■天璋院(てんしょういん) 1836(天保7)〜1883(明治16)



天璋院篤姫

13代将軍徳川家定夫人、初め敬子(すみこ)、のち篤姫と称した。
島津家の一族今和泉領主島津忠剛の娘、藩主島津斉彬の養女、さらに近衛忠熙の養女となり篤姫と名を改め、将軍家定と婚約を結んだ。1856年(安政3)11月江戸城に入り12月婚礼が行われ、将軍の御台所となった。これは将軍家定の継嗣に一橋慶喜をたてようとする島津斉彬ら幕政改革派の布石として実現されたものであった。斉彬の命を帯びた西郷隆盛は、このため薩摩出身の篤姫付女中頭幾島らを通じて篤姫にも呼びかけたが、紀州の徳川慶福を擁立する紀州派の反対によって実現しなかった。1858年(安政5)7月斉彬が、8月には家定がなくなり、薙髪し、天璋院と称した。

1868年(明治元)徳川家の危機に当たっては侍女を大総督府に遣わして徳川家の存続と将軍慶喜の救命を嘆願した。
維新後は徳川家を継いだ家達の養育と成長に専念した。天璋院の晩年勝海舟は彼女を案内して浅草、柳橋などを見物させ、無興を慰めたり、下情に通じさせるようにしてきたという。(鹿児島大百科事典より)





篤姫も散歩した、今和泉島津家の屋敷跡地(現今泉小学校敷地)
往年に比べて、隼人松原の松並木も随分さびしくなりました。

祝 平成20年 NHK「大河ドラマ」に篤姫が決定!
=今和泉島津家墓地もにぎやかになりそうです。=