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美味しいカップ麺

No.119(2003.08.18)


ご近所さんで定年退職後に登山ガイドのボランティアをしている方がいます。

数年前にあるウォークラリーでその方とご一緒した際に、登頂後に飲むビールとそこで食べるカップ麺の格別な美味さについて教えていただきました。

ビールに関しては、肉体労働で流した汗が多いほど、その後で飲むビールの美味さが増すことを何度も経験済みだったので当然だと思えました。

が、カップ麺の味が違うと言われても想像がつきませんでした。

毎日山の稜線を目にしていながらそれまでに一度しか山に登っていなかった出不精の私は、数ヶ月前にそのご夫婦と連れ合いと4人で高千穂峰(標高1,574m)に登る機会をやっと得ました。

もちろん缶ビールとカップ麺を持参してです。

登山口から頂上までは途中の何度かの休憩も含めて一時間半ほどかかりました。

頂上付近は傾斜がきつくかつ足場が崩れやすかったので少々緊張しました。

無事に登り終えた達成感にひたりながら飲むビールの味は最高でした。

さあいよいよカップ麺の試食です。

確かに、カップ麺ってこんなに美味しかったっけ、と驚くくらいの味の違いは実感できました。

不思議です。

しかもあの何とも言えない嫌な食後感もありませんでした。

身体の使い方だけではなく気持ち(精神)も味覚に大きな影響を与えているらしいことが確かめられました。

後日、私は自宅で残っていたカップ麺を食べてみました。

味はそれなりで別に美味しくありませんでしたし、食べたことを後悔させる不快な食後感があることも再確認する結果になりました。

この体験から私は、食物の良し悪しを論ずる際にそれを食す人の肉体や精神との相関も考慮する必要がある、という以前からの自分の考えに対する自信を深めました。

先日玄米仲間と会う機会があったので、登山時の実体験を元にこの持論を展開し少しでも理解してもらおうと努めました。

全て話し終えた後での相手の発言は私を脱力させるものでした。

「(頂上で)身体に良いものを食べればもっと美味しかったんじゃないですか。」

頑固者を自称し頭の固さにはかなり自信のある私でしたが、玄米真理教信者の石頭による一撃には太刀打ちできなかったようです。

「だからそういう話じゃなくて~」

と引き続き説明するために要する気力は一瞬にして失せました。


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