2021年3月分

音楽雑記帳

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3月18日(木) なぜかドラマーつづき

知らずとも入ってくる情報というものがある。

もう数ヶ月前のこと、久しぶりにラジオ番組で高橋幸宏氏が話しているのを耳にした。

その時に同氏が脳腫瘍で手術をしたことを知った。

現役で活躍しているものとばかり思っていたので驚いた。

話し声がいかにも病み上がりな響きだったので痛々しく感じてしまった。

その時だったか、その次に聞いた時だったか忘れたが、ジョージ・ハリソンの「オール・シングス・マスト・パス」をかけていた。

いずれ訪れる自身の死を意識したコメントを添えて。

本日少々遅ればせながら村上ポンタ秀一氏が亡くなったことをネットで知った。

ここ何年間かは体調を崩していたことも初めて知った。

追悼の意味をこめて、私のポンタ氏に関する思い出の断片を記しておく。

グループ赤い鳥に加入直後のステージでの演奏をテレビで見たことがある。

それよりも強く印象に残っているのは小さなライブスポットで数回間近で演奏に接したことだ。

バンブーというバンド名で活動していた時期のことである。

ベースが小原礼氏で、ドラムは林立夫氏とのツインドラムであった。

このメンバーからだけでも演奏の凄さの想像がつくと思う。

その後私が東京を離れて田舎暮らしを始めたことから、同氏の生演奏を見る機会はもうないだろうと思っていた。

ところがなんと、連れ合いがかつて熱烈なファンであった矢沢の永ちゃんのバックで宮崎に来た時に見ることができた。

他のメンバーはそれほど知名度の高い人たちではなかったと思う。

というのもバックミュージシャンで同氏のみがプログラムにコメントを寄せていたからだ。

連れ合いが保存していることと思うが、今回は記憶を頼って記す。

同氏の永ちゃんに対する思い入れが、ミック・ジャガーを挑発するという形で表されている内容であった。

いわく、ミックに「時関よ止まれ」が歌えるか、歌えるもんなら歌ってみろ、というような感じだった。

最近ではラジオやテレビの番組に出演しているのを、たまたま見たり聞いたりしたのが同氏との最後の接点となった。

印象に残った発言がいくつかあった。

初めてスティックを使ってドラムを叩いたのは赤い鳥の初ステージの時だったという話。

それまではいわゆるイメージトレーニングだったそうだ。

本当なのか、太鼓もち的ハッタリだったのかは分からないが。

同氏が最近気になっているミュージシャン、一緒に演奏したいミュージシャンはベースのケンケンだということ。

その後共演できたのかどうか、私は知らない。

ただ、その発言を聞く前に私もケンケンのベースの上手さに驚かされていたので印象に残っていた。

申し訳ないのだが私は同氏のドラム演奏よりも、スポークスマン的なお話の方が好き、というか興味があった。

氏の著作はあるものの、話を聞くことができなくなったのは残念である。

あらためて村上ポンタ秀一氏のご冥福をお祈りします。

自分自身が高齢者の仲間入りを直前に控える年代になった今、年上のミュージシャンが亡くなっていくのは自然なことなのかもしれない。

「オール・シングス・マスト・パス」なのだから。

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