちがうのを入れてみましたけど、どうですか。ちょっと重過ぎるのでしょうか。むむ、分からない!メカが駄目なわたくしなので理解してやっているわけではなく、おしえてもらったとおりにやっているだけ。もう少し、把握しなくてはね。今日は、ですから少し控えめに。日曜日に、こども劇場でお芝居「番ねずみのヤカちゃん」をみてきました。低学年向きかとも思いましたが、すごい熱気でした。家ねずみが大きな声をだすようだったら、それは、泥棒よけの番をするヤカちゃんかも!だって。うん、でも我が家にいたら、やっぱり、だめだろうなあ。(ゆ)












島に大学を 2001.4.24

 今日は次女の家庭訪問でした。高校3年生なので、話題は当然進路のことになります。娘はお菓子やさんになりたいといって専門学校にいきたいといいますが、年子なので島から同時に2人の学費、食費を送ることは、親は大変な負担になります。それでも、多くの親ごさんがたは、苦労してお金を工面するのですね。

 島の人たちの教育熱心さには、本当に頭が下がります。奄美のこの教育熱心さというのは、さとうきびで薩摩藩に搾取された歴史から紐解かねばなりません。奄美は、日本のなかでも植民地支配をされた唯一(かどうかは定かではありませんが、数少ないなかの一つのはずです。)ヤンチュという奴隷まで生み出した圧政は明治政府になっても、中身はなんら変わる事無くつづいていたのです。

 これに反発した洋行かえりの丸田南里は、島民に呼びかけ、この撤廃に尽力しました。でも、直訴しにいったはずの南里たちは、西南戦争に巻き込まれ、命からがらにげかえったのはおよそ半数。彼らの第一声は「これからは学問ど!学問ど!」というものであったそうです。

 権力に打ち勝つのは学問。そう悟った島びとたちは、こどもの教育にめざめたのだそうです。それから奄美は人材の島といわれるように、いろいろな人たちが外へ飛び出していったのです。
 そこまではいいのですが、人材産出の島は、人材流出の島でもあるわけですね。島のお金は、外にでて、お金がかかった子らは帰ってこない。こんな現状が奄美しはあるのです。
 あ〜あ、奄美にもっと学べる機関があればいいのにねえ。島のお金が島で循環するばいいのにねえ。一方通行だものね。今、奄美看護専門学校が一つありますが、これができただけでも、活気がでましたよね。もっとなんとか他の専門学校や大学ができればいいのになあ。ほんと、大変!(ゆ)

カケロマ島の天然塩  2001.4.23

 最近、塩が人気ですね。沖縄の離島でもトカラなどでも聞きますが、ここ、奄美群島でも、カケロマや徳之島やヨロンでも、海水からくみ上げて、天然塩をつくっています。魚料理やバーべキュー、野菜炒めなどにも、塩っ辛くなく
まろやかな塩味なのです。14号では、この塩つくり体験を展開してみようと思っています。海に囲まれた奄美は、もとより、天然の塩を先人達はつくっていました。徳之島でも、沖エラブ島でも、塩造りの跡が残っています。エラブのフーチャがある国頭地方では、昔から塩害がひどく塩しかつくれなかったそうです。それで、塩を売り歩いたのだと聞きました。その地方が、今では農業で天皇賞までもらうようになったのですから、人々の」苦労は並大抵のことではなかったでしょう。徳之島には、ミヤドバルという塩作りをしていた洞窟のようなところがあって、下手な観光地よりよっぽど、迫力がありました。先人達の自然から得る生活の知恵には今更ながら驚かされます。あ〜、連休には、カケロマへいって塩造りでもしたいなあ。知り合いの榊さんというひとが、「さんご塩」をつくっていて、これが最近、とても人気なのです。みなさんも、是非、ご賞味ください。彼のところは、カケロマ徳浜。体験もさせてくれるそうですよ。ときどき、名瀬に来る時、立ち寄ってタバコとコーヒーを飲んでいきます。例のごとく、イラストを挿入しました

悩んでいます。2001.4.21

実は、今春卒業した娘がアメリカに行ってしまいました。外国に行きたくて行きたくて、
家出しても行きたいというので、親も悩んだすえ、行かせました。案外、お金はかか
らず、ほっとしているのですが、今、音信はメールのやりとり。電話より、安くて、スピ
ーディなので、これはいい事だと思っておりました。学校のコンピューターを借りてい
るので今,お金はかかってないはず。でも宿題もパソコンでやらねばだめになってくる
らしく、日本製を買おうか、アメリカ製を買おうか、悩んでいます。アメリカのものは、日
本では使えないそうです。でも日本のものは、送料もかなり高い上、接続がかなり、
大変とのこと。う〜ん。どこで、なにを買えばいいの?わたしたちの老後は、パソコン
なしには、考えられなくなるかもしれませんねえ。大変な世の中に突入しました。(ゆ)






















連休はどうするの?2001.4.

連休はみなさん、どうする予定?わたしたち、きっと仕事だわ。いえ、絶対!仕方ないもんね。別にサボっていたわけではないのだけれど、あれやこれや、やることがいっぱいあって、それにもう頭が全然回転しなくって。これって、もはや、ぼけ症状なのでしょうか。あ、更年期か。なんだ。
 昨日、前田芳之さんという樹木医の人が見えました。毛虫の本を東海大出版会から、もらっていたのがあったのですが、開くだけでも気持ち悪いので、差し上げました。喜んでいたのはいいのですが、奄美に巨大なゲジゲジやストライプのかっこいいゲジゲジがいると目を輝かせていました。う〜ん、見たくない。前田さんから分けてもらったソテツに虫がついてしまい、あんなに強いソテツも葉を枯らしてしまいました。それで、葉は全部、カット。新しい葉が出てくるまで、待とうという事になりました。門がまえにソテツというのもかっこいいですよね。庭いじりもしなくては、郡山眼科さんに申し訳ないのですが、今、雑草も生やしております。珍しいパッションの原種というものが、赤い花を咲かせだしました。ホントむずかしいんだから。では、また。(ゆ)

またまた、出ました!イラスト展にしよう!2001.4.18

 またまた、載せちゃいました。ちょっと重いけど、ノっているので、貼り付けてみました。夕飯前の月かな?
では、次回もお楽しみに。作画;アンリ


イラストをご紹介します。2001.4.18

今日は、一日中ポジ選び。そとに出られません。そこで、退屈しのぎにイラストをご紹介しますね。ちょっとでかいけど、面白いでしょう?家の娘の習作ですが、笑っちゃいました。これをどうにか、伸ばしてあげたいと思うのは親ばかかもしれませんが。でも娘は、お菓子屋さんになりたいといってます。ま、彼女の選択ではありますが、奄美高校情報処理の授業に期待したいものです。奄美高校といえば、大島紬のデザインとか、小物のデザインなど、いろいろ生徒にやらせるのも、島興しに繋がるのではないかと思っています。やはり、若いセンスが今、奄美に絶対必要なのです。都会に憧れていく彼等こそ、都会のセンスををいちばんよく知っているのでは?。つまり、都会の消費者に一番近いのでは?郷土料理にしろ、大島紬にしろ彼等を島興しに参加させることを、私は提案するのですが、いかがですか。具体案を是非考えましょうよ。
では、今日はこの辺で。(ゆ)












2001.4.17雨でしたが、ほっ!

いやはや、なんとなく、ははは、ほっほっほ。とりあえず、すこしゆとりを取り戻しました。ありがとう、水間様。
でも、毎日、こんなんじゃあ、仕事が手につきませんよね。明日は、しっかり、仕事仕事!
 今日は一日中雨。なんで?というほどまたまた涼しくなってしまいました。そろそろ野山はイジュの薄黄色の花でおおわれるでしょう。今は、車輪梅の白い花や、野朝顔の薄紫色の花が、目につきますね。花の季節、いよいよ本格的な奄美のシーズンですよね。でもこのまま、梅雨に突入なんてことにはならないでしょうねえ。去年も長雨。そうそう、そろそろスモモが気になりますね。今年の作柄はどうだろう。ここ2〜3年、スモモのジャムをつくってないのです。作るほど安く出回っていないし。スモモジャムは、ヨーグルトと食べるとおいしいんですよ〜。たけのこもシーズンですよね。あ、ゴーヤ−もだいぶ色よく、大きくなってきましたね。
あの、苦味としゃきしゃき感がたまりませんよね。わたしたちの新婚の味なのです。初めて食べた南の島の味は、ゴーヤ−。あの新鮮さと苦味がその後を象徴しているようでした。ま、ま、いいでしょう。では(ゆ)

マックが故障した!2001.4.15

あ〜。やばいやばい!マックコンピューターが故障してしまいました。簡単な故障かと思ったら、なんとすごいことに!。情報が全部消えてしまっていたらどうしよう。こんなことってあるの?コンピューターってこういうところが恐い。一体全体直るのかしら。なおってもデータが消えてしまっていたら、あ〜。どうしよう。ということで、今日はとても、ゆとりのない浜田でした。(ゆ)

田植えをしてきました。 2001.4.15

 いやあ、今、田植えから、かえってきたところです。いい天気で、本当に田植え日より。風もなく、うらうらとうらうらと心地よい疲労感につつまれています。家族は3人。息子と太クンの3にん。で、彼は、川の水で足を洗ってから、その場で昼寝モードに突入してしまったため、おいてきました。田んぼには、おたまじゃくし、ジャンボタニシ、トンボ、ヌマかえる、鳥(度忘れ!きしきしと鳴いていました。)などがいて、新緑の黄緑色になった野山に囲まれて一日幸せでした。最近、閉じこもりがちだったので、運動不足も手伝って。大丈夫かなと思いましたが、なんと3時間半で終わったのです!。え〜で、今、とても眠いのですが、今日の田植えの成功は、まずは秋名の悦田さんご夫婦のおかげ。砂子ネエの野菜煮物もほんと、おいしかったよ。おじさんのこと、ほがない、ほがないといってぐちをいってましたが、ぐちとのろけがない交ぜになっていて、いいコンビ。
わたしらも、こんな夫婦になれるでしょうか。で、感謝を込めて、はい。また、行くからネエ。(ゆ)

鈴木えいすけさん現る。 2001.4.13

 今日、突然、カケロマ島に住んでいる鈴木えいすけさんというイラストを書く方がみえました。本当にとつぜんでした。それも、島尾ミホさんのお宅にアポイントなしで、お邪魔して3時間もいろいろお話をしてきた帰りだとのこと。なかなか、やれることでは、ありません。それも、お昼ご飯までご馳走になったとか。まったく面識もなにもなくですよ。このかたが描いた奄美のイラストをご紹介しましょう。
ね、面白いでしょう?これ、写真がおかしいけれど、奄美の妖怪、ケンムンなのです。ちょっと太っちょのケンムンですねえ。でも、愛らしくて。こんなんだったら恐くない。いろいろ描いていて、絵はがきにしているんです。今回ホライゾンにちょっとだけ、コメントを書いてもらおうと思ってます。童話作家を目指しているそうで、ホント、頑張ってください。では、ホライゾンで!(ゆ)









泥染めと車輪梅   2001.4.12

 今日は龍郷の戸口へ行ってきました。兄弟で泥染めをされているかたです。いかにも、筋肉だけの筋金入りの職人と言った感じ。龍郷は、ご存知、紬の古典柄龍郷柄の発祥地。今日は、風はありましたが、なかなかのお天気。こんな季節がいちばんいいようです。腰をかがめて続ける仕事は、ラジオもなく、ただもくもくと
やっている姿が印象的でした。ラジオなんて、反対に邪魔なのかもしれませんね。今日の特だね!は、龍郷柄は、龍郷町円ではないかという話。これは、岸田文司さんという染色指導所に勤めていた方の説ですが、う〜ん。いけるんではないか?。どなたか、詳しい方いらっしゃいませんか。(ゆ)



南島雑話の下書原稿、名瀬市にもどる  2001.4.10

 今日のニュース。幕末の薩摩藩士、名越左源太が描いた「南島雑話」の下書原稿が、子孫の方から奄美
博物館に寄贈されました。今まで写本すら、なかなか見せてもらえなかったのに、本人直筆の生本だもんね。わたし、この眼でしっかりみてきました。ワイルドなタッチでいきいきと描かれていて、写本はやっぱりにせものよネエと言う感じなのです。紙はぼろぼろなのですが、墨の色ははっきりしていて、顔料もあまり褪せていないようにかんじましたが、かかれた当時はもっとよかったのでしょうね。「夢留(とどめ)」という資料には
藩に帰してもらえない恨みつらみもかかれているとか。へえ、はやく解読してくださいませ。でも、彼は島人にとても愛されていたようです。いくつもの書状には、同じ人のものが結構あって、丁寧なお礼状だそうです。はやく一般公開されますよう、教育委員会は資料を裏打ちといって修理するため、相当なお金がかかるそうですが、これは奄美の財産。お願いしますね。明日の新聞にはみんなでるのでは?今日は半日、このニュースでおおわらわでした。あ〜あ。疲れた。(ゆ)写真でいち早くみなさんにご紹介しましょう。では、また。

 この絵は、嫁入りしているところです。馬に色々荷物をつんで、何人もの人が道を歩いてゆきます。むかしの
ゆかりっチュ(お金と地位がある人)なのかなあ。
しかし、本物は、やはりいいね。上が写本、下が本物。













2001.4.9  春雷か。

今日は朝は天気よかったのに、昼過ぎたら雨、夕方には雷まで鳴り出しました。春雷というのでしょうか。

今週には、田植えだっていうのに、不安です。
 沖縄ではこのあたりの季節を、<うりずん>というのでしょうか。いい言葉ですよね。意味がわからなくても、命が満ちてくる気がしませんか。野山は新緑の季節、ハブも含め、命が育まれてくる季節
となりました。ん、今日は昨日とうってかわってピンクにしてみました。やりすぎ?

 わたし、最近、紬で洋服をつくろうと思っています。なぜって、忙しくて着物を着られない状態の時でも、いわゆる大島を羽織っているという気になれるから。不合格品でも色柄で好きなものであれば、いいというので明日にでも反物を探しに行く予定。今週も忙しくて、ご飯もつくる暇がないのですが、これも仕事のうち。もち、へそくりでですよ。たいしてないけど、自分のものでお金がかかるものは
出してくれないものですから、ね。ジャッケットスーツをつくりたい。いくらかかるのでしょうか。旅行したとき、年配のかたが大島紬でスーツをつくっていらしたのをみて、とてもとても素敵だったのを覚えています。上品な方だったからでしょうけど、いつかはあんなものが似合う人になりたいなとは思っています。今から練習しておかなくては、あっと言う間におばあちゃ〜ん!になるからです。金茶のような草木泥染めの単色がいいかなと思いましたが、渋すぎだそうです。渋好みはもともと。でも、旦那は渋くなかったなあ〜。あ、失礼。
5月までには、つくりますので、乞うご期待!。
 
 今日は明るい写真がとれませんでした。で、単に借用です。
 なんの葉だろう。そろそろ、奄美の野山にイジュの黄色い花が満開になるでしょうね。季節季節で亜熱帯の野山も少しずつ色味を変えてゆくのです。では、また。
(ゆ)






ドルチェー優しく2001.4.7

今日は雨。午後2時から島尾ミホさん主演の映画「ドルチェー優しく」が全国に先駆けて奄美で上映されました。この映画は現代ロシア映画を代表する映画監督アレクサンドル・ソクーロフさんが、去年奄美にやってきてつくったもので、島尾敏雄氏との出会いや、アンマ―(おかあさん)、ジュ―(おとうさん)、そしてマホ(ミホさんの娘)への思いを、一人でかたる映像小説。写真は上演前に舞台挨拶するミホさんです。不思議なトーンをもっているかただといつも思っています。凛とした姿にははっとさせられます。映画は、やはり、分かる人にしか分からないだろうなあ。撮影のしかたは、詩的でとても面白いと思いましたが、観客のなかには、思い描いていたものと違った人がいたようです。それぞれの島尾像があり、それぞれの奄美、それぞれの戦後があるのではないでしょうか。ちなみに、「死の棘」の映画監督、小栗康平さんは「よくわからない」とおっしゃったそうです。いいんですよ。それで。でも、生身のミホさんにふれたようで、貴重な時間でした。あとでお便りをだそうかしら。一度、瀬戸内町から、ご自宅へ車でお送りしたことがあって、そのときの緊張は大変なものでした。覚えていてくれるでしょうか。
 ほ、背景の色を変えてみました。これでいいのかわかりませんが、最近ちょっとマンネリ化していたので、いいかもね。でも、下まで全部変わっちゃったよ。どうしよう。さて、話は変わりますが、来週、田植えをします。皆さんも、頭でっかちにならないように。ミホ さんは、土いじりが大好きだったそうですね。今年食べる米をつくるのだ。(ゆ)さあ、明日は何色になっているやら。少しずつ変ってゆくわたしをゆるして〜。。なんていう歌が昔ありましたね。

 

 だんだん落ち込んでいます。20014.6.

 やっぱり、自分で勉強するべきだと今、後悔しています。なにがって!コンピューターのことです。私はメカが弱いというより、好きではなかったので、どうしても人に頼ってしまうですが、最近いろいろショックなことがあって、やっぱり自分でやらなければと思うのです。でも、なかなか頭に入りませんね。隣で太君も特訓を始めようとしています。宮崎学さんにいわれたことが、ようやく切実になってきました。いやあ、4月でホライゾンを終えて、5月からやるぞ!っと思っていますが5月になると、また6月と思うのでしょうかね。6月にはダイビングにも、いかなくてはならないし、あ〜急がし!
 今日は田中一村さんに紬染色の刷り込みを教えたという里、清満さんにお会いしてきました。 76才のかたで、戦争で脚を悪くしてしまったらしいです。小学校から、絵が好きだったそうで、その辺が一村の気を許したのでしょうか。彼の家が新築されたときに、一村は自分でつくったきゅうりを3本もってきてくれたそうです。なかなか、いい話ですね。写真も撮りましたが、ホライゾンに載せる予定なので、ちょっと内緒です。大熊は今、都市計画で昔の町並みがつぎつぎと新しくなっていくようです。大熊のまちも面白い町ですね。かつお漁が盛んで、紬も盛んだった、しかも、ノロもいて大きな教会もある、天理教もある。昔は、鹿児島からの藩船がきた港なので、役人の仮屋跡もあります。古きよき町並みが今、消えていこうとしています。(ゆ)

瀬戸内町の写真名刺2001.4.5.

 瀬戸内町の名所である西阿室の夕日、諸鈍のデイゴ並木、油井の豊年踊り、大島海峡の水中写真の4種
類の名刺をつくりました。撮り方がまずいけど、なかなかでしょ。ほかにも、金作原原生林、アカショウビン、アダンと海岸、森と海のイラスト名刺などいろいろつくっています。奄美を愛するみなさん、こんな名刺で、自己PRはいかがですか。ちなみに、お値段は文字込みで3000円。高いか安いかは、あなたのお考え次第ですが。
 へへ、今日はちょっとコマーシャルです。ついでに「生命めぐる島 奄美」の売れ行きは好調ですよ。実は3刷り目なのです。奄美を知る格好の書物として、是非、ご家庭に一冊いかがですか。(ゆ)

 


デジカメのフラッシュを買いました。2001.4.4

 昨日撮った写真もそうですが、デジカメは室内が特に難しいです。講演会なども記録用として写しましたが、やはりきれいに撮れた事にこしたことはありません。そこで、いつもお世話になっている寿さんに相談。デジカメ用のフラッシュを買ってきました。試しに寿さんを撮ってきましたので、ご紹介します。彼のおかあさんは紬の織りの伝統工芸士。先日、紬組合から借りたビデオにいっぱい出ていました。はい、いつもやさしい寿カラーさんです。
 今日は、やや寝不足気味。飲んで帰宅してから、メール確認をしたら、仕事の指示が入っていて、う〜。できるかな〜と思ったら、なんだか眠れなかったです。それから、なぜでしょうね。飲むとぐっすり眠れそうなのに、かえって眠れないのです。みなさんは、そんなことありませんか。今日は名瀬市の古い写真を整理しました。昭和初期ですが、これ以上古い写真をもっているかたを紹介いただきました。博物館にも芳賀先生の写真以外にありそうです。うれしいな〜。(ゆ)

新旧の浜田写真事務所 2001.4.3.

今日、浜田事務所の新人歓迎会アンド送別会をしました。平日なので、ちょっと飲み足りなかったけど、楽しかったです!。手前向かって左が前田さん、いままで事務所を支えてくれた女性。頼りがいありそうでしょ。で、右が山アさん。マックが得意な自称、浜田太の秘蔵っ子でもうすぐ東京へかえってしまう子。右中央が阿世知さん、新人の経理担当。負けず嫌いでこれからが期待できそうな予感。みぎ一番後ろがほんとの新人、柴田さん。今、にぎやかに4人もの女性が、事務所にいて忙しい時期を乗り切っています。真っ黒でみえない太君。あなたは幸せです。みんなに支えられて。なんとかお給料をもっとあげられるようにしたいですね。また、こんな機会があるといいね。去っていく人、これから頑張っていく人。ホライゾンはいつもこんなひとたちによって支えられているのです。
 事務所はいつも女性が頑張ります。男性は社っ長の太クンのみ。わが社は男性はとりません。女の子のほうがほうが落ち着くし、頼りになるからです。これって男女差別かもしれませんね。まあ、本日はこんなとこでおやすみなさあい。明日があるさ、明日がある。〜また、寝不足になるからね(ゆ)


.


宮崎緑さんにお会いしました!2001.4.2

 奄美パークの園長に本日付で、もとNHKニュースキャスターの宮崎緑さんが就されました。市役所内で辞令式があり、わたしたちも取材にいってきました。びっくりしたのは、なんと大島紬をきているではありませんか。笑顔がとびっきり美しい聡明な女性。それから、奄美パークに移動し、最後までねばりにねばって、やっと、ホライゾンの取材を少しさせていただきました。もちろんホライゾンもプレゼント。機内でごらんくださいと申し上げました。わたしだけ、名刺を頂いちゃいました。うふ、これからメールで追加取材してしまうのだ。
もう、名前もすっかりおぼえてくださったのが、うれしい一日でした。(ゆ)

大浜のサンセット2001.4.1

 今日は久々の上天気。でも、ずっと我が家は掃除らしき掃除をしていなかったので、というよりほこりを見ないようにしていたのです。3時くらいまでかけて息子の部屋を手始めに片し始めました。でるわでるわのごみ。お天気のふとんも干せてよかった!で、こんないい天気にどこへも行かないのは、いけない気がして息子を誘って大浜海浜公園へいきました。買い物をしてからだったので、ついたのが6時ころ。夕日がちょうど沈みかけていたのです。この辺りから見たサンセットは本当に奄美にいてよかったなあとおもわせるものですよね。今日のは特に大きかったみたい。その日その日で大きさが違うって知っていましたか。何故なのかはわかりませんが、シーサイド大浜の栄さんもいってましたよ。途中で買ったマヨたこを食べながら、ゴージャスな夕日でした。明日は奄美パーク館長の宮崎緑さんのインタビューです。さて、なにを聞こうかな。ホライゾンの巻頭です。(ゆ)

2001年3月へ→