アンジェロ青年のこと


 1996年3月19日,私は,とある巡礼団の一員としてイタリア・ローマ近くのスビアコという小さな村にいた。そこはベネディクトが隠遁生活を送り、ベネディクト修道会を最初に開いた場所であるが,日本で発行されている旅行ガイドブックにも載っていないし,大きな地図帳にも載らないくらいの小さな村らしい。
ナポリからローマへ向かう途中に立ち寄ったから、中間に位置しているらしいのだがこれも定かではない。
 昼食の後,そこに向かったが,道中車窓からは,春の嵐とでも言いたいような激しい霙と雷に見舞われたカルスト大地が広がっていた。バスから降りられるかどうか心配だったが、スビアコに到着したときは,激しい雷雨も上がり,雨上がりのさわやかなそよ風さえ吹いていた。入り口の門を通り,滑りやすく長い石の階段を,上っていき視界が開けて洞窟の写真を撮ろうとしたとき,「こっちの方がよく見えるよ」とガイドの声が聞こえた。
「ああ,そうか。」と思って走ってそこまで行き,今上ってきたばかり階段の脇にそびえ立つ幅1メートルくらいの石の壁に飛び乗ったのが間違いの始まりだった。
階段側は高さ2メートル以上あり,飛び乗った側は50センチあるかないかくらいの高さだから,飛び上がれないくらいの高さでもなかったのである。
しかし,悲劇(?)は起きてしまった。そのとき私の頭には,『濡れた石は,滑りやすい』という事実の認識が完全に欠如しており,ものの見事に私の右足はハイドロプレーニング現象を起こし,今上ってきた階段へ宙を飛んで逆戻りしてしまったのである。
 ただ運動音痴の自分が,宙を飛んでいるわずかの間に,このまま着地すれば,間違いなく石の階段に頭を叩きつけることを悟り、左手で頭をかばっていたことには自分で驚いている。体全体で石の階段の固さを実感し,濡れた階段を数段滑り落ちたようである。
打ち所が悪ければ間違いなく黄泉の国へ旅だっていたかもしれないが、左肘の骨折と骨盤の右側に小さなひびが入っただけですんだのは,不幸中の幸いと言わなければならないだろう。
 この私の事故の様子を一部始終見ていたのが,イタリア人のアンジェロ(天使の意味:男性形)という一人の青年だった。彼は,同行の誰よりも速く駆けつけてくれたらしい。
 私が覚えているのは,「大丈夫か?」と,いう誰かの声がかすかに聞こえ,起きあがろうとしたことだけで,頭から血の気が引いていくのを感じながら気持ちよく気絶したことだけである。気絶している間に,香油を塗られたようであるが,これも定かではない。
とにかく完全に意識が戻ったのは救急車に乗せられて,救急病院に運ばれる途中だった。あとで聞いた話によると,私が落ちるのを見ていた彼は,修道院に連絡し,救急車を呼んで呉れたとのことである。そして,我々が巡礼の途中で,他のメンバーがローマに向かわなければならないことを知った彼は、見ず知らずの日本人の為に自分から進んで看護を引き受けてくれた。3月19日はスビアコの村祭りの日で,仕事が休みだった彼は,修道院に見学に行き,私の事故に遭遇したとのことだった。
 収容されたのが田舎の救急病院で,医者はイタリア語しか話せず,こちらはイタリア語も話せない中で,片言の英語で私と医者の通訳をかってでたのが彼だった。
 夕方,添乗員と他のメンバーがローマに向かったあとも,彼は病院に残ってくれ、消灯時間の午後9時まで食事もせずに,私を励まし,元気づけてくれた。
 翌朝も病院が開くの待って,来てくれた。彼は退屈しないように,いろいろ話をしてくれた。痛みがひどくてどんな話をしたか覚えていないが,彼は法律勉強し,法律事務所に勤めていると言ったことだけは覚えている。
 それと外国人にとっては私の名前は言いにくいらしく,修(おさむ)が発音できずに,ozamuだったりosyamuになったりする。そこで私は外国では,片方の靴すなわちshoeで通すことにしている。姓も同じでフィリピンに行ったときは,matyunagaかmadunagaになってしまった。ひどい発音の場合はmyatyunagyaになったこともある。
『ギョーテとは,俺のことかとゲーテ言い』という川柳の世界になってしまったが,とにかくアンジェロ青年は1日半を見ず知らずの日本人のために,自分を犠牲にし,彼の家族までに犠牲をさせ尽くしてくれました。
救急病院からローマの病院に転院する為の折衝も引き受けてくれ,国際問題になることなく(大袈裟だ),ローマに転院できました。また、私だけでなくローマから迎えに来た添乗員やメンバーを救急病院の院長との面会時間になるまで,近くを案内し食事の世話をしたりしてくれたそうです。
聖書にある『善きサマリア人のたとえ』を,身をもって体験させてくれたアンジェロ青年にもう一回会ってお礼を言いたいのだが,彼の住所をひかえてくれた神父さんが,その手帳をローマで盗まれ,住所も姓もわからなくなってしまった。
 もしこれを読んでから,スビアコに行く機会がある方,スビアコ近辺でアンジェロ青年のことを聞いていただきたいと思います。(わかるわけないか!?)


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