2001年3月の編集日記


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こだわりの大島紬2001.3.31

 今日はまた面白い取材でした。原料の糸からこだわる
紬職人の方。平さんといわれます。今では、幻といわれる宝玉という小柄や、木綿糸で織ったガスと言う布、夏大島、白大島など、原料の糸から、のりはり、加工をして、自分で織ってみて試作してから織りに出すとのこと。奥さんは大島紬織り50年の大ベテランで、夫婦ともプロの意地から妥協せず、それがいい紬に反映されているのだと思いましたね。出身は笠利佐仁。紬小柄の銘産地です。先日の積さんもおもしろかったですが、この方も紬を支えている方ですね。特殊柄専門、いわばあつらえの高級紬です。すごいなあとため息。ただし、ここまでくるには相当のロスや無駄があったといってました。後継者が心配。特に締め機職人不足をどうすればよいか。危機は近いのです。

シネマパニックへいってきました。2001.3.30.

 春休みになっているというのに、忙しくてどこへも連れていってあげない母は、今日、夜8時から、シネマパニックという映画館へ子どもと3人で行ってきました。父が鹿児島出張ということもあって、子らは「やったー!」テナ感じ。母も久々ゆっくりしようとぎりぎりまで仕事していたら、「仕事終わったから今夜帰るから」ですと。でも、母と子はめげもせず、出張で帰ってきた父を一人おいて、しっかり映画を楽しんできました。毎週金曜日はペアで行くと安くなるみたい。昔はよく3本だてとかみにいったなあ。3本立て映画大好きでしたね。池袋とか、飯田橋、高田馬場なぞ、よくいったものです。
 シネマパニックの社長の川上さんは、もと銀行マン。当社担当だったこともあって、お友だちなんです。彼がここまでやるとは思ってなかったけど、本のデパートをつくりたいとか、映画館をつくりたいということは、10数年前からいっていましたね。実現するとは、ほんとにびっくり。あまり、私達はいい客ではないけれど、皆さんは通ってくださいね。だって、今夜の客は13人。寂しすぎると思いませんか。わたし、できたら、来週もいきます。子ども連れて。おとうさんは知らないけど、皆で行くとなんか、あったかいですね。昔の映画もやってね、川上さん。前回見たのは「君の名は」。お年寄りが結構来ていましたね。初めてまちこまきをみました。では、こんなところで、おやすみなさい。今日はデジカメ撮らなかったです。

(ゆ)。









いっぱい寝ました。!2001.3.29

 いやあ、すみません。2000回超えたら、急にサボりだしたなんて、いわないでくださいね、水間さん。昨日は、ひさしぶりに早く眠ってしまいました。ご飯食べたら、目を開けていられないのですもの。そうですよね。
レンチャンやってしまいましたからねえ。2時まで。これ、内緒ですよ。
 だから、今日は元気元気。次女が肉まんに挑戦してくれるそうで、わたしは、残業もできます。
みなさん、楚山さんをご紹介しますね。水中無脊椎動物写真家です。イソギンチャクの写真集撮影のためと
ご紹介しましたよね。ノルマ以上のものを撮影できたといって、昨日船でかえられました。いまごろ、指宿の砂蒸し温泉でしょう。う、ら、や、ま、し〜い。この方の髭に注意。もっともじゃもじゃしていたのだそうですが、奥さんの反対に遭い、ここだけがかろうじて残ったという貴重な髭。太君のように、鼻に生やせないのは、水中眼鏡をかけると水が入りやすいからだそうです。なるほど、プロですもの、一日何時間も入っている人のお言葉でした。
ま、ちょっとみたことのない髭なので、ご本人の承諾なしに入れてしまいました。ごめん、楚山さん!。
 ところで、きょうは紬の取材にいってきましたよ。すみません。ホライゾンの取材は、編集部の分だけ、まだまだなんです。これから、集中取材。笠利の積 良一さん御家族ですが、娘さんまで入れて、締め以外をすべてやっているのです。自生する植物で染め、、娘さんが原図を書き、奥さんと娘さんが織り上げるのです。それがまたいい色と柄。小柄なのですが、作業衣(さむえ)とばっぐ、雪駄の鼻緒がセットになっった新商品を開発されたのです。日頃、わたしが思っていたことをされているので感激。着物と帯までいれたものまでつくるそうです。頑張ってくださいね。娘さん、是非紬作家になってください。ホライゾンも応援します。ということで、詳しくは
ホライゾン13号でね。では、あまりしゃべっちゃうとみなさん、買ってくれないかもしれないので、では、また。
















ありがとうの感謝を込めて!2001.3.27

あいや!2000回のアクセス。感謝感謝です。2000回目の記念アクセスをしてくれた大日本印刷の藤森さん、お電話ありがとう。手が離せない時だったので、無愛想でごめんなさい。急に仕事がはいってしまい、まだ、スタジオから出られません。今日は一日雨、内地の写真愛好家の叔父様方3名方が、お見えになりましたが、雨の森もいいですよとはいったのですが、やはり、ハブが怖いとのこと。ま、仕方がありませんよねえ。奄美自然観察の森の作田先生やら、大和村の奄美野生生物保護センターなどを紹介しました。いけたかなあ。まるぼーろのお土産、おいしかったです。
 奄美の雨の日の観光は当面の問題ですよね。ただの観光なら、陶芸とか、染物などもご紹介するのですが、なにせ、青い海と空を期待してこられた叔父様がたです。後姿がとても、寂しげでした。奄美には、雨はつきものなのですが。ごめんなさい。謝ることもないのですが、なんとなくねえ。
 さて、昨日、またまた、かずみにいってきました。お客さんだったのですよ。中孝介くんと、和美ネエが唄の掛け合いをしてですね。なんか、訳分からなかったのですが、久保薬局のかたのよると、年増のおねえさまが唄でいじめていたのに、こうすけ、どこでならったのか、盛んにモーションをかけ、和美は別れ話、こうすけが後を追う、すごいシーンを唄遊びでやってみせたのだそうです。最期は和美ねえが勝ったのですが、孝介クン、やる〜!。みんな、やんやの喝采。これからが楽しみな、唄カップルです。
 で、ちょっとデジカメで再現しましょう。うふうふうふ。(ゆ)なんと、酔っ払っていたのでしょうか。現場の臨場感がぜんぜんでていませんね。ごめんなさい。きょうは、あやまってばかりでした。いいんです。うれしいから。では、みなさん、ごきげんよう。


i明日は旧の3月3日。いよいよ2000人突破か!2001.3.26.

皆さん、あすはサングァチサンチの節句ですね。奄美では旧暦での行事が多く、自然の摂理に従っていたのです。この日は一年でもかなり潮が引く日で、昔は仕事も学校も昼から休みとなることが多かったようです。私は5月の節句に笠利の海岸へ行きましたが、この日は3月3日よりも潮がひいていました。沖縄では八重干瀬が有名ですね。潮が引くと貝やらウニやらがいっぱいとれたとのこと。いまでも、コツを知っている人はとるようですが、なかなか昔のようにいっぱいというわけにはいかないようです。お弁当もってみんなで出かけたいと思いませんか。
 わたしもむかしの奄美にタイムスリップしたいなあ。いまではみられなくなったものがいっぱいあるでしょうにね。あ、なんか、ひらがなばっかりですね。今日は一日パソコンに向かっていてちょっと疲れた!
 太クンは例のごとく、好きな写真をとりにいってしまうし、あ〜あ、わだじも海にいきたい!
でも明日は知らない鹿児島の方が奄美の写真を撮る景勝地を教えてくれってんで、午後くるみたい。おいおい太くんよ、わたしゃ困るぜ。いよいよ2000人台に近づいたというのに!君ばかり、優雅すぎないかい。といっても本人はそ知らぬ顔で、じゃ、てナ具合です。今日は、愚痴が多くなりましたので、バイバイです。(ゆ)
)



カムイヤキ遺跡講演へいってきました。2001.3.25

今日は朝10時半から午後5時すぎまで、徳之島で発掘されているカムイヤキ遺跡に関する7人による講演会でした。座りつづけで、おしりが痛くなったけど、すごい面白かった。写真は記録の意味でしか取らなかったのですが、この方が義 憲和さんです。すごい情熱のひと。
勉強してないので、半分も言っている意味はつかめないのですが、このかたや、四元さんという発見者のおかげで、今、徳之島ががぜん面白い島になっているのです。奄美ではフワガネク遺跡から、すごい発見が相次いでいるのですが、これは夜光貝交易で、奄美が拠点だった話。7世紀ころのことです。そして、10〜14世紀ころ、徳之島を拠点に一大窯跡がみつかり、これが東アジアを股にかけるものたちが、ここでカムイヤキと呼ばれる地域で、焼き物をつくり、南西諸島、遠く波照間島から、南九州や、韓国にいたる範囲に供給していたというのです。一大生産地。なぜ、徳之島だったのか、だれが、何のためにというのは、まだ、研究途中ですが、想像がふくらんで、面白いと思いませんか。各研究者も興奮気味。だって、徳之島でやらずに、名瀬市教育委員会がやってくれているんですもの。さすが郡都名瀬だと、いっていました。
 いよいよ面白くなってきたあまみ群島ですね。(ゆ)

立松わっぺいさんと司修さん、かずみへ
2001.3.24

 今日、日本エアシステム機内誌アルカスの取材で、立松和平さんと司 修さんが来島しました。立松さんは
町田酒造とのタイアップ記事のため。司さんは表紙の取材で。お二人がいっしょになるとは、思ってませんでしたが、良くご存知の中のようです。
 立松さんからは、山尾三省さんとの対談集をいただきました。びっくりしたのは、表紙が田中一村のソテツ残照だったこと。この絵はいろいろに使われているのですね。お二人とも、夜光貝がいたく気に入られたよう。大事そうに、貝をもらっていました。
 で、いつものように、和美ネエのところへ。わたしは、お邪魔と思い、出向かなかったのですが、9時すぎにおよびがかかり、ついにかずみへ。わあ、いつもにましてにぎやか。町田の社長やら築島副社長、、アルカスの社長までいらっしゃって、あせりました。
 それから、北海道からきたという熟女が10数名入ってきて。藤絹織物の藤かおりさんまでいっしょではありませんか。なんかわけのわからない盛り上がりをみせて、さっき終わりました。帰りながら司さんといろいろお話して楽しかった!司さんの笑顔はとてもすてきなのです。
 画家、小説家、などいろいろの顔を持つ方です。奥様は島出身のかたで、またかわいらしい方。司さんが参るのも無理はないかなと言う感じです。今回、奄美取材で表紙はなににされるのでしょう。ひょっとして夜光貝かもしれませんよ。偶然、かえりがけに博物館の考古学者、高梨さんがたがかずみに入ってきました。あしたは、博物館でカムイヤキの講演会ですね。わたしも行く予定です。では、またあした。(ゆ)

紬の話2001.3.24

 おととい、奄美テレビに出演してきました。7時集合といっても、仕事があり、お米も底をついていたりと
着物を着ていかれる状態ではありません。6時まで仕事をし、グリーンストアーで、米を買って炊飯のスイッチを押して着替えたのは、2部式の横糸だけで織った紬。浜田の母から買って、作っておいたものを思い出し、アイロンかけて着ていきました。帯びをしないので車に乗っても苦しくない。こんなのも、日常着としては」いいのではと、一人思いました。地色は紫系の立て模様。なかなか気に入っているのですが、子どもの反応は今ひとつでした。う、さみしい。ま、フアッションショーではないのだから、いいでしょう。
 ほかのみなさんもそれぞれ着こなしていて、よかったです。特に龍郷柄の着物をリフォームして、ベストドレスにされた、東京堂の奥さん、さすがです。ふじむすめの伊藤さんもいつも、かわいいでしょ?でもって、重田
シオリさんの半幅帯も小粋でした。それぞれの着方を楽しめる場づくりが必要かもしれませんね。わたし、今度紬の洋装をつくろうと思ってます。まず、生地選びから、始めなければ。中 孝介クンの着流し、とても素敵ですよね。彼は色が白いからなあ。かわいいしな〜。おばさんが素敵に見える色を考えなければいけません。では、また。(ゆ)


風邪がうつった!2001.3.22

 昨日は太クンのかぜがうつったのか、かなりすさまじい頭痛に襲われ、やばいと思ったのですが、ここで倒れられない強〜く念じたためか、頭痛薬を飲んで一時間半寝込んだらなんとか回復しておりました。ほっ!。
女は強しか?。きのう、そんなこともあり、またしても日記はお休み。きょうは、はりきっていこうとおもいきや、なぜか、まぶたが腫れぼったいのです。なんか、年を感じるな〜。今夜、奄美テレビで紬トークに出なければならないのに。こんな顔じゃ、お姉さま方に恥ずかしいではないの。う〜ん、美容室へいってる暇はないし、髪はばさばさだし、こまったな。なんか、やる気がでないし。でも、ホライゾンでも紬特集を組んでいるため勉強のつもりでいっってきます。見ないで下さいね。ぶれてますけど、きのう、家族で長女を送る会を焼肉屋でした時の太君のだらしない顔をお届けします。なんか、だれてますよね。今日は、宇宿港で鯨がきたというので、役場の人と撮影にいきました。では、また。(ゆ)






今日は一日デスクワーク
2001.3.20

 今日は雨模様。太君は風邪がなかなか治らず、祝祭日をいいことに一日中寝ています。こんな日もあってもいいのですが、彼は早く森へ行きたくてうずうずしているようです。あせってはだめなのかな。スタジオは今、花の香りのあふれています。蘭、カサブランカ、フリージア、エラブ百合、ヒヤシンスとそれぞれがいい香りを放っています。
 わたくしめ、 南日本新聞の「顔」に今日掲載されてしまいました。別に美人だと思っているわけではないけれど、もっといい写真はなかったの?といいたい。やっぱり、あんなもんかな〜。
 今日は一日中デスクワーク。3時まで従業員がいたのですが、やはり電話や来客がほとんどないため、ついうとうとしてしまうのよね〜。あ〜いけない、いけない。とおもいつつしっかり居眠りこいてしまいました。これがまたいいんですよね。で、いまから、じいちゃんばあちゃんのお見舞い(2人して入院してます)にいってきます。忙しかったので最近ぜんぜんいってませんでした。百合の香りはきついから、フリージャを持っていこうと思います。では、また。今日は、太君のため、地鶏のスープにしようっと。(ゆ)

水中写真家、楚山さん現る。2001.3.19
 

 昨日沖エラブ島から帰ってきました。船が午後9時半に着き、そのまま疲れて寝てしまいました。日記がかけずに失礼しまいした。え〜、えらぶは初日雨で、どうなることかと思いましたが、昨日は曇りのち晴れでいい日よりでした。残念ながら、花があまりなくて写真を撮るのに一苦労。ジョギングで参加者といっしょに畑の中を走ってしまいましたよ、もう。南海日日と大島の記者も同じく、ははは、ご苦労さん。
ジョギング会場では、福山花店が出店していて、フリージアやら、カサブランカ、エラブ百合、紫グラジオラスを買い、郵便で送ってもらったら、きょう、着きました。きのう、いっしょに船で名瀬まできたのかもね。鹿児島や東京にも送りましたが萎れないでついたかしら。切花はきれいだけど、やはりちょっと不安です。でも、大好評。やはり、喜ばれるのってうれしいものですね。そうそう、ジョギング大会前夜祭でみた日出克(ひでかつ)がよかった〜。ちょっと、ふくよかだったけど、歌といい、シタールみたいな楽器といい、とてもよかった。こんど、CD買おうっと!!
 きょうから集中してデスクワークをしなければと思うのに、電話や来客と思うところの半分もいきません。どうしよう。もう、待ったなしなのに。今日は、残業しなければ。
 と思っていると。水中写真(無脊椎動物にかぎる)の楚山さんが、来社。大浜にイソギンチャクの写真を撮りに来て、フィルムがなくなったため、ここに受け取りにきたのです。この方に、記事の提供やら写真の提供をして頂いているので、つぎもいい話題をくださいね。なんて、いってます。イソギンチャクの写真集を出すそうです。TBSブリタニカ発行。前回のクラゲガイドブックはなんと2万部の出ているそうで、このシリーズいけそうですね。貝類図鑑も出したばかりで、このかた、流氷のしたも潜るんですよ。新潟生まれだそうですが、皮膚のできが違うのかも。それにしても、おもしろい髭を持つ方でした。来週、飲みにいくので、しゃしんでご紹介しますね。では、仕事、仕事。(ゆ)

沖永良部島へいってきます。2001.3.17

 きのうは遅くまで座談会に時間がかかってしまいました。でも、みなさん、いい意見をいっていましたね。特に外から来た人の意見が新鮮ですね。わたしも外からきたのですが、もう、シマの人の感覚が入っているようです。いい意味とそうでない意味とですが。復元された古い民家でやりました。上はその写真です。
 で、 いまから、わたし、空港へ走ります。太君がかぜでダウンなのですが、仕方がありません。アルカスの取材も入っているし、里国隆と島唄の取材で宮川さんがみえるのですが、お会いできません。ふとし、きばりや!。では、ちょっと急ぎますので、本日はこれまで。明日、夜、船で帰ってきますね。朝から雨が気になります。
しょうがないか。(ゆ)

デジカメがなおった!!2001.3.15

 やっとデジカメが修理を終えてかえってきました!でも、使い方がすでにうろ覚え。どうしよう。とりあえず、スタジオにある胡蝶蘭(プレゼントで、すごく豪華)を撮影してみました。あとで入れてみます。さあ、どうなるか。
 といったところで今まで失敗の連続!ひゃー!今、お助けマンの水間さんが来てくれて、やっとできました。うーん、やはり、メモとらないとだめですね。今日からは大丈夫。ははは、ま、みていてください。
 今日は、夕方から、名瀬市長と座談会の仕事があります。振興会館の敷地にある民家のなかでやるんです。ちょっと雨が降っているのが心配。そとからのアングルが撮れません。あーあ、明日はエラブジョギング大会だというのに。そうそう、イソギンチャクの写真集制作のため、日本中を撮影している写真家の楚山さんというかたが、みえるとのこと。大浜の白化したサンゴにはイソギンチャクが群生しているのです。来週は大浜から、カケロマへ行くといってました。ちょっとへんな髭のおじさんですが、その筋では有名ですよ。
 では、蘭をみながら、きょうは昨日の分で、とりあえず、失礼。(ゆ)

ターマンの恨み 2001.3.14

 そういえば、沖永良部空港で売っていた田芋(ターマン)の餅菓子。おいしそうだったな〜。知ってます?この島の田芋はおいしいのですよ。竿津というところでつくっているのが、一番らしいのですが、お菓子は日持ちがしないため、この島の人しか、ほとんどの場合食べられません。先日、ヨロンへいくとき、エラブ空港乗り換えのため立ち寄ったら、なんと幻の餅菓子があるではありませんか。それ!と思って買おうとしたら売店のおばちゃんが、帰りに買ったほうがいいよとしきりに薦めるのです。それもそうかな〜、子ども等とお茶飲みながらもいいかな〜と思って、後ろ髪惹かれる思いでしたが、帰りの楽しみにしていたのです。
 いざ、かえりの乗り継ぎのえらぶ空港へいったら、なんと、ない!。お店の人いわく、「あまいね〜。じもとの人でもあったらすぐ買わなければなくなっちゃうよ。午前中で売切れだよ」だって。ショック!
 今週は絶対買ってやる!みなさん、感想を待っててください。(ゆ)

今日は小物の撮影でした。2001.3.13

 今日は事務連絡に終始。電話が午前中あっちからこっちからやんややんや。ぱたぱたぱたぱたしていました。追われてあせるあせる。午後、さて、仕事と思ってもあっそうだ、小物撮影する日だったと思い出し。太君が今日しか日がとれないのでした。明日からは、機内誌アルカスの取材が入るのです。金曜日までに、今抱えている名瀬市の仕事のやまを越さなくては、納期に間に合わない。あせってもなかなかうまい手は思い浮かばないのです。落ち着かなくっちゃ。で、今日はこんな中途半端でごめんなさい。夕飯はカレーにしようかな。奄美の島興しカレー。ご存知?。うこんから栽培している四元さんというかただったと思うのですが、(小学館発行サライにも掲載されました)なかなかの味ですよ。こだわりが生んだ奄美のカレーです。でも、わたしはジャワカレーも好き。ブレンドするとおいしいよね。ではお買い物にいってきま〜す。(ゆ)


先ほど、かえって来ました。2001.3.12.

 2泊3日の与論旅から先ほどもどりました。疲れた!といっても、走ったわけでもないのにね。ヨロンマラソンは天気にも恵まれ、本当によかったですよ。60〜70歳代、80歳のかたまでいてびっくり。北海道や東北の方が家族できていたりと想像以上に素晴らしいものでした。ハーフマラソンとフルマラソンとリレーに分かれるのですが、70歳代のかたまでフルに出場できるのは、制限時間が7時間と日本では驚異的に長いからなんですね。72歳の方がいってましたが、「びりに近くでゴールしても、ちゃんと飲み物、食べ物が用意してあるのは日本では、ここだけ。ほかのところでは上位以下はもうでるなというかんじで、ほったらかしなんです。ヨロンは,道路交通法の関係で7時間ですが10時間かかってもずっと待っていてくれる。それが本当にうれしいですね」この言葉に、ヨロンマラソンの真髄が凝縮していると思うのです。やっぱり、いってみなくてはわからないことがいっぱいあるんですね。

 かりゆしバンドを率いている田畑哲ちゃんという方が茶花で民謡酒場を開いていると言うんで、いってきました。沖縄の民謡酒場より、よかった!!です。ほんと。「かりゆし」と言う名前で目抜き通りでやってますので、こんど行ってみて下さい。マラソンで全国から来た方々がもう総立ちでおどったり、歌ったり、与論献俸をしてすっごくたのしんでいました。奄美でも是非あんな場所、ああいう人材がほしいなと思いましたね。
 紬の取材もしてきましたが、与論ではじめに織られた柄はなんと龍郷柄。だから、与論マラソンの前夜祭で司会者の人が龍郷柄をきているではありませんか。与論で紬といえば龍郷柄が知られているんですね。なぜか不思議ですね。
 あんまり書くと本番で書く事がなくなってしまうので、今日はとりあえずご挨拶まで。また、明日から書きますね。ではまた。(ゆ)

2001.3.9.
明日は与論へ

 明日は与論島へいってきます。2日ほど、日記をお休みします。ノートパソコンがあればいいのですが、いまのところ、日記はころデスクトップ型でやっています。
 今日は寒かったですねえ。恥ずかしながら、わたくし、奄美にすんでいても、しもやけになってしまうのです。今年はそろそろ、治りかけたかなと思っていたのに、なんとまたぶり返してしまった!。奄美でしもやけになる人はおそらくわたしくらいのものではと自負しています。(こんなこと自慢ではありませんが)
 ホライゾンはなんとか目途がたちそうなんですが、もうひとつ抱えている大きな仕事がとても大変。私一人でやってしまっていいのかと思う大きな仕事なのです。あ〜、だれか、助けて〜。
 そういえば、今日、平田輝さんたち「ネリヤカナヤ」の「yoisura」を買ってきました。う〜ん、なかなか面白いですねえ、森さん。明日、こっちでコンサートがあるそうですが、残念ながらいけません。来週はシーサーズと中孝介などのコンサートがあるそうですが、これもエラブ行きと重なりだめ。3月は、奄美はイベントが目白押しですね。聞きたいのに、聞けないもどかしさ。都会のひとの悩みみたいですね。せめてcdでも買おうっと奄美もだんだん面白くなってきましたね。こうでなくっちゃね。みんなが胎動を始めてきたような、そんな予感がします。ホライゾンも頑張らないと!では、また。(ゆ)、

2001.3.8
小栗康平監督、あらわる。

 なんと、本日夕方、瀬戸内町企画課の澤さんが、小栗監督をともなってスタジオに突然あらわれました!
浜田は、島尾敏雄原作の映画「死の棘」の撮影に立ち会ったので、10年まえにもお会いしているのですが、私ははじめて。アラジンのコーヒーと喜界島のごま菓子、くるざた、かりんと―をおだししました。ちょっと緊張です。彼がなぜ、奄美にきたかというと、11月に群馬で開かれる国民文化祭で開、閉会式のセレモニーを担当されているそうで、その式典に奄美の八月踊りをと要請のためでした。昨日は、嘉鉄集落で10年ぶりの歓迎会だったそう。でも、こちらがなつかしい踊りや歌が聞きたいのに、集落の人は、カラオケ大会だったと笑っておられました。そんなもんです。同文化祭では他にアイヌ、モンゴル、アフリカ、セネガルにも依頼したいといいます。地方の文化が交じり合って、今の文化ができていることの発見があるはずということらしいです。面白そうですね。
 ところで、話は変わりますが、掲示板にもばれてしまいましたが、わたくし、3月1日で、奄振の審議委員になってしまいました。なぜ、わたしかというと、もともとの島出身ではないので、冷静に意見が言えるということと、奄美群島各地の人、自然、文化をみているとのことかららしいです。まあ、わたしの意見なぞのまえに、すでにレールは敷かれているのでしょうが、自然体でやれるだけやってみたいと思います。みなさん、石など投げないでね。そのあたりのことは、また、機会を見てこの日記にも書いてゆこうと思います。では。(ゆ)




2001.3.7  今日は雨でした。

  
 今日は、一日雨模様。少し、寒いくらいの日でした。雨だと、洗濯物が乾かないのが悩み。あ、所帯くさいか。今週土日に、ヨロンマラソンの取材でヨロンにいくための、アポとりをしました。ついでに、ヨロン島での紬取材にいってきます。ヨロン島に大島紬の織り手がかなりいたことをご存知ですか。
 親方は奄美の人らしいのですが、以前、与論民俗村の菊 千代さんの話では、昭和30年代、それまで芭蕉布を織っていたのが、お金がいいからと、ほとんどの人が大島紬に移行したのだそうです。いまでも、多少の方はおっていっらしゃるそうで、取材をお願いしました。はずかしいから、カメラマンは来ないでと笑っていってました。
 もう一人のかたは、役場の方でした。お願いのファックスをしたら、それを受け取った方だったのです。なんという偶然。彼女は、マラソンの準備等で大変忙しいとのことだったので、後日、お電話でということにしました。
 それから、ついでに、もずくそばを考案した関口さんというかたにお会いしてきます。空港前で、青いさんご礁というレストランを経営されているそうです。このかた、アイターンですが、とてもアイデアマン。与論のみやげ品の幅を広げたかたですよね。与論マラソンのウェルカムパーティーでお忙しいのに、快くOKしてくれました。まずは、守備よし。
 後は天気が晴れることをいのるばかりです。あ、ヨロンマラソンには、間 寛平、谷川真理さんが来島するそうです。明日は、仕事するぞ!!(ゆ)

思い出したこと

2001.3.6
 先日、ホライゾンの取材でいった「花ろまん工房」の安田謙志さんのところで、リュウキュウアイの花を見たことを思い出しました。新聞をみていたら、この花が奄美ではなかなかみつからないという話がのっていました。ところが、安田さんによると、沖縄では、若いうちには咲かず、熟年になって咲くといわれているらしいんです。まるで、「わたしたちのようだわ」なんていっているのは、どなたでしょう。あ、わたしか!。へへへへ。
 ところで、この花、とても品がよくて、うっすらと淡い紫色がしっとりとした情緒をかもしだしていました。きっとそのへん、泉さんは、書いてくれるでしょう。
 今度、日本エアシステムの機内誌「アルカス」で、また奄美特集をするそうです。焼酎や里国隆、郷土料理
などで、執筆者も宮川勉、泉和子氏ほか、あの立松和平さんも加わる予定。わが、ホライゾンは、情報発信源として、多く活用されているんですよ。あ、それから、まだまだ、未定だけど、ほかにも、取材にくる予定がぞくぞくあるんです。あ〜、忙しい。というのは、浜田太だけ。わたしは、ホライゾン13号に向け、ただ今、深く潜航中です。なにとぞ、よろしく。ちかじか、また、新しいメンバーをご紹介できそうです。(ゆ)

2001.3.5
ぱ、ぱ、ぱっと   

っとやれたらいいのですが、日記を書くのもなかなか大変。きょうは、紬の小物の撮影をしました。紬のショウルやらベスト、スーツやらバッグなど、いままでにないものがいろいろあってずいぶん勉強になりました。
これらは名瀬市の女性染色家や、デザイナーなどが中心となって新規開発をしているようです。伝統を守る一手と、このように新しいものに挑戦していくことが今求められているのです。男物のがらも、多彩なものが売れ行きがいいとか。最近の流行はグレーとのこと。はい、これは素敵でした。
 夜、新穂花でお客さんを接待したら、久留さんが、小柄のさむえを着ているではありませんか。彼女いわく、最近小柄を着こなしている人のが、粋だとか。う〜ん。彼女はいろっっぽい!です。
 わたしはというと、理屈で考えすぎるために、もはや、しわしわになりつつあります。焼酎の利き酒でもして、お肌に磨きをかけられないものでしょうか。う〜ん。むずかしい!。
 一日中、小物調達でしたが、面白い一日でした。スタジオは小物のやまでした。では、明日は、また、瀬戸内なので、今日はこれで。(ゆ)

出張で、日記がかけずごめんなさい。

2001.3.4
昨日から喜界島に出張していました。ホライゾンの「紬」特集の仕事です。喜界島は飛行機に乗っている時間は、奄美からたったの10分。乗ったと思ったら、もう下りるかんじで、居眠りする暇もありません。喜界島は有馬柄という小柄の発祥地とのこと。詳しくは、これから調べますが、いまでは締めをされるかたは、島ではたったの一人。織工さん(このいいかたは、あまり好きではありませんが)も、かなり高齢者になっていらしゃいます。これは、奄美でも同じですね。90歳の現役のかたもいました。
 とても、照れていましたが写真を撮らせていただきました。有馬柄は、とても難しい柄だそうですが、小学校6年生から織っていた人ともお会いしました。戦争で両足に銃撃を受けたお話を聞くうち、なんだか、せつなくなりましたが、「紬はわたしの命」ということばが、とても誇らしげでありました。いまでも、不自由なからだで、復元柄にいどんでいらっしゃるのです。今回の特集までには、とても織りあがりそうもありませんが、お待ちして、写真だけでも撮らせていただきたいと思います。おそらく、みなさんはみたことがない柄でしょう。はぎれをみせていただきました。
 それから、今日は、俊寛ジョギング大会。なんと、81歳のおじいちゃんが、5キロコースに挑んでいました。このかた、鍛え方が違います。毎日、喜界空港の周囲を走っているそう。おしゃべりしながらも、ぴょんぴょん飛び跳ねているんです。すごい!の一言。来週は、ヨロンに出張する予定。で、今日は、このへんで失礼。(ゆ)

目にクマ!!

2001.3.1

昨日は日記をさぼり、すみません。長女の高校卒業のお祝いでパニック状態だったもので。おかげでうちうちでしたがとても楽しくお祝いができました。わが娘は、とても成績がいいほうではありませんでしたが、卒業式の祝辞で面白かったのが、明治維新など歴史を変えてきたのは、辺境の田舎ものであった。反対に辺境の人間こそそのエネルギーがある。勉強ができるだけが、いい人生を歩むとばかりは限らない。勉強のできなかったもの、辺境の地にいたものこそ、現状を覆すパワーをもっているときがある。奄美に生まれた事を誇りにこれからの人生に挑戦していってほしいと言った言葉でした。
 そういえば、そうかもしれません。東京は、志をもったいなかものが、がんばっているのかもしれません。東京人だったわたしたちの仲間はこういったことからはすこしはずれていましたね。メリハリのない自然、アスファルトジャングルに囲まれた場では本当の感性は育たないような気がします。
 ということで、今日はやや疲れ気味。睡眠時間が短かったため、目にクマが!!。
あ〜。やはり年はでてしまうのよね〜。
 きょうの発見。大島紬の小物柄を知っていますか。
いわゆる男柄。亀甲柄の次に人気があるのに有馬柄というのがあるのですが、この発祥の地は喜界島なのですね。亀甲は笠利。大柄の龍郷柄や西郷柄は龍郷町、笠利の喜瀬にも飛び柄がかつてあったそうです。徳之島にも徳之島柄があっったようで、ホライゾンでは、古典柄を追いつつ、創作柄への挑戦を考えてみたいと思っています。その他に、紬のことを知りたい方は是非掲示板に書いてください。では、また。(ゆ)
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