第23話の3 どうして「国語」を学ぶのか 2
〜 言葉のダークサイド 〜



なぜ,言葉を研かなければならないのか
・・・である。



それは,「言葉は他人と交換するもの」だからである。


私たちの遣う言葉は,「お金」に似ている。
私たちはお店で,自分が欲しい物を手に入れるとき
それに見合った「お金」を支払う。

つまり,「物」と「お金」を「交換」するのである。

本物の
「お金」は,社会の中で,その価値が決められているので
多少,古くても,汚れていても,折れ曲がっていても価値は変わらない。

偽札でないかぎり,あなたは欲しい物とお金を交換できる。



ちなみに,「お金」をたくさん持っている人は「お金持ち」である。

「まくべん」は「言葉」をたくさん持っている人を
「言葉持ち」と考えている。

言葉をたくさん持っている人は,そうでない人より,
多くのモノを手に入れることができるのである。



私たちが相手に対して「言葉」を遣う場合,何か欲しいモノがあることが多い。

「モノ」とは単純に「物」であったり,「してほしいこと」であったり
「相手に喜んで欲しい,悲しませたい,励ましたい」という気持ちでもあったりする。
ここでは「愛しているよ〜」もモノの一種だと考えてもかまわない。


そんな「欲しいモノ」がある場合,相手に言葉を投げかけるのである。

「オイ! そこの窓を開けろよ」
「すみませんが,そこの窓を開けてもらえませんか」

つまり,
「欲しいモノ」と「アナタの言葉」を交換することになる。



だが
「お金」と「言葉」が大きく異なる点もある。

それは,曲がったお金や汚れたお金は「価値は変わらない」が
言葉の場合,遣われ方によって「価値は大きく変化する」のである。

折れ曲がった言葉や,汚れたことばの価値は低く
正しい言葉や美しい言葉の価値は高くなるのである。
まるで為替市場や株式市場のようである。


価値の高い言葉を遣えば,価値ある取引ができる。
価値の低い言葉を遣えば,価値の低い取引しかできない。



「お金持ち」と同様に,「言葉持ち」は,ずいぶん得をすることになる。



また,お金持ちは,みんなが良い人とは限らないように

「言葉持ち」も,みんな良い人とは限らない。

「お金」も「言葉」も,その人の「心のあり方」で
良くもなり,悪くもなる。

サギ師やペテン師,悪徳商法のセールスマンは
ダークサイドの「言葉持ち」である。

彼らは,言葉巧みに人の心を読みながら騙(だま)すのである。



ここで,1つのサンプルである。

アナタにどっかのオジサンから電話がかかってきた。

「もしもし,お父さんやお母さんは,いますか」

「はい,父さんも母さんも外出中です」


何気ない会話であるが,この一言の会話で,
アナタのバカは露呈(ろてい)する。

オジサンは心の中で,ニヤリと笑うのである。
「なんだ,コイツは,馬鹿なガキだなぁ・・・」

そして
電話口で,何事もなかったかのように良い人を演じながらしゃべるのである。
「そうですか,それは残念。ところで,今日電話したのは・・・」




アナタのバカは,どこで露呈したのだろうか。

賢明な諸君なら,既におわかりのことと思う。

そうである。

「はい,父さんも母さんも外出中です」
ではなく,

「はい,父も母も外出中です」
である。

オジサンは,高い価値の言葉を十分に理解していたため
アナタの一言で,アナタの本性を見抜くことができたのである。


逆に,あなたは,高い価値の言葉を理解していなかったため
オジサンに本性を見抜かれてしまったのである。

そして,何より怖ろしいのは
オジサンにバカを見抜かれたことに
アナタが全く気づいていないということである。



こんな感じでオジサンと会話を延々と続けていくと
アナタが気づかないうちに「あなたのバカ」を
完全に見抜かれてしまうのである。
「はは〜ん,コイツ大したことないじゃん,いいカモじゃん」となる。


「言葉を知らない」は,実に怖ろしいことなのである。


結 論

国語をキチンと勉強することで「言葉持ち」になれる。
「言葉持ち」は「お金持ち」と同様にとてもお得な存在である。
「言葉持ち」になって人をだますことも可能だが
それは悪いことである。
「そんな悪い人にはなりたくないから国語は勉強しない」と思っても
結局,他人からは簡単にだまされるのである。


なんだか,今回は「言葉のダークサイド」のお話になってしまった。

そして,「言葉を研くお話」はまだまだ続くのである。