特攻隊と川辺の磨崖仏

のどかな茶畑が広がる知覧から川辺にかけては、神風特攻隊の遺品や
記録を集めた記念館や武家屋敷群、そして、清水磨崖仏など歴史
的遺跡などがいっぱいあふれていました。やぼやすの印象に
残った風景をいくつか紹介します。

知覧特攻平和会館 館内は撮影禁止でした。どうして、撮影させないのでしょうね。 零戦の残骸 これに乗って若者が旅だっていった。
太平洋戦争末期、沖縄決戦に人類史上、
類のない爆装した飛行機もろとも肉弾
となり敵艦に体当たりした陸軍特別
攻撃隊員
の遺品、記録などが
展示してある。
零戦の残骸
 沖縄へ向けて飛び立ったと思われるこの
飛行機は途中甑島の近海で不時着
したらしい。それを戦後、引き上
げてここに展示した。
特攻隊員が訓練のため寝泊りした三角小屋 歌碑「帰るなき機をあやつりて、征きもはや 開聞よ 母よ さらば さらばと
特攻隊員が訓練のため寝泊りした
半地下式の三角小屋
最期の日、彼らは開聞岳に「さよなら」と
飛行機の翼を振ったという。
知覧の武家屋敷通り 門構え 沖縄の門の造りに似ていると思いませんか。
 薩摩の小京都と呼ばれる知覧の武家屋敷
きれいに手入れされた生垣
 
時代劇を見るような門構え
 実際に生活しながらわれわれを迎えてくださる
母ケ岳を取り入れた借景園 豊玉姫神社のからくり人形 これは、かぐや姫が天上へ帰っていく場面です。
見事な庭園
 母ケ岳を取り入れた借景園
豊玉姫神社のからくり人形
 動力に水車を使っているのは珍しいそうだ。
清水磨崖仏全景 何を想い彫刻したのでしょうね。 一番古い磨崖仏
清水磨崖仏は万之瀬川支流の清水川が山地から平地に出ようとする岩屋と呼ばれる
地域にあります。川の右岸の屏風のような岸壁に、約200体の彫刻が彫られてい
ます。鎌倉、室町、明治のそれぞれの時代にいろんな想いを込めて彫られま
した。右の写真は、月輪三大梵字(がつりんさんだいぼんじ)といわれる
もので、1264年に彦山の僧によって彫られた一番古い梵字です。
日本一大きい五輪塔 一番新しい彫刻(明治28年)
大五輪塔(左の写真)
高さ10m、幅4mの日本一大きな五輪塔です。五輪塔は、上から、空輪・風輪・火輪・
水輪・地輪が彫られています。梵字は、下から読むと、「ア・バン・ラン・カン・キャン」
と読みます。これは、大日如来上品悉地真言というお経で1回唱えただけで,
一切経を百万回唱えるのと同じ功徳があるといわれています。
 阿弥陀如来像(右の写真)
明治28年に吉田順道という旅の僧が彫刻したもので、
これが清水魔崖仏で最後の彫刻です。
逆修供養の五輪塔 この彫刻が一番多い。 線刻宝篋印塔(せんこくほうきょういんとう)
逆修供養の五輪塔
室町時代に全国的に流行した生前に法名
をもらって供養をすませるという思想。
線刻宝篋印塔
鎌倉時代のもので、死後49日の供養の
ために彫られたものだという。
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