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農村で暮らす (8)

No.64(2001.10.14)


この青壮年団は、社会的役割も担い公的な側面も併せもついわゆる青年団とは趣を異にします。

この組織は行政側が線を引いた地区割りよりも規模の小さな旧集落内で自主的に作られたようで、自らは「〇〇(集落名)青壮年」と団をつけずに呼んでいました。

かつては地区ごとに若衆宿や若衆小屋と呼ばれる建物があり、先輩が若者達に慣習などを直接示唆していたこともあった、と後に年配者に教えてもらいました。

組織の存在に社会的必然性があった時代も遠い昔にはあったのでしょう。

残念ながら現代のこの組織の活動のうち公的なものは年に数回あるこの集落での行事の運営のみでした。

毎月会費を集めそれを使って公民館で月例会と称して一緒に飲むことが通常の活動です。

その場で色々な情報交換をします。
といっても実際はその場にいる人及びその親戚関係の人以外の地域住民の噂話や、たわいない世間話をするだけです。

あとは自分達のみが楽しむリクリエーションや旅行を計画実行することぐらいでした。

何か行事があると、その打ち合わせ、本番、反省会と最低3回は飲みます。
ですから飲み会の回数は実際には毎月数回になります。

20代から40代までの男性、それも世帯主がほとんどという団員で構成される組織にしては社会的な責任感が希薄過ぎると私は感じました。

それでも、一刻も早く地区に溶け込みたいと考えていた移住直後の私にとっては、このような飲み会にもそれなりの意義がありました。

しかしそこでの暮らしが3年目を迎えた頃から、私はそのような場で得られる情報の価値は認めつつも、束縛される時間の方が無駄だと思うようになっていました。

さらに数年間暮らし続けた私は、こんな活動を続けるのは過疎化する一方の集落の将来を一時忘れたい、という心情が裏にあることも感じられるようになっていました。
情がうつってしまったのかもしれません。

その後もしょせんよそ者の私が完全に同化することはできませんでした。

後に私が農村を離れる決心をした際にその理由は色々ありましたが、このさして有益とは思えない会合による時間的制約に嫌気がさしたことは、そのなかでの大きなものの一つでした。

嫌なら欠席すればよいのに、と考える方もいるかもしれません。
が、一度仲間に入ったらそれは許されないのが農村の掟だと私は感じました。


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