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傷つけ傷つくこともある

No.111(2003.04.20)


先日親しくしているご近所さんの仲介で、路上で挨拶をする程度の付き合いだった別のご近所さんとも一緒に飲むという機会がありました。

私と世代が近いこともあって共通の話題も多く盛り上がったものの、話が展開していく過程で時々こちらが戸惑う反応をされることがあり、その後それが何なのか少々気になり続けていました。

考えた末数日後にその理由に思い当たりました。

世間一般の話をしている分には問題ないのですが、いわゆるタブーとされている私的なことや身体的なことに対する敷居の高さが私とだいぶ違っているのです。

私にもし8年間の農村生活の体験がなかったら、人間関係において恐らくその方と同じような姿勢であっただろうと思います。

農村では結婚して子育てをしないと人間として一人前とは認めないという空気があります。

ある程度の年齢になっても独身であったり結婚しても子供がいなかったりすると格好の話題の種にされます。

相手の気持ちになど配慮せずに直接本人に問い質すことも普通です。

我家は子宝に恵まれなかったために興味本位で色々と言われ、傷つくことも度々ありました。

都会育ちの私には土足で家に上がられたような感じでした。

ところが不思議なことにその様な嫌な気分を味わう体験を何度も何度も繰り返しているうちに少しずつ慣れてきました。

別な言葉で言えば鈍感になったとも言えますが。

ただし一人だけこいつには言われたくないという男がいました。

何故なら相手の心が傷ついているということが理解できない人だったからです。

聞いた話ではその人は昔から腕力が強くかつ喧嘩っ早い性格だったので、周囲の人間が皆腫れ物にさわるように接してきたという経緯があったのです。

要するに自分自身は他人から傷つくようなことを言われたことがないために、他人の心の痛みも想像できないようでした。

結局農村時代の8年間で最後まで我家に子供がいないことで何だかんだ言い続けたのはこの人一人だけでした。

傷ついた経験がないために傷つけていることが分からない。

これはこの人だけでなく誰にでも当てはまることのように思います。

私の世代では、大喧嘩をした後に大の親友になったり、傷つけ合ったことでお互いに心を開いて付き合えるようになったり、という体験をした方は多いと思います。

今の世の中には、私はあなたを傷つけないからあなたも私を傷つけるな、という妙な風潮があります。

こんなことを実践し続けている限り対人関係における距離のとり方は永久に身につかないでしょう。

私自身は大都会と過疎地の両方で暮らしてみたお陰で、人間関係を多少は相対的にとらえることができるようになりました。

どこに住もうと何をしようと周囲の人達との人間関係をいかに上手に保っていくかというのが、生きている限り一番の課題かもしれません。


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