ティン・パン・アレイ ニュース 1ページ

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ティン・パン・アレイとは?

ニューヨークは世界の都であり、と同時にポピュラー・ミュージックの中心地でもある。10年も前までは「全てのヒット曲はティン・パン・アレイから生まれる」といわれたものだった。

ティン・パン・アレイとはニュー・ヨークの一画、そこに全米の主だった音楽出版社が集中していたのだ。

その後ビートルズの登場以来、ヒット曲も世界各地から生まれる様になったが、それ以降も以前としてティン・パン・アレイは大きな勢力を有している。いわば音楽界のウォール街である。

細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫が「キャラメルママ」を発展的に解消し、新しい、音楽集団として再出発しようとした時、そのトータルなキャッチフレーズとして「ティン・パン・アレイ」の名を選んだ時、彼らは、日本のポピュラー・ミュージックの創造を念頭においていた。

ティン・パン・アレイの歩み

「はっぴいえんど」、「小坂忠とフォージョーハーフ」から「キャラメルママ」への過程で、彼らは、マイナーではあるけれども、テクニック、サウンド・メイキング、意識の面で常に日本のロックの最先端を走っていた。

ティン・パン・アレイの出発は、彼らが、メジャー(日本のポピュラー・ミュージック)をはっきりと射程にのせた事を意味する。荒井由美、アグネス・チャン、南沙織、雪村いずみ、スリー・ディグリーズ等のサウンドを手がける一方、ティン・パン・アレイは、自分達のリーダー・レコーディングについて、クラウン・レコードと契約、自らのサウンドを積極的に世に問う事となった。

鈴木茂は、いち早く昨秋、単身渡米、アメリカ、ウエストコーストの超一流ミュージシャンを集め、ファースト・アルバム「バンド・ワゴン」を完成、帰国後、直ちに新バンド「ハックル・バック」を結成、ステージ活動に入る。鈴木茂のファーストアルバムは発売以前から大きな話題を呼び、発売と同時に大好評でむかえられている。

一方、細野晴臣のソロ・アルバムも完成、発売日も六月二十五日と決定した。(くわしくは別ページ)細野ソロアルバム発表後のライン・ナップも続々と決まりつつあり、ティン・パン・アレイはいよいよ大きく飛びたとうとしている。

ティン・パン・アレイ ニュース

今月から、毎月「ティン・パン・アレイ・ニュース」をお送りします。ニュー・ミュージックの大きな台頭のひとつの重要な芯である、ティン・パン・アレイの情報と、それを中心とした動きを紹介してゆく事が目的です。毎回ユニークな特集を組む予定です、ぜひ御期待下さい。



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