中里の行事・近況

21年島遊び  マーターテーバー

14時04分


14時04分


14時05分


14時05分



14時09分


14時27分


17時07分

そーめんがぶー

19時02分


19時09分



20年11月20日  島遊び はマーターデーバから始まる

八月踊り
 
 
奉納相撲

 

そうめん がぶー

 

フユンミー(2008年11月26日)
 

平成20年 1月3日 敬老会 風景 

  

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
万歳三唱でお開き
いつまでもお達者で。
 
 
平成19年 11月26日 島遊び 風景

      島遊びは高祖祭(ウヤンコウ)から3日目に行われます。


島遊びは祭りの儀式である「マーターテーバー」から始まります。

  


八月踊の始まりです。お年寄りから子供たちまで、踊りの輪は広がります。


続いて奉納相撲の始まりです。小学生の部、中里の将来を担う勇士たち。
 
ガンバレ小学校1年生          中里チャンピオンに3人がかりで

続いて六調です。

次は中里集落恒例 ソウメンガブーの始まります。
まりろう会メンバーの投げ上げるソーメンが宙を舞う

 
 
この日ばかりはソーメンの奪い合いはよしとされています。

 
手に入れたソーメンは仲間うちで食べます。
一昔前までは、おなかに入れるまで油断は禁物、奪い合いは延々と続いていたようです。
お疲れ様でした。

平成18年 1月3日   恒例の敬老会 風景

  

  

 

  

 

     

  

   

 

  

  

万歳三唱 で お開きとなりました。いつまでもお元気で。


平成16年 島遊び風景

12月9日 ウャンコウ

   青空の下、ほら貝の合図でオャンコウの始まりです。

     

12月10日 ジドリ           

12月11日 

マーターテーバーから八月踊りとなる。

 

 

奉納相撲

   

   

ソウメン ガブー

フユンミー


フユンミーが終わると冬到来です。

 


平成15年 冬折目(フユンミー)風景

10月24日(島遊びから7日目) 恒例の フユンミーが行われました。

平成15年 島遊び 風景

  十九日遊び  10月14日 馬頭観音 保食神社にて

島遊び  10月18日 踊り に 相撲

中里 恒例 そうめんガブ-


素麺は誰の手に

 

平成15年 6月24日 馬頭観音保食神社落成祝賀会 風景

 長年の念願の保食神社が新築落成した。平成十三年四月の集落総会で新築を決議した保食神社は、平成十四年度に予算化し、設計書ができ、平成十五年三月着工した。
 倉本禎彦区長、野間昭夫建設委員長の意欲的な取り組み、久野一馬氏の高い大工の技術ですばらしい神社ができあがった。
 久野氏も初めての宮大工だったので文献で学び、大きな原寸図をゆか間に書いての大奮闘の建築であった。
 そうして、平成十五年五月吉日に見事に完成した。神社の建物の総工費七百万円である。それに前面に石壁を積み、階段をつける。その工費が百二十万円かかる。神社の両袖には保茂雄氏[故保茂氏三男、東京在住]の奉献のこまいぬの石像が建つ。
 小高い丘[バトウカンサマ]にナート[中里]を見下ろして建つ保食神社は、鎮守の社であり、農耕の守り神であり、みんなの心を寄せ合う場である。
  [中里だより 第十二号(平成十五年六月)]

 


威容たる神殿

大安吉日の平成十五年六月二十四日 盛大に祝賀会が行われました。

神事に引き続き八月踊りの奉納

乾杯! 祝宴


喜びを六調で

総勢152名の参加者で大いに盛り上がりました。
婦人会の方々、マリロー会の皆様ご苦労さまでした。

 

平成15年 1月3日 第92回中里敬老会 風景

 

 

 
 


島遊び  2002年10月23日  (高祖祭から3日目)   

  

島遊びは マーターテーバー から始まり八月踊り、続いて 小・中学生男子による奉納相撲が行われます。また、親子相撲や兄弟相撲も行われ賑わいます。

    
   中里の将来を担う 小学生(左) 中学生(右)男子の皆さん。


圧巻は ソーメンガブー です。
やぐらの上から四方にまかれる素麺(ソーメン)を我先に取り合います。
この日ばかりは他人の素麺を奪い取ってもよく、無事に持ち帰って
食べてしまうまで油断のできない 中里に伝わる 不思議な行事です。


馬頭観音祭(十九日遊び) H13.10.5 (旧暦八月十九日) 晴れ

朝の内に馬頭観音様で神事が行われ、夕刻から集会所前広場で秋晴れのもと、延々と「八月踊り」が繰り広げられました。

 

 

馬頭観音祭(十九日遊び)
 馬頭観音とは農耕の主役である馬の霊を祭る石仏を指し、バトウカンサマと呼んでいる。昔から町村管理でなく。集落管理となっている字社である。朝祭りを終えてから八月踊りを行う。豊年祭と前後する年もあるので、どちらか後になる方を盛大にしている。 < 賀村幸之助 著 「中里言葉の不思議」 から引用させてい戴きました>


第6回中里盆踊り大会   H13.8.13
中里集落恒例の盆踊り大会が、まりろう会の音頭のもと盛大に行われました。

       

   


ふるさと美化活動        6月17日(日) 快晴

美化活動は集落総出で毎月1回行われています。
今月は二手に分かれ、新・旧公民館の清掃です。午前7時半の作業開始を待たずに、お年寄りの草取りは始まっています。草刈り機による除草やゴミの片づけなど、手際よく片づけられていきます。
本日の清掃は早く終わり、中里の主要道路(スーパーふくり〜県道)脇の雑草退治に汗を流していました。



旧歴3月3日(さんがんさんち)        3月27日   中里墓地

 女の子の節句です。
早朝 自宅の神仏前と、先祖のお墓に自家製の ヨモギ餅(ふとぅむっちい) と野生の百合にヨモギを供えます。言われについては定かでありませんが、女の子の家庭とは限らないようで、たいていの家で行われています。
    
 なお、旧暦の1日と15日には、お墓参りは欠かせません。
朝のうちに、 墓前に焼酎とお水を供え、お花を活け変えます。最近では前日の夕刻に済ませる家庭もあります。


中里 アサギマダラ ロード 誕生                    3月15日

  
 旅をする蝶 アサギマダラは 知る人ぞ知る 百の台 が有名のようですが、島内を見た限り 百の台 ばかりでなく、中里でも身近なところで、たくさん目に入ります。
特に 「スーパーふくり」 隣にある 無線鉄塔の横から 遊歩道入り口 にかけての「むくまおう」林の小道沿いで多く見られます。
厄介な雑草「さし」の小さな白い花を好んで集まっています。勝手に「アサギマダラ ロード」と命名してしまいました。
5月下旬頃をピークに飛び交っていたアサギマダラは次々少なくなり、ついに6月22日を最後に姿を消し春の北上は幕となったようです。
秋の南下は10月上旬、滝川林道、百之台方面で初確認、ついで10月23日中里アサギマダラロードに姿を現しています。去る10月17日の台風21号通過の際の塩害で好物の草花はほとんどが枯れてしまいピンチです。(2001.10.18)

ここで、京都の 藤井佐紀子 さんが和歌山県日高町 西山で10月8日にマーキングしたアサギマダラが、11月1日再捕獲されています。(2001.11.1)

                       喜界島のアサギマダラへ戻る


町防災訓練                      1月27日    中里保食神社 

 今年の防災訓練は、中里の保食神社で集落民多数の見守る中、消火活動、搬出や住民による消火実演など真剣に行われました。
 集落祭事の かなめ であるこの神社は、保食神社というより馬頭観音(ばとうかんさま)と親しまれ、集落で大切に管理されています。

   


中里四十九歳厄払会              1月22日    中里新公民館

 中里集落恒例となっている第20回目の49歳厄払いの会です。

       
     かぞえで四十九歳を迎える面々女性軍に圧倒されてか男性二名は席に着いていないようです。

   
         すでに厄払いを終え、還暦未満の先輩が大勢駆けつけ祝います。

          
     この会の準備、進行は昨年四十九歳の厄払いを済ませた組が趣向を凝らして取り仕切ります。


  七草   1月7日

この日は、かぞえで七歳を迎えた子供のお祝いの日です。
この日ばかりは見事な晴れ着姿です。朝のうちに親類縁者を訪ね、餅とお祝いを戴きます。

         


 第90回中里敬老会       1月3日

  集落恒例の敬老会です。

  


冬折目(ふゆんみー)   11月8日   (島遊びの日から7日目)

 集落の子供達が晩に、玄関先で歌と踊りを披露しながら集落内を廻ります。
歌と踊りの真意は分かりませんが、各家庭では餅(はさーむっちー)を準備し、子供達が来るのを待ちます。しかし今では餅に代えて、子供達の喜ぶ菓子や金銭に変わってきています。

    

    

掲示板に マチ さんから 次の投稿がありました。

 ふゆんみーの由来    投稿者:マチ     投稿日:12月01日(金)16時39分57秒

 ふゆんみーの由来ですが、昔こんなふうに教わった記憶があります。
昔、まだ日本が貧しかったころに始まったと言われ、子供たちが一年に一度だけ、近所の家々を回って歌を歌い、踊りを踊ることで粟や米を手に入れることができたんだそうです。
歌のはじめに ♪あわふちゃぎたぼれ くみふちゃぎたぼれ とあるのは、 「粟をくださいな、米をくださいな」という子供たちのお願い。
そして、もらえるものだったら、あなたの家の繁栄を願ってさしあげますよ。
というのが歌詞の概要らしいです。
とくに4番などは新築した家に歌うもので縁起がいいんだそうです。

 昔のおなかをすかせた子供たちのご褒美みたいな行事だったのに、最近は子供たちのお小遣い稼ぎのような感もあります。(実際、昔は私もそのつもりで歌っていた ・ ・ ・)
でも、なかなか楽しい行事だと思います。
これからも続けていってほしいものです。

 冬折目を境に四季のはっきりしていない喜界島にも、冬の訪れを告げる北風(ニシ)が吹き始める。       


島遊び  11月2日     (高祖祭から三日目)

 島遊びは、マーターテーバーから始まる。

 マーターテーバーについての確たる文献はないようである。
 まず今日の喜びの唄から始まり、米と塩で厄を払い、太陽が昇る如く喜びが相成るようにとの願いが込められ、 祭りの場を清める意味も含まれている。したがってマーターテーバーは踊りでなく、祭りの儀式である。
今や中里集落のみに残存するもので、貴重な文化財であるといえる。  

     

     
儀式の始まり
 集落公民館前の広場の西方から東方へ向かい必ず右廻りで進む。これは太陽が東から昇るので崇拝の意を表すと共に、太陽が昇るが如く喜びを招く意味でもある。
 進行の定めは必ず左足から踏み出す。左足を二歩進め、次に右足を二歩進める。この動作の繰り返しであるが、進める足の片方は半歩づつ進める。
 定められた一通りの唄が終わるまで、輪をつくりながら進む。この儀式が終了した後に、踊りを始める。

 

 

マーターテーバに続いて八月踊り、小中学生男子による相撲の後「素麺(そーめん)がぶー」が行われる。

   

 素麺(そーめん)がぶーの「素麺がぶー」についての由来と字句は、よく分からないようである。
 集会所前の壇上から投げられる素麺を我先に取りあって、家に持ち帰り食べるものであるが、この日ばかりは他人の取った素麺を奪い合っても由とされている。
 中里集落だけに伝わる不思議な風習です。    

  

       仲間達で無事腹に収めて目出たし。

  賀村 幸之助 氏 著書 「中里言葉の不思議」 より一部引用させていただきました。


地踊り(じどり)   11月1日     (島遊びの前日)

      島遊びの前夜祭か


高祖祭(うやんこう)   10月31日    (秋口の最初のみずのえいぬの日)

  

 集落総出の大切な墓祭り。
ホラ貝の合図で一斉に祖先のお墓や親類縁者のお墓に、線香や焼酎を供え手を合わす。


「19日遊び」 (10月16日) 旧暦9月19日

 馬頭観音様祭り
         
                        神主 一真 章 氏による神事

 小学生男子総勢による奉納相撲

                   


「町民体育祭」  応援風景 (10月8日)

  
                   中里の将来を担う中高生男子の熱演