1999年8月分

音楽雑記帳

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8月27日(金) 東京山の手第3学区プログレ・バンド

開店直後でまだ客も少ない大規模店舗のディスカウント・ショップで買い物をしていたら、やけにハードなロックがBGMで流されていた。

このギターのフレーズ、どこかで聴いたことがある曲だと耳をすますと、何と四人囃子の「一触即発」ではないか。

天井のスピーカーの真下に立ち尽くして、危ないオジサンしながらも思わず最後まで聴いてしまった。

さらにそれが呼び水となって帰宅してからアナログ盤をひっぱり出して全曲聴かずにはいられなかった。

当時は聴いていて恥ずかしいと感じた日本語の歌も、今は不思議と自然に聞こえてくる。日頃必然性のない日本語ロックを聞かされているためか。

また現代の日本のバンドからは感じることができないパワーやエネルギーもあふれている。いわゆるハングリー精神からだったのか。

中学生の時、某都立高校にかよっていた姉から、文化祭でクリームの曲を演奏する凄く上手い高校生バンド「ザ・サンニン」の話を聞いた。

その後キーボード・プレーヤーが加わってプロになり制作されたファースト・アルバム「一触即発」。

歴代メンバーのうち2人が中学の先輩という、東京にあって地元意識をくすぐられる存在だった。

セカンド・アルバム「ゴールデン・ピクニックス」までは聴いていたが、森園氏が脱退してからは理由は覚えていないが聴かなくなってしまった。

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8月18日(水) 自分が好きなものだけ

すでに再結成しているsteely danのメンバーであるdonald fagenのグループ活動休止期間に発表された2枚目のソロ・アルバム「KAMAKIRIAD」を久々に聴いてみた。

82年に発表した1枚目のソロ・アルバム「THE NIGHTFLY」から11年たっているのに、その音楽性は本質的には何も変化していない。

しかも2枚目はプロデュースがwalter beckerでギターやベースも弾いているので、サウンドだけでなく制作方法もsteely danと変わらないと思われるのだが、本人がどう区別しているのかは分からない。

新しくも古くもないエバーグリーンな音楽性がどこからくるのかずっと不思議に思っていたが、案外グループとしてライブを行わなくなった特殊な活動形態の影響もあったのかもしれない。

メンバー・チェンジをしているうちに、楽器の演奏はスタジオ・ミュージシャンが一番上手いと割り切り、実質的には2人のユニットになってしまった。

そのような制作活動を続けたお陰で作曲、アレンジのみに集中でき、しかも聴衆の「うけ」など関係ないところで自分の感性のみで音楽性を確立したのだろう。

もっとも元々音楽に関してはかなり頑固そうにも思えるが。(^^;)

別にライブが嫌いではないらしくソロ期間後半からはちょくちょく人前で演っていたし、グループ再結成後にはツアーを行いライブ・アルバムとして発表してきた。

果たしてライブ活動は彼らのサウンドに変化をもたらすのだろうか。早く次のスタジオ録音盤が聴きたい。

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8月7日(土) 創造?選択?それとも創造的選択?

CreatorsNetというホームページでループ・パターンのサンプリング・データを1ループ当たり1,000円~3,000円で買うことができる。

買う前にリアル・オーディオで試聴ができるので、一応納得してからの購入になる。しかし商売として成り立つのだろうか。

坂本教授がYMOの後期に、「これからもテクノロジーの方が人間の感性よりも先行するだろう」と言い切っていた。

まさに彼の予言通りの展開をしている昨今だ。

アナログ時代のパッチ式シンセサイザーの音作りでは、まず頭の中で欲しい音色を想像して、それからそれを試行錯誤して形にしていた。

デジタル化後の楽器の驚異的な進歩により、今ではトライ&エラーで好みの音をみつけるという感じに近い。

特にサンプリング・マシンが一般化した以後は、創造というより選択になってしまった気がする。

もっとも創造と選択の違いはどこかと考えると、かなり微妙な問題である。

自身の中に入力したものを再構築して出力する、ととらえると両者に大きな相違点はないのかもしれない。

結局、入力してから出力するまでの間に、自身の感性の中でじっくりと熟成させる時間的余裕がもてない時代なのだろうか。

「レンジでチン」は便利だが「お鍋でコトコト」の深い味わいが消えてゆくのは惜しい。

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