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The lessons of MMR Horton R. Lancet 363: 747-749, 2004 (Commentary)
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MMR騒動から学ぶべきこと (Wakefield先生のオリジナル論文の部分的撤回(上記)に関するコメンタリー)
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Lancet誌今週号は,「解釈の撤回」というタイトルで,部分的論文撤回を掲載した.これは,Andrew Wakefieldらが1998年の2月に公表した論文の大部分の著者が出した撤回コメントである.しかし筆頭著者であるWakefieldともうひとりの共著者であるPeter Harveyの二人はこの撤回文に署名していない.まず著者らの反応を簡単に紹介する.発端となった報告においては,MMRワクチンと新しい症候群(腸疾患と自閉症)の間の関連が,「証明されたものではない」ことが明らかにされた.しかし,著者らは親から聴取した病歴とカルテ記録を元にMMRワクチンとこの症候群に何らかのつながり(リンク)がある可能性を挙げ,「この症候群およびMMRワクチンとの関係の可能性を調べるためには,さらに検討が必要である」ことを示唆した.ロイヤルフリー病院で開催された単独記者会見でWakefieldが述べた「場合によってはMMRワクチンを分離してそれぞれの単独ワクチン接種にすべき」という示唆も相まって,彼らのデータに関する解釈は英国MMRワクチンプログラムにおける信頼を崩壊させるきっかけとなった.今回撤回されたのは,MMRワクチンとこの新しい症候群の間の関連についての解釈である.今回の撤回は,この件に関する論文発表を取り巻く状況についての新しい情報が2週間前にリリースされ,それに関する議論の後に提出された(全て同号に掲載).1998年のWakefield論文の公表前後に起こったことについては,それをレビューし解析することに膨大な努力がなされた.そろそろ今後のことを考える時である. 自閉症研究 1943年,Leo Kannerは「これまでに報告されたケースと明らかにそして特別に」異なる状況を有する11人の子供を記載した.その基本的性質は「出生時から他人や周りの状況に自分自身を普通のやり方で関連付けることができない」こととし,彼はこの特徴がひとつの症候群をなすと信じ「極端な自閉的孤立」と記載した.そのような独特な臨床概念の認識は重要で,当時は差し迫ったことでさえあった.Kannerは彼に紹介されてきた子供たちの何人かがそれまでいかに不適切にレッテルを貼られていたかを記載した.それは,ばか(idiots)とか低脳(imbeciles)とかである.その中の一人は精神薄弱者用の州立学校で生活しており,また二人はそれ以前に分裂病的とみなされていた. Kannerのレポートから,自閉症と自閉症様状態はよく使われる診断名となり,メディアの多大な注目を集めた.自閉症には強力な遺伝的基盤が存在する.しかし,遅発型バリアントのアイデアは,自閉症の原因と経過に寄与している心理学的因子と器質的因子がある可能性を引き出した.MMRを取り巻く議論のひとつの予想外の結果は,医学によってしばしば無視されてきた状態への公衆の注目であった.例えば,自閉症の疫学や原因に関するあるレビューにおいて,英国医学研究会議(MRC)は現在知られていることを総括し,今後の研究に残されている(戦略的)テーマを明らかにした(表).1000人の子供の中に6人も存在するひとつの状態に関する我々の知識には,大きくそして驚くべき欠落が存在する.
英国政府は,2002年に自閉症研究のための新規独立予算として,275万ポンドを追加することを公表した.英国医学研究会議(MRC)による最初の予算配分は本年5月の予定である.MRCは強力に自閉症研究に傾倒しており,現在400万ポンド以上をかけて7つの研究プロジェクトに研究費を出している.いまだに十分でない情報資源を最大限に利用するためには,英国医学研究会議の舵取りは,2001年に出された発見の足りない部分を補足し,他の主な国家的および国際的研究費財源と共に自閉症研究のための戦略を詳細に調整するためにフォーラムを設立し不必要な研究テーマの重複を避けるよう設定されることが重要である.英国政府は,少なくとも年間1250万ポンドから250万ポンドを5年間以上をさらなる限定一時金としてMRCに拠出し,呼び水的研究を支援することによって自閉症への当初の学問的傾倒を促進するべきである.自閉症における遺伝素因および環境因子を研究するための適切にデザインされた縦割りの研究が構築されるのであれば,そのような一貫した予算はきわめて重要である.例えば,これら英国の控えめな予算額は,アメリカの国立衛生研究所(NIH)が2003年までに自閉症研究のために拠出した7000万ドルの予算と比較してみることができる.NIHはまた,この2年間に8件がスタートした自閉症研究と治療を進歩させるための研究(STAART)に予算を出している.これは5年以上で650万ドルの拠出である.先に述べたアプローチは英国においては利益があると思われる. 研究の適正 Wakefieldらの論文を取り巻く最近のディベートは非常に混沌としている.一般大衆は,倫理委員会の方針がどうなるか,法的サービス委員会の結論はどのようなものか,そして再びワクチンの安全性はどうなのかに注目している.英国全医学会議(GMC)による予備的調査は進行中である.ほとんど全ての主役たちの動きについての猛烈なディベートが行われた.この非常に一般に広まった論議のために新聞報道はあたかも法廷と化した.しかし,メディアは不適切な研究を告発し,調査し,告訴し,弁護し,判断し,そして裁断を下すためだけの場所ではあり得ない. 2000年に,英国公表倫理会議(COPE)の代表団は,深刻に不適切な研究の検証をする能力を複数の施設が持たないことに注目した.目に見える判断原則を持って調査する正式な仕組みは,大きな大学内にもなく,国家レベルでも欠如しており,このことは公表された検証に,関係する全ての人がそれぞれの最善の方法で競い合って反応するだけであることを意味する.COPEは不適切な研究の検証をどのように処理するかに関する有益なガイダンスを提供した.しかし,これらの検証に言及する国家的な受け皿がないため,引き続いて起こるいかなるメディアの大騒ぎにおいても,誹謗中傷によって傷つくのは善良な人々となる危険がある.事故調査をする施設が出現し,科学および医学における規範として受け入れられた場合でも,そのような本質的な社会影響を有し責任の透明性が要求されるシステムにおいては一般大衆の信頼を強める効果はない. 現存の科学研究施設および医学関連施設は,しりをたたかれ困惑を繰り返す数年を経過してもいまだに適切に行動できないでいる.政府は今こそ英国における最初の研究適正評議会を創設する段階に入るべきである.担当大臣はどうか直ちに実行にうつしていただきたい. ワクチンの安全性 MMRに関する副反応のレビューにおいて,JeffersonらはMMRワクチン研究のアウトカムの安全性を報告することは不適切であることを発見した.そこには健康テクノロジーの評価において常時繰り返されているシナリオが存在する(もうひとつの例としてはカルシウムチャンネルブロッカーの安全性に関する議論がある).ひとつの(ワクチン)製剤の効果および安全性に関しては,その検証には限界がある.(それにもかかわらず)その製剤は認可される.懸念のサインは放置される.これらの疑問に答えるための根拠の確実な安全性データは存在しない.一般大衆の懸念は増大し,テクノロジーにおける信頼は危険にさらされる.適切な研究は,可能性のあるリスクの初期のサインを速やかに確認するかあるいは速やかに論破する.最終的には答えは出るが,大規模な不安を予防するには遅すぎる. Jeffersonはこの問題の解決策を示唆した.彼は,もしそのワクチンの摂取が頻回に広く行われている場合,コントロールを設定した長期の実験的評価がしにくいという研究上の難点を認識している.その代わりの案として,彼はエビデンスのライブラリーを構築することを提案している.そうすることで,公表された論文,薬品会社の技術的報告書,そして研究者の個人的なデータファイルなど広く散在するデータを照合することができる.この方法で,決定的な情報が欠落している影響は最小限にでき,存在するエビデンスの間のギャップが同定され,早い時期にそのギャップは埋められる.このアイデアは理にかなっており,さらに考慮する価値がある. 公的議論 多くの医師と公衆衛生担当官がMMRに関する議論によって挫折感を感じた.私もこのフラストレーションを共有した.ある新聞は,1998年のLancet論文に関する我々の発言を,MMRプログラムを推し進めるための「組織的キャンペーン」の一部と想像力をふくらまして称した.実際には,今回の部分的撤回の発端となったできごとは,ある新聞(サンデータイムス)による調査により突然起こった.我々の反応は非常に特異的な申し立てに対する回答を決定することであった.我々は政府の健康省やその他の省,ワクチン製造会社,あるいは進行中の訴訟に関与する弁護士,の誰とも接触していない.「組織的キャンペーン」は存在しないのである. しかし,MMRの安全性に関する議論への政府と専門家の反応のスタイルについてはかなりの疑問点があり,3通りの反応を区別することができる.第一の反応は,エビデンスの必要性を訴えるものであった.健康省のウェッブサイト(www.mmrthefacts.nhs.uk)は,親が「いつでも好きな時に決める」ことを手助けするためにデザインされたみごとなコンテンツコレクションを含んでいる.BSE騒動の後で,政府の発表するアドバイスは素直に信頼できない時代である.従って,集積したエビデンスが政府からもたらされたものである場合は,以前に比べて影響力を持たないことが問題である. 第二の反応は,公衆衛生担当官のメッセージを否定するエビデンスが担当官によって「サイエンスの乏しいもの」としてけなされたことである.このやりかたはひとつの犠牲を払っている.今回の撤回が部分的であり全文の撤回ではない理由は,英国医学研究会議(MRC)が認めているように,腸疾患と自閉症の間の関連の可能性を発見したことは重要な科学的なアイデアのひとつであるからでありさらなる検討に値するからである.もし1998年のLancet論文が科学的でないと完全に退けられるようなことになると,MMRの安全性に関しては一般大衆にはっきりとした正確なメッセージを与えることになる.しかし,科学的にも臨床的にも完全な撤回は間違っておりまたいいことではない.自閉症と腸疾患の関連は英国医学研究会議(MRC)によって「興味ある可能性であり原則的には調査する価値がある」と判断された生理学的一連の観察所見の一部とみなされたのである.その後に続く研究は矛盾する結果を得たが,このやり方は支持されるべきである. 第三の反応は,顔をあわせる事を拒否することで,妥当性に関する批評家たちに仕事の場を与えない努力が払われたことである.例えば,昨年の12月に英国のテレビ番組で「科学を聞く」というドラマが放映されその後の議論が起こった時,MMRに関して最も発言すべき多くの人々は発言することを拒否した.例えエビデンスが提示されたとしてもMMRは安全でないと信じている少数派の人々の考えは,合理的な議論でも変えることができないという予想がその理由のようである.また,行われたパネルディスカッションの構成は,MMRが安全であるとするコンセンサスを反映してはいなかった.代わりに,実際には科学的には確かな情報がほとんどない状態で,微妙なバランスの科学的なやり取りとしてこの件を浮き彫りにした. 公衆衛生学的懸念に関することを,我々はどのように議論すべきであろうか? 確かに,入手できる全てのエビデンスを使って議論すべきであろう.しかしおそらくそのエビデンスは,行政以外の中立的で信頼できる第三者によって供給されることが最善であろう.英国においては「薬剤と治療便覧」を発行している消費者連合がその例である.確かに消費者連合は強力な公衆衛生学的メッセージを発信している.しかし,継続支援にふさわしい重要な研究が中止にならないように注意を払うべきである.また,精力的に議論すべきことも確かであろう.より多くの人々の信頼を得るための最善策は,エビデンスの概要のみを参照することや再保証を公表することではなく,顔をつき合わせて,わかり易く人間的で個人的なストーリーを伴った逸話的な表現で説明することであることを考えれば,なぜ特定の方針だけが主張されているのかという直接的な疑問も存在する. ワクチン接種を支持するように大衆を説得することは,議論に勝つことだけではない.なぜ親が自分の子供に予防接種を受けさせたがったり,あるいは受けさせたがらないのか,その理由を理解することもまた必要である.このような親の判断の複雑性は,さらに微妙なニュアンスの反応を公衆衛生コミュニティーに要求している. 議論のある新しいアイデアの公表 Wakefieldらによる1998年のLancet論文に報告されている研究の全文を我々が評価しなかったならば,この研究の公表はこのような形では行われなかったことは明らかであろう.後から考えてみても判断は難しい.例えば,利害の対立が起こる可能性があるかどうかは,1998年当時に比べると非常に予想しやすい.オリジナルなアイデアを我々がどう判断するかにおいて,我々が避けたいことは保守的になり過ぎることである.例え最初はエビデンスに乏しいことが明らかであっても,新しくまた時には聞きなれない考えについて議論することは重要であり,臨床医学や公衆衛生においてはしばしば非常に重要である.その後に,その新しいアイデアがどのように議論されるかが,公表すべきかすべきでないかにかかわらず,中心となる問題である. かつては小さな専門家集団の知識として限定されていた情報も,正確に伝わる場合も不正確に伝わる場合もあるが,現在ではより多くの人々に伝わりまたそれに対するコメントも広く集まる.いかに多くの限定的な付記や慎重なエディトリアルが一緒に出版されたとしても,新しい発見や議論のある主張をコントロールすることはできない.つまり,データが示す範囲を超えて議論がなされたり,論文の中に書かれている解釈の範囲を逸脱した理解がされることを避けるためには,編集者,科学者,そして出版社や広報担当者に大きな責任が課せられている.科学者をそそのかして一歩進んだ考えを聞きだすのもジャーナリストの仕事ではある.しかし,我々は,我々の目前にある情報の信頼度に合わせて,我々のメッセージの音量を調節すべきである.編集者は,医学雑誌の紙面においても,記者会見の場においても,ひとつの論文情報のひろがりに関連する全ての側面に含まれる責任を負っている. 最後に,本件全体を公に諮問することの必要性はどうであろうか? 諮問が行われれば確かに多くの人々にとって本件を厄介ごとにしてしまった全てのテーマについて再調査の機会が得られるであろう.その程度までは歓迎されるべきであろう.しかし,公的な諮問は容易に予想を要求し,また予想することはしばしば困難である.公的諮問はしばしば枠組みを取り払うというよりは侵害してしまう.和解,進歩,そしてパートナーシップを強調するより前向きなプロセスを作り出すには公的諮問より良い方法があるかもしれない.自閉症コミュニティーのメンバー(非専門家集団.親および場合によっては三種混合ワクチンやMMRワクチンをとおして公的情報に強い興味を持っている消費者協会と連携),自閉症や関連障害の児童のケアを担当する医師たち,英国医学研究会議(MRC),そして健康保全省の間の協調的協議がおそらくより良い方法であろう.「MMRと自閉症:何を学び取るか」が重要なのである. |