店主のつぶやき あまみ庵の店主:森本が雑誌や新聞に書いた文章を掲載します。

けーし風:1995年9月

これまでの二年、これからの二年 奄美からの注文

『滅びゆく鹿児島』(佐藤正典他著・南方新社刊・1600円)という地域の自立をテーマにした本が出た。初めに紹介したい。「破壊される川や海、危険な原発の増設、エイズ、放置される命、教育、男尊女卑、石橋の撤去、ギャンブルと汚職、行き場のない農業、そして奄美……。誰にも頼れない。直面する課題を前に地域の人々が自ら未来を切り拓く。」さらに「地域は自立する!」「民間版『地域基本計画』鹿児島発」と本書帯文にある。

「議を言うな」を徳とするような超封建王国・鹿児島県下で、あちこちの地域の現場からたくさん(十一名)の人たちが「議を言い」出した本はおそらく初めてのことかも。どうやらのびゆく美しい日本の国体も必要以上に高度成長しすぎて、末期的ウィルスが全身に転移してしまい、地域の人々が自ら治療にとりくまざるをえなくなってきた、ということか。『けーし風』の読者の皆さんにもおすすめの一冊。

版元によるとどこの本屋さんでも注文はできるとのこと。ところで、先の帯文のまん中あたりに登場してくる「そして奄美……。」だが、イミシンな「そして」と「……。」はいったい何を表現しているのだろうか。どうしても知りたい方は、本書最終章の「奄美」に収録されている「蘇れ、奄美の英雄」(籾芳晴)と、「奄美自立への試論」(前利潔)の二編を読んでいただくしかない。「そして奄美は、『本土並み』や『鹿児島県』から自立して奄美並みの自給生活文化圏を志向する。そのためには……。」と私は読んだ。

さて、『けーし風』について思うことを二つほど。一つは「奄美」というイメージについて。確かに『けーし風』では創刊から毎回シマ便りに〈奄美〉からの〈たより〉を掲載し続けている。休刊中の『新沖縄文学』でも、「琉球弧の中の奄美」(41号)、「奄美から見た沖縄」(81号)などの奄美特集があった。しかし、それらの内容は、いつも奄美の書き手から沖縄の顔の見えない読者へのメッセージばかりで、それに対する沖縄から奄美への返球はあまり届いていない、という不満を私は持ち続けている。

そこで『けーし風』で、たとえば、「沖縄からみた(琉球弧の中の)奄美」というテーマで、「知識人」に限定しない沖縄の普通のおじいやおばあや、ギャル・ギャルソンたちを対象に、沖縄で奄美が本当のところどう映っているのかという企画をしてくれたらありがたい。というのも、今年の三月十九日付の沖縄タイムスのコラム「大弦小弦」に名瀬市や与論島の海開きのことを「本土でも……」と何げなく書いてあったので私は目が点になってしまい、「奄美は本土か?」と投書をしたことがあるからだ。

行政圏の枠を越えた「琉球弧」という概念は、島尾敏雄氏が奄美から発信し、沖縄で最もよく根づいたと思っていたのは幻想だったのか。もしかすると、沖縄の多くの人たちには、薩摩の琉球侵略の時、それまでは琉球王国に属していた奄美諸島は薩摩の直轄植民地として割譲(奄美処分)されたということも、第二次大戦後、奄美も米軍政府に統治されていて、一九五三年に日本復帰したということも、現在「奄振法」という復帰以来の国の特別措置法によって沖縄同様シマ社会が危機に瀕しているという状況も、あまり浸透していないのではないか。

「同一地理圏」、「同一文化圏」という共有する基層は、現在の政治・経済・文化などの問題も具体的に共有しているはずである。かつての「琉球弧の住民運動」のように。沖縄に対する私の意見に対して、本誌「読者の声」に感想を寄せていただけたらありがたい。二つ目は、大変興味深く読んだ『けーし風』五月号特集の「まーかいが、うるま島」について補足的に提起をしたい。

一九九五年四月、環境庁が発表した最近十年間の自然海岸の減少や、人工海岸の延長などの報告を見ると、「北海道」・「沖縄県」・「鹿児島県」は、いずれもワースト3に顔を出している。海や山の破壊は現在進行形だが、奄美・沖縄の水田はすでに解体されてしまった。減反や自由化をめぐって議論ができる本土の農家はまだいい方だ。琉球弧の水田は国策として集中的に狙われたといえる。なぜか?

そこで『けーし風』への提案だが、あたかもODA(政府開発援助)のように大金がばらまかれている日本の周縁地域―「沖縄振興開発計画」「奄美群島振興開発計画」「小笠原諸島振興開発計画」「北海道開発計画」―の特集を組んでほしい。

高率の国庫補助による公共土木事業の内実とあり方を問うために、諸地域の現場からの多様な報告を集約し、利権の構造等について共同でメスをいれることはできないものか。日本がアジアを経済植民地化しているのと同様、今でも日本のことを「内地」「本土」と呼ぶ日本の周縁地域(外地)に対する国策のあり方を見ていると、国は本国、本土のための軍事と観光の「国内植民地化」計画を戦略的に推進しているとしか思えない。自然破壊や生産基盤破壊、結果的にそれらがもたらす地域共同体の解体こそが国の最終的な目標ではないのか。

なぜなら、アメリカの国内植民地「ハワイ州」の状況などとあまりに酷似しすぎているからだ。

国内植民地に生きる私たちの自立への道は、とりあえず「本土並み(異質性の否定)」「格差是正(数値絶対主義)」「高率国庫補助(国家による侵攻開発)」というオカミが唱える三種の神器を否定するところからしか始まらない、ということを各地域で確認できればと思う。

季節ごとにやってくる『けーし風』を楽しみにしている奄美から。

(森本眞一郎)

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