第27話 「主観と客観」
〜 勉強と人生をつなぐモノ 1〜


少し,ややこしいお話で申し訳ない。
今回のテーマは
「主観」と「客観」である。

国語の授業や,普段の生活の中で
一度は聞いたことがあるような,ないような…

そんな
言葉である。



勉強や勉強法について
イロイロと考えるうちに
「これは,ど〜しても避けられない」
という結論に至ったのである。

「主観(しゅかん)」と「客観(きゃっかん)」について
数回に分けて掲載していこうと思っているが

今回は「主観」「客観」の
意味から確認していくのである。



先ずは,いつものように辞書を引く。



【主観】(大辞林より)

対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき。
また,そのはたらきをなすもの。
通例,個別的な心理学的自我と同一視されるが,
カントの認識論では,
個別的内容を超えた超個人的な形式としての
主観(超越論的主観)を考え,
これが客観的認識を可能にするとする。

【客観】(大辞林より)

(その1)
主観の認識・行為の対象となるもの。
主観に現れるもの。世界。かっかん。

(その2)
特定の認識作用や関心を超えた一般的ないし普遍的なもの。
主観から独立して存在するもの。


・・・?・・・☆・・・□・・・@・・・???

どうやら,入口を間違えたらしい・・・

小学生の国語辞典で調べてみるのである。



【主観】(旺文社小学国語新辞典より)

自分中心の考えや感じ。自分だけの意見。


【客観】(旺文社小学国語新辞典より)

自分の考えや心に対して,その外にあるもの。



う〜〜む・・・である。

まだまだ,難解キャンディーズである。
特に,「客観」の方が,どうもシックリこないのである。


言葉を変えて,今一度チャレンジである。
「主観的」「客観的」で攻めてみる。



【主観的】(旺文社小学国語新辞典より)

自分を中心に考えたり,感じたりするようす。



【客観的】(旺文社小学国語新辞典より)


自分の意見を入れないで
物ごとをありのままに見るようす。




これなら,なんとかイケソウである。

さて,準備が整ったところで
いよいよ
「主観・客観」と「勉強」の関係について
お話を進めるのである。



実は,勉強しながら,
この
「主観」と「客観」
ゴチャゴチャになっている中学生が大変多いのである。

中学生だけではない。

高校生や大学生,社会人にも
「主観客観ゴチャ混ぜ状態」
勉強している人が多い。

・・・と言うより
「主観」と「客観」をキチンと区別して勉強している人
が,とけもに少ない・・・と言う方が正しいかもしれない。



ひとつサンプルを紹介しよう。

国語のテストで,よく出される問題である。



「全文を読んで,作者の言いたいことを50字以内でまとめなさい」

これに対して,アナタはどのような
考え方で回答しているだろうか。


今回のテーマに即して聞くなら,アナタは
「主観的に答えますか?」
それとも
「客観的に答えますか?」


もっと,わかりやすく質問するなら
「自分を中心に考えたり,感じたりして答えていますか」
それとも
「自分の意見を入れないで物ごとをありのままに見て答えていますか」
となる。



だぶん
今までは「主観・客観」などと考えないで
回答していたことだろう。

それが
「主観・客観ゴチャ混ぜ状態」なのである。



「全文を読んで,作者の言いたいことを50字以内でまとめなさい」
に対する正しい考え方は以下のとおりである。


これがテスト問題であれば
絶対に「客観的」に答えるべきである。

「作者がどう考えたのか,

が読んでも,ナルホド納得する文章
を書きなさい」
というのが問題の趣旨である。



さらに言わせてもらえば

「誰もアナタの意見感想なんか聞いていないんだから〜!」
なのである。

自分の意見を入れないで
物ごとをありのままに見るように
答えなければならない

のである。

問作者が,どうしてもアナタの意見や感想を聞きたい場合には
「アナタの意見を入れて・・・」
ただし書きがついてくるコトになる。



ただ,いつも
「客観的」に考えてばかりではイケナイ。

これがアナタの読書中に発生した
「作者は何を言いたかったんだろう・・・」
という疑問ならば
「自分を中心に考えたり,感じたりして」
答を出さなければならない。

こんな場合には,
主観的に考えなければならない
のである。

自分の意見や考えをふくらませることで
人生は豊かになる。

この
「主観」「客観」

ちょっとヤヤコシイ話ではあるが
とても大切なコトなのである。

学力向上のためにも

人間力向上のためにも