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禁じ手で志望校合格

No.13(2002.08.08)


私が東京を離れて農村地帯に移住したのは14年前の年末でした。

その翌年の正月明けに面識のない隣りの集落の奥さんが娘さんと共に突然訪ねてきました。

近所の噂で私が大卒だということを知り、県立農業高校受験を直前に控えた娘さんの勉強をみて欲しいと頼みに来たのです。

早く地域に溶け込もうという意気込みだった私は、少々ためらいはしたものの私が自信をもって教えられる数学と英語の2教科ならという条件で引き受けることにしました。

その際のお母さんの話によると、娘さんは特に英語が苦手なのでそこをなんとかして欲しいとのことでした。

週2回夜我家に来てもらい一対一で教えることにしました。

引っ越したばかりで方言やその土地独特の標準語の使い方を知らなかった私はその頃はまだ東京弁まじりの標準語で話していました。

そんな言葉の違いのせいか、他所の人に対しては人見知りするらしいその女生徒は一言もしゃべりませんでした。

私の質問に対しても、「はい」なら首を縦に、「いいえ」なら首を横に振るだけ。

勉強の内容以前に、意思の疎通で本来なら不要な手間がかかり、私にとっては困った中学3年生でした。

数学に関しては彼女自身で解けない設問があっても私が少し助言するだけで割合早く解法をみつけるので、大きな問題はありませんでした。

彼女の母親が不得意と言っていた英語の実力はどの程度かをつかむために、私が質問し彼女は首を振る、という過程を何度も繰り返しました。

その結果到達した地点は、私の予想し得る範囲を超越していました。

なんと彼女はアルファベットすら覚えていないのです。

しかも試験日まで2ヶ月ありません。

元々は安請け合いした自分が悪いのですが、心の中では「苦手とかいう問題じゃあないだろっ!」と絶叫していました。

その事実を知ってからずっと落ち込んでいた私に、連れ合いが「○○先生に聞いてみたら」と助言してくれました。

○○先生とは県下の私立高校で教員をされている方で、以前に知人の仲介で一度だけ会ったことがありました。

さっそく電話で相談し、これまでの経緯を説明しました。

先生の話によると県下では私がかつて東京で高校受験した頃と同じ状況で、士農工商ではありませんが内申書の成績順に生徒を普商工農に割り振っているとのことでした。
さらに、一番下の農業高校は1教科でも0点をとれば足切りで落第になるが、それさえなければ絶対合格すると教えてくれました。

電話口では事態がやや好転したような印象をもった私でしたが、電話を切った直後に(アルファベットも覚えていない)彼女なら0点の可能性が高いのでまだ問題は解決していないと気付き、再び脱力状態に。

それでもとにかく最後まであきらめずにやってみようと思い直した私は、英語でどの程度の問題が出題されるのかを知るために過去5年間の入試問題集を買い求めました。

調べてみると毎年四者択一の選択問題が5問出題されていました。

彼女は英語が理解できないのだから狙うならここだ、と直感した私はこの選択問題の過去5年間の正答の記号を見渡しました。

するとどの年もア、イ、ウ、エの全てに正答があるという大甘な作り!

今度の問題も同じであるという可能性にかけてみるしかない、と思うに至りました。

彼女にはどの記号でもよいから5問とも同じ記号を書くように何度も言い聞かせました。

試験の翌日に地元の新聞に載った模範解答で今年の英語の問題も同様な作りになっているのを知った私の口からは思わず「よしっ!」という言葉がもれました。

彼女は1問だけの正解で英語の足切りからのがれることができたようで無事に合格しました。

しかし、この彼女の英語の試験の成績が関係者の間で問題になったようでした。

何故ならその翌年からは英語の選択問題で全ての記号に正答が無くなったからです。

さもなければ問題改定前に滑り込みセーフだった私の悪運が強かったのかもしれません。

いずれにしてもこの奇跡的な合格が地元で話題になったのか、その後勉強をみて欲しいという生徒が次第に増えていき、結局我家で私塾を開くことになりました。

幸いなことに、その後切り札を失った私のところへ来る生徒達のなかに彼女ほど英語が「苦手」な子はいませんでした。


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