2005年9月14日付け、「店頭より」をこちらに移動しました
いつか、一本にまとめてみます


★きのう(9/14)は夕方からセイコウ兄のところで快飲
死の棘日記』を肴にして
昭和二十九年九月〜同三十年十二月の
時代背景と登場人物たちの登場を楽しんだ

島尾の「琉球弧とヤポネシア」の
思想的背景が具体的な
固有名詞(人物や書籍等)であぶりだされていて興味深い
活字化を前提に(意識)したであろう
厖大な日記群
貴重ではある
が、その裏にある柳田的ヤマト中心史観を見逃さずに
こころして読むべし



その中から今日はホンの二例を

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★須磨叔母の所にもどり、「喜志統」親方系譜」謄写本一冊及四巻、
「南島雑話」二冊借りて帰る。(20p/昭和二十九年10月14日)



須磨叔母とはミホの叔母の長田須磨のこと
その著書『奄美女性誌』(昭和53年刊・農山漁村文化協会)の奥付から引用する


★ おさだすま、
明治三十五年奄美大島の大和村に生まれる。
大正11年共立女子専門学校中退。
戦後、軍政下に置かれた奄美をはるかに思いやっていた私は、
南島に目を注いでおられた柳田國男先生に心ひかれ、
先生主宰の「女性民俗会」に加えていただいた。
先生から奄美の民族の研究と同時に奄美方言の採集を勧められ、
前者に関してはほぼ本書の内容をなし、
後者に関しては「奄美方言分類辞典」(<上>昭和52年刊行、
<下>昭和54年3月刊行予定、笠間書院)として集大成しつつある。)



その前年、発行所の農山漁村文化協会から
島尾敏雄自身の『名瀬だより』(昭和52年0月刊)が刊行されている。

農山漁村文化協会の「人間叢書シリーズ」だが
奄美に縁のある著作を調べてみた

3: 「柳田國男の光と影ー佐々木喜善物語ー」(山田野理夫/昭和52年
10: 「名瀬だより」<島尾敏雄/昭和52年
13: 「奄美女性誌」<長田須磨/昭和53年
123: 「奄美の四季」(原井一郎/昭和63年

原井一郎はワンの小中学校の同窓生
昨年、『苦い砂糖』を刊行した



A


★ 午後ミホと子供と小岩映画見物、
神風特攻隊「三日月童子」「母御殿(仙台萩の事件)」
軍服を見て無感動、むしろ嫌悪、夢を失ったというミホ。(昭和29年10月20日/23p)



★ ミホはなぜ
軍服を見て無感動、むしろ嫌悪、夢を失った」
と島尾に言ったのだろうか?

当時のミホと敏雄の
もつれにもつれた愛憎関係が背景にある
奄美での軍神シマオタイチョー
それからヤマトで重ねた十年の歳月
ヤマトの軍神への夢がことごとく瓦解した
当時のミホの絶望・・・
妄念・妄言のミホワールドは
このころ発芽いや花開き、現在へと結んできた
当時のワンは奄美大島の名瀬市で遊ぶ
4歳のガキッチョだった(マヤさんと同年齢)

それから42年後
奄美のワンの身にミホワールドの火の粉が現実となってふりかかるとは・・・
10年前の「ジケン」を公開する決心がやっとついたのがきのうのことだ
ミホさんとワンが生きているうちに、と



9/13(はがり=灯)旧8/10
長潮/月齢9.3/日出6:06/月出15:03


『死の棘日記』(島尾敏雄著・新潮社・05年5月・3刷・2,200円)
お客さんから借りて読みはじめる

島尾ミホの「刊行に寄せて」(3p)から以下引用する

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★ 「新潮」に「『死の棘』日記」掲載の折に、新潮社の方々と、
私の住む名瀬市の市役所職員の方々のお力添えで、
二十人を超す人達が、三日間にわたって、二階の部屋と書庫に積み上げられた、
島尾の書籍の詰まった段ボール箱約千個になんなんとする中から、
「日記」と「夢日記」だけを探し出しましたところ、
島尾が小学校入学間もない頃から、
六十九歳で帰天いたします前々日迄書いておりました、
六十余年に及ぶ「日記」と「夢日記」の量は、
厖大な量になりました。



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島尾敏雄の10回忌にあたる
1996年の晩夏だった
名瀬市の佐大熊に棲んでいたミホさんが
浦上の新邸にひっこした
懇意にしていたのでお呼びがかかり
二日間、トゥジと二人くたくたになって手伝った

それから一年後
沖縄の大物A・A氏が來島
「島尾さんの蔵書が無くなっているそうだ
あなたかもしれない、とミホさんが言っている、本当か?」
私は激怒した
「事実無根だ!名誉毀損で提訴しますよ」

A・A氏いわく
「ミホさんには蔵書目録があるそうだ
近く蔵書を全部調べる予定だ。
何がなくなっているのか判明する
そうなるとマスコミも騒ぐし
全国盤のニュースになるだろう」
言外には
「白状するなら今のうちだぞ
店の営業もできなくなるぞ」
という脅迫じみた意図が見え見えであった

私はさらに大激怒した
「これはミホさんの妄想だ
冤罪事件そのものではないか
今度、蔵書を全部調べられるそうだが
なにがなくなっているのかはっきりするではないか
その上で被害届けを警察に提出したらいい
私は、本は無償で与えても盗ることはけっしてしない
人生で最大の人権侵害だ
断固抗議する!」

そんな大迷惑な経緯があり、冒頭の
二十人を超す人達が、
三日間にわたって、
二階の部屋と書庫に積み上げられた、
島尾の書籍の詰まった段ボール箱約千個になんなんとする中から
「日記」と「夢日記」だけを探し出しましたところ、・・・(略)」

という島尾ミホの記述に結びつくわけである。
島尾ミホはなぜ、「「日記」と「夢日記」だけを探し出し」たのか?

ミホさんが想い描く「紛失」が事実であるならば
蔵書目録があり、大勢の人間もいたのだから
当然、紛失物の有無を調べるべきであろう
そうすれば、事実関係が判然としたはずである
彼女はなぜそれをしなかったのか?

「紛失」は島尾ミホという執念深い人間固有の妄想だったからだ
おそらく、物欲の強い彼女は私にカマをかけたのだろう
が、人間として許される行為ではない
いや、それが彼女の勘違いや妄念だったとしても
現在ではそれが氷解したのだから
素直に私に謝罪すべきである
文学者(の妻)である以前にひとりの人間として
アマミのシマンチュとして・・・

あれから約十年
ミホさんから私へのコメントは一切ない
たまに会場などで会う時も伏目がちである
沖縄のA・Aさんからも同様、「ジケンの顛末」の連絡はない
私とトゥジに憤懣やるかたない思いをさせた責任をとってはいない
彼女の生存中にはっきりとシロクロをつけて
私どもに最善の詫びを尽くすのがフツーの人間のジョーシキであろう
『死の棘日記』を読みながら
妄想癖の彼女をさらに許せない思いでいっぱいになった

★ 教訓 

君子危うきに近づかず!