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お墨付きカリスマ (1)

No.113(2003.05.27)


私がマクロビオティックを知った1987年の時点で既に創始者の桜沢如一氏は亡くなっていました。

氏の書き残した数々の著作に強い影響を受けた私は、その後氏の弟子にあたる久司道夫氏の(英語で書かれた原本を邦訳した)著作も続けて読みました。

桜沢氏の著作と比べると学究的な記述だったので理科系思考の私にとってはとても分かり易く感じられました。

また主に米国人を対象に書かれていたため、戦後民主主義教育を受け中身が半ば欧米化していた私の頭にすんなり入ってくる内容でした。

詳細は省きますが長年にわたって米国でマクロビオティックの普及活動を続けてきた久司道夫氏は米国ではお墨付きを得ています。

以前にも述べましたが1991年にある方の仲介で久司氏の元で勉強している白人の女性が我家に泊りがけで遊びに来ました。

初対面であるのに異常なくらい彼女と意気投合してしまった私の心に、是非一度久司氏と合ってみるべきだという彼女の助言が強く残りました。

ちょうどその年にタイミングよく地元で久司氏の講演会があり、隣県でのものと併せて2回氏の講演を聞きました。

どちらも短時間の講演だったので内容的には単にエッセンスに触れただけであったにもかかわらず、久司氏に不思議なカリスマ性があることを知るには十分な出会いでした。

彼女の推薦とこの講演への参加により、久司氏の考えをもっと詳しく聞いてみたいという衝動が起きました。

そんな経緯があり、翌1992年に大阪と東京で催されたそれぞれ2日間にわたる氏のセミナーに参加することにしました。

先に行なわれた正食協会が主催した大阪でのセミナーでは2日目の講演終了後に懇親食事会があり、そちらにも参加しました。

食事後に質疑応答の時間があったので、せっかくの機会だと感じた私は当時のマクロビオティック普及活動に対して感じていた疑問を投げかけてみました。

質問を要約すると2点になります。

一つ目は、普及を促進する団体が東京は日本CI協会、大阪は正食協会と二つに分かれているが、何故一本化できないのかということ。

もう一つは桜沢氏の愛弟子同士でお互いに(誌上で)批判し合うのは何故かということでした。

今にして思えば、私がマクロビオティックの公式行事に参加したのはこの時が初めてだったために、こんな大胆なタブーに近い質問を平気でできたのかもしれません。(苦笑)

また、当時活動の軸足を米国に置いていた久司氏に対する質問としてはちょっと酷だったことも事実ですし、その時氏が答に窮している様にも見受けられました。

私が質問を終えると、参加者が100人前後いた会場は異様な静けさに包まれ、何か気まずい雰囲気が漂い始めました。

少しして氏の奥方の(日本人である)故アヴェリン女史が助け舟を出すべく発言されました。

「そんなことは関係ありません。あなたはあなたのマクロビオティックをおやりなさい。」

その直後に会場は割れんばかりの拍手!?

質問の答にはなっていないのに何故こんな反応が起きたのかその瞬間にはわからなかったものの、得も言われぬ不気味さを感じました。まさに孤立無援状態です。

後に、大阪でのこのセミナーは久司氏のファンや信者の定例会合という位置付けだったのではないかと思い当たりました。

氏に対する批評や批判は一切許さない、ということなのでしょう。

懇親会終了後に当時正食協会の代表理事であった山口卓三氏が私に歩み寄り握手を求められるとともに、氏は私の意見を肯定的に受け取って下さったと知りました。

その優しい心配りのお陰で発言したことを後悔しないで済みました。


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