クローン病闘病記PartU


 年が明け、時は2002年、サッカー日韓共催大会が開かれる年になっていた。そう、あのクローン病の手術をしてから、ちょうど8年たとうとしていた。最初の手術を受けたあの頃も確かサッカーW杯の話題をテレビでやっていた。年月がすぎるのも早いものだ。
 私は、その前の年に長患いとなった痔ろうと闘い、痔ろうの手術を受けて、やっとの思いで痔ろうを治し、病気を克服できたつもりだった。だが、その時の入院ですでにクローン病の小腸病変の再発を確認していたのである。そして、その時が来るのを覚悟していたのだが、同時に、できればその時が来ないのを祈っていた。しかし、その時は確実に突然やってきた。
 その日はいつもの通り、会社にいって、比較的無理のない、いつものパソコンでの仕事をやっていた。だが・・・突然おなかが痛くなったのである。非常に強烈に刺すようないたみとおなかを雑巾しぼりされるような痛みがが襲ってきた。そして、食べ物もほとんど通らなくなった。
 しかし、その状態はそれまでも、ここ半年くらいの間で時々出ていたのだが、大抵一日か二日ほど、成分栄養剤だけの栄養摂取にすることで治まっていた。しかし今回は違ったのである。成分栄養剤だけにして、一日ゆっくり休めば治るさ・・・と思ってそうしたのだが、一向によくならず相変わらず痛いのと胃の中の物もすべて吐いてしまうとかして、体力的にも、もう限界に達していた。
 それで、休んで三日目の朝、病院に遠路2時間ほどの道のりを痛みにたえながら病院に直行して、やっとの思いで受診してみてもらった。
 やはり、状態は相当ひどいことになっていて、腹膜炎を起こしかけていたので、もしかしたら緊急手術を行うことを告げられ、しばらく、点滴のみで入院して様子を見ることになったのである。

数日後、点滴での栄養補給が効いたのか、だいぶ痛みも引いてきていた。そこで、おなかの中の状態をもう一度調べることになり、みてもらった。なんとか、緊急手術しないといけない状態からは確実に脱していたが、やはり、高度な腸管狭窄が進んでいることに違いなく、今回の入院で腸管狭窄の部分切除手術を行うことが決定した。もう、おなかにメスが入らないと思っていたのだが、再び、メスを入れることになった。怖い!半年前の痔ろうの手術や8年前の小腸の手術よりはるかに怖く感じる。やはり、8年前の手術で味わった痛みが相当強烈に印象として残ってるのである。今回もあの苦しみを味わなければいけないんだろうか?
その時、8年間の油断と甘さに後悔した。しかし、今回も立ち向かって勝たなければいけない。負けてはいけない。頑張らねば。そう思って、覚悟を決めたのである。

いよいよ、手術当日がやってきた。先生のひととおりの説明を受けてからいよいよ手術の準備開始である。すでにIVH(中心静脈栄養)のみで栄養を摂り始めてから一週間以上たっていた。だから、お腹の中はすでに空っぽになっていた。まず、眠くなる薬を飲み、手術室に運ばれるベッドに横になり、更に眠くなる注射を打ってもらい手術準備室に入った。そこで、血圧計とかいろんな計器類を体のあちこちにつけられ、手術室に入った。手術室はやはり、一種独特な雰囲気があって、そう何度も入りたくない場所である。しかし、現実にはまたここに来てしまった。いよいよ、手術台の上に上り、まず脊椎のところに痛み止めの針をつけてもらい、ついで、背中を海老反りに丸め脊椎に麻酔注射が入った。なんかズズズンという感じでけっこう背中に響く。看護婦さんも必死に体が動かないように抑えてくれているのがわかった。相当重労働で大変だな〜と妙に冷静な自分がいた。麻酔注射が終わり再び仰向けに寝た。そして、次の瞬間、口元にマスクをさせられ、口からガスが入ってきた。。。。。。自分が遠くなっていく・・・・・。次の瞬間、私はICUのベッドの上で目が覚めて、気がついた。そして、相当な時間が過ぎていた。
 麻酔から、覚めた後が大変だった。鼻にはチューブが突っ込まれ、左手には血圧測定器がついたままになっていて、お腹にはまだ悪い血を出すドレインが突っ込まれた状態になっていて、少しでも体を動かすと相当痛い。特に鼻のチューブが大変つらい。結局、手術当日の夜は一睡もすることができなかった。
 あまりにも鼻のチューブが気持ち悪いので。翌々日はとうとう抜いてしまった。あまりにも早く抜きすぎたので後が大変だった。
 鼻のチューブというのは本来、消化管を手術した後、消化管が動き出すまで突っ込んでいたほうがいいのである。というのは、腸が正常に動いてないと胃液や唾液などの胃の内容物がどんどん溜まっていって、腸管のほうに流れていかないので、鼻のチューブで胃の内容物を時々抜いてやる必要があるのである。それをまだ腸が完全に動き出さないうちに抜いてしまったものだから、胃の中にたまった胃の内容物があがって来るのである。しばらくは吐き気との戦いであった。
 さらに数日たち、やっと腸が動き出した。かすかにではあるが、ガスが少しずつ流れだしたのがわかった。そうなってくると、かなり楽になった。
 そして、先生からは腸の癒着を防ぐためにどんどん歩いたほうがいいとの指示があり、体を起き上がらせようとしたが、お腹に力がはいらず、上半身を少し動かすのがやっとであった。それも、一日一日よくなっていくのがわかり、わずか、一週間でお腹を押さえながらではあるが、相当歩けるまでに回復していた。

 日にちがすぎ、大部屋に移ろうとしていた。そして、食事も重湯から少しずつ開始し、ついで経腸栄養療法も開始し、後は日にちの経過で案外早く回復できると思われていた。しかし、この入院はこれだけでは終わらなかったのである。
・・・・・・・・・・・痔ろうへの戦いPartUに続く・・・・・・・・・・・