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考えない人

No.102(2020.12.17)


分からない物事があるとネットで検索する。

答えらしきものが見つかれば、はいおしまい。

調べものをするのに一番手軽で手っ取り早いのがネット検索なので、これは当たり前。

誰からも異論はないであろう万人にとって常識化した行動様式でしょう、多分現代では。

私は、これは良くない習慣ではないか、と常々考えていました。

ただ何が問題なのかをうまく表現できずにいました。

先日ある本を読み直していて、この件に関するヒントが得られました。

「続々食べ物さん,ありがとう」のその部分を以下に引用します。

日本人というのは、ものを考える力が非常に弱い。「それはなぜか」という追及が弱い。知識は豊富なんですね。いわゆるクイズ博士みたいな知識ですね。しかし、それがなぜそうなのかということになると、もうだめなのですね。

以上、引用終わり。

どうでしょうか。

私がここから気づいたのは、冒頭に述べた調べ方には、考える、という過程が欠けているということです。

答えさえ合っていれば理由は問わない、というのが普通になってしまっています。

例えていえば、基本を学んだあとに応用力を養おうと問題集を解いてみるとします。

始めから回答を見ながら答えを記入したとしたら、頭を使っているとはいえませんし、何も身につきませんよね。

むしろ笑ってしまうような馬鹿げたやり方だと誰もが思うでしょう。

ネット検索で済ませてしまうのは、これと同じなのではないか。

私にはそう思えてしまうのです。

まして実人生においては、明確な答えなど存在しない難問、に直面することの方が多いと思います。

そんな難題に直面した際に、ネット検索しかなす術がない、という人間になってしまったら深刻な問題です。

当然そうなってしまっている当人は自覚できないでしょうし。

このような、考えない人、がほとんどになってしまった社会は恐ろしいと思いませんか。

そこに追い打ちをかけるように、フェイクニュースが流されたり社会の隅々に潜在意識操作の罠がしかけられているとしたら。

自分の自由意志だと思いつつ実は何者かに操られているだけ。

となってしまいます。

そうなって欲しいと思う人はいないでしょう。

だったら、そうならないために何ができるのだろうか。

分からない物事があったら、まずは身近な人にきいてみる。

そんなささやかな抵抗から始めてみてはどうでしょうか。

おっと、そんな身近な人がいないという人は、自分の人間関係を見直すことから始めなければならないかもしれません。


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