コラム酒池本林 怪しい店主の近況報告です。


「「酒池本林」2000年10月3日

「シマ喪失者のシマ論―佐大熊から―」(4)

この連載をサボッていた9月に、地元紙の南海日々新聞に佐大熊から見た奄美論を書きました。「奄美21世紀への序奏」という1年間のリレーシリーズです。完結したら一冊の本になる予定と聞いていましたので、ついリキを入れすぎて総花的でピントが合ってない小論になってしまったと反省しています。

その小論でも少し展開していますが、奄美のシマ島の現在を分析することで、過去から未来への奄美像を炙(あぶ)り出すことが課題です。あえて「自立」とか「アイデンテティ」という用語は使いませんでした。書くことによってこぼれていく「概念」にしたくなかったからです。

私にとっての「シマ」、それは生まれ育った名瀬の永田橋市場の水上マーケットであり、拝み山であり、そして父祖伝来の「サデクマ黍田人家二軒」の佐大熊であり、母の聖なる土盛集落であることを痛感しています。15歳でシマを出奔して30歳で島に帰ってきてからも、私は足元のシマに気づかず、沖縄(琉球)や鹿児島(大和)やアジア(世界)にばかり気がとられていたのでした。

人にはそれぞれのシマがあり、それは単純に一つのシマではなく、人によってはいくつも、もしかすると無数のシマをかかえているのだということがすこ〜しわかりかけてきたのかもしれません。やはり、トカラの奄美人たちとの出会いがシマを開眼させる契機になったのかもしれません。地震に揺れる悪石島の影像を見ながらそんな思いがしています。

2000年10月3日(火)Morisin



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