1919年=大正8年に造られ、現役で電気供給している栗野発電所。
この発電所に水を供給している阿波井堰の沿革とチッソ株式会社の概要を編集しま した。
(参考文献 hp 野口 遵 ・ JNC) 


しかし
 平成27年、上流に新しく可動式堰ができ、取水口のある現在の阿波井堰が解体されますので
 これに対応して建物や発電機が一新されます。湧水町の近代化産業も過去の遺物となります。

  


チッソ株式会社は JNC(株)になりました。

沿 革 


1906(明治39)年 曾木電気株式会社設立 大口金山に送電
1908(明治41)年 日本窒素肥料株式会社に改称、、水俣工場でカーバイトの製造を開始
1912(大正3)年 白川発電所完成(熊本県)
1919(大正8)年 栗野発電所完成(鹿児島県)
1923(大正12)年 世界で初めてアンモニアの製造開始
1927(昭和2)年 朝鮮窒素肥料株式会社設立、世界最大規模の化学コンビナート「興南工場」設立
1941(昭和16)年 塩化ビニルの製造開始
1944(昭和19)年 世界最大級の水豊ダム完成(70万kw)
1945(昭和20)年 全国のトップを切ってアンモニア肥料(硫安)の製造再開
1950(昭和25)年 新日本窒素肥料株式会社としてスタート
1965(昭和40)年 社名をチッソ株式会社に改称
1973(昭和48)年 液晶の製造設備完成 チッソアメリカ社設立
1989(平成元)年 サン・エレクトロニクス株式会社設立 IC組立、バンプ製造設備完成
1994(平成6)年 上海金昌工程塑料有限責任会社
1999 (平成11)年 台湾智索有限公司設立
2000(平成12)年 チッソ再生計画スタート チッソ韓国株式会社設立
2011(平成23)年 JNC株式会社設立


創立者 「野口 遵」(したがう)

野口 遵(のぐち したがう、1873年7月26日 - 1944年1月15日)は、日本の実業家。
日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。
「電気化学工業の父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。チッソの他にも、
旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもある。

朝鮮半島進出後の野口遵は政商であった。朝鮮総督府の手厚い庇護の下、
鴨緑江水系に赴戦江発電所など大規模な水力発電所をいくつも建設し、
咸鏡南道興南(現・咸興市の一部)に巨大なコンビナートを造成した。さらに、
日本軍の進出とともに満州、海南島にまで進出した。森矗昶、鮎川義介などと共に
当時、「財界新人三羽烏」として並び称されていた

「野口 遵」の履歴

1873年 7月26日 金沢の貧しい士族の家に生まれた。(明治6年)
     東京師範学校附属小(現・筑波大附属小)を経て東京府中学(現・都立日比谷高校)入学。  
     のち乱暴狼藉といたずらで追い出され、成立学舎を経て
1888年 第一高等中学校入学。
1896年 帝国大学工科大学電気工学科(現・東京大学工学部電気工学科)を卒業した。
1898年 シーメンス東京支社に入った。
1903年 仙台で日本初のカーバイド製造事業を始めた。
1906年 曽木電気を設立し、鹿児島県の大口に曽木水力発電所を開いた
     (後のチッソ、旭化成、積水化学、積水ハウス、信越化学)。
1907年 日本カーバイド商会を設立し、熊本県の水俣でカーバイドの製造を始めた。
1908年 曽木電気と日本カーバイド商会を合併して日本窒素肥料を設立した。
1914年 広島電灯(現・中国電力)の取締役に就任。中国山地・太田川水系の
     電源開発を計画。また東洋コルク工業(マツダの前身)などの支援や
     福屋デパート創業にも参画した。
1919年 広島市に移住。
1921年 イタリアのカザレー(Luigi Casale)博士よりアンモニアの新しい製造方法(カザレー法)
     の特許を購入した。
1923年 宮崎県の延岡で、カザレー法によるアンモニア製造を開始した。カザレー法の実用化として世界初。
1924年 日本窒素肥料の朝鮮半島への進出を決定した。
1926年 朝鮮水力電気(朝鮮水電)と朝鮮窒素肥料の2社を設立した。
1929年 日本ベンベルグ絹糸(現・旭化成)を設立した。
1932年 京城府本町(現・ソウル特別市中区明洞)に半島ホテル(現・ロッテホテル)を開いた。
1940年 京城で脳溢血に倒れ、実業界から引退した。
1941年 科学振興・朝鮮教育振興のため私財3000万円を投じて、2,500万円で野口研究所を設立、
     500万円を朝鮮奨学会に寄付した。
1942年 勲一等瑞宝章を受けた。
1944年 1月15日 没。


水力発電の夜明け

蹴上(けあげ)発電所(京都府 関西電力)

日本で最初の事業用水力発電所
第1期工事1890(明治23)年2月起工
1891(明治24)年11月送電開始


九州にあるJNCの発電所
黒線がJNCが現在使用中の発電所です。

注 全国にある近代化産業遺産は、過去の遺物がほとんどである。
   ところが湧水町の近辺には100年経ってもりっぱに活躍していいましたが
   阿波井堰改築事業が始まり、新阿波井堰が完成するにあたり
   すべて新しくなりました。
   次の画像は歴史の流れに消えて行った貴重なものです。
  

 旧栗野発電所 右が発電所建屋 左が変電所 
   
奥にある半円形のものが水車です。
上から流れ込む水を受けて軸を廻していました。
横軸双輪フランシス、2,240 kw、日立製
手前のカタツムリに見えるのが水車の軸を受けて
電気を作る発電機です。
2,500kVA 6.6KV 16P 60Hz 日立製
 
 
撮影日 平成23年10月8日(土)
電気をコントロールする配電盤です。
   
阿波井堰取水口から流れてくる水  毎秒14、2㎥
すごい水量ですね。
取水口からここ発電所の上まで 826メートル 
「第一取水口」で大きなゴミを取り除き
さらにここで自動に除去されます。
   
北方用水路の出発はここでした。
別名「室谷疎水」
ここから下のタービン建屋まで落花します。
有効落差は19・45m
この落差でタービンを回します。
 
寛文6年(1666年)薩摩藩により開通、明治43年鹿児
島県の指令により北方疏水工事と称し、石川県出身の
農会技師が主唱者となり、大正元年から3年に新たに
延長2,970メートルの疏水が増設完成し、その後地域民
は主唱者である
室谷専一氏に感謝の意味を込め、
室谷新田と呼ぶようになった。
 
                  

<当時のニュースより>

JNC株式会社(東京都千代田区、社長:後藤 泰行)は、鹿児島県姶良郡あいらぐん湧水ゆうすい町
ちょうに所有する栗野発電所の改修工事を完成させ、新たに営業運転を開始しましたのでお知らせ
いたします。

 当社グループは、先端化学企業として液晶材料や有機EL材料の研究開発及び製造販売を基幹
事業とする一方、環境・エネルギー分野も重要な事業ドメインと位置づけています。国内に13ヶ所の
水力発電所(最大出力合計93,400kW)、4ヶ所の太陽光発電所(同16,000kW)を保有し、再生可能エネ
ルギーによる発電事業に取り組んでいます。

 栗野発電所は、鹿児島県川内せんだい川がわから取水する流れ込み式水力発電所です。当社は
2013年度より既存の水力発電所の大規模改修工事を順次進めており、その中で営業運転を開始す
るものとしては本発電所が初となります。
水車・発電機等を高効率な機器へ更新することで、認可取水量を変えずに最大出力を200kW(約9%)
増強しました。

 水力発電は、二酸化炭素排出量が少なく、環境に優しい貴重な純国産のエネルギーです。当社は、
これまで培ってきた発電技術を活かし、
周辺環境に配慮しながら将来にわたり安全安定運転によるエネルギーの供給で社会に貢献してまいります。