1995年の論文(文献1)で,健常者が“心の理論”課題をやっている時には,左側の正中前前頭皮質(medial prefrontal cortex:Brodmannの第8エリアと第9エリアの境界部)が活発に活動していることが報告されています.この論文では同じ方法で,5人のアスペルガー症候群の患者を検討しています.
“心の理論”課題(ToM)とは:
課題文章:盗みを働いたばかりのどろぼうが家路についていた.どろぼうは走っていたので,自分の手袋を落としたことに全く気がつかなかった.どろぼうが手袋を落とすところをたまたま見かけた巡回中の警官は,手袋を落とした男がどろぼうとは知らなかったので,ただ手袋を落としたことを教えてあげようと思って,「おーい,君!止れ」と叫んだ.どろぼうは警官に呼び止められたのを知ると,聞かれてもいないのに,両手を上げて降参し盗みに入ったことを自分から自白してしまった.
(質問)なぜどろぼうは自白してしまったのか?
非“心の理論”課題(Phys):
課題文章:どろぼうが宝石店に押し入ろうとしていた.彼は鍵をこじあけ,赤外線監視装置のビームの下をくぐりぬけ,静かに宝石のショーケースに近づいた.どろほうがキラキラ輝く宝石に手をのばそうとしたその時,彼は何か柔らかいものを踏んづけてしまった.毛がはえた小動物がギャッと叫んでドアの方へ飛び出していった.その瞬間,警報が鳴り始めたのだった.
(質問)なぜ警報は鳴りだしたのか?
関連のない文の羅列(US):
課題文章:4人の兄弟は,彼らの妹ステラのために場所を開けてやろうとわきへどいた.ギルはその実験を数回繰り返した.その空港の名前は変更されていた.ルイスは小さなオイルのびんの蓋を開けた.その二人の子供はその日の散歩をあきらめなければならなかった.彼女は豪華なホテルのスイートルームに泊まった.それは実施されてから既に20年経過している.
(質問)その子供たちは散歩したか?
最初にモニター上の課題文章を黙読し,読み終えたらタッチキーで質問画面に自分で変更します.課題文章を読み終えるまでの時間(秒)と質問に対する解答のスコアが記録されます.3種類の課題は,読んでその内容を記憶しておかなければ質問に正答することはできません.“心の理論”課題(ToM)と非“心の理論”課題(Phys)は各文を統合してストーリーを理解しなければならない点は同じですが,“心の理論”課題(ToM)に正答するには,この例題ではどろぼうの勘違いを把握する必要があります.Physに必要でなくToMに必要な脳の活動があるとすれば,それが勘違いを理解するために必須な脳活動であるわけです.完全に正解するとスコアは2点で部分的な正解は1点,不正解だと0点です.各課題8問づつで計24問.2問を一組にしてPETスキャン検査を行っています.各課題の満点は16点ということになります.具体的な結果をまとめると:
1.健常者(15.4点)に比べ“心の理論”課題のスコアは,アスペルガー症候群で有意に低い(11.4点).
2.関連のない文の羅列に対する質問の正答率は,むしろアスペルガー症候群の方が良い(有意差はない).
3.健常者において文の統合(ToMとPhys)のために活発化する脳の部分は,アスペルガー症候群でも活発化するが活動性は低い.
4.健常者において“心の理論”課題で活発化する(ToMからPhysやUSをサブトラクション)前前頭皮質はBrodmannの第8エリアと第9エリアの境界部であるが,この部分はアスペルガー症候群では活動が活発化せず,少し腹側の第9と第10エリアの部分に“心の理論”課題で活発化する部分がみられた.
著者らの考察は以下のとおりです.
1.アスペルガー症候群では,複数の文の関連のある意味を処理する過程と,意味のつながりがない複数の文を読んで記憶する過程が,健常者に比べより類似している可能性がある.
2.情報を統合し,より高いレベルの意味や要点を導きだす能力の障害が自閉症を特徴づける.
3.“心の理論”課題に関連する前前頭葉皮質の脳活動が,健常者と比べ腹側にずれており,MRIでは形態異常がみられないので,密接に関連する他の部位での構造的欠陥や細胞間の顕微鏡レベルの異常が,この部分での異常脳活動の原因になっている可能性がある.
4.前前頭葉皮質は,人以外の動物にも存在するので,動物実験により何らかの情報を得ることができる可能性がある.
関連のない文の羅列を読んでから,その中の一文に関する質問に答える場合,アスペルガー症候群の方がスコアが良いのは,情報処理過程の中の滞りのある部分をカバーするためにその前後の処理過程が代償的に発達しているのか,あるいは一部の滞りに関わらず背景に存在する優れた特殊な能力(visual thinkingなど)を反映しているのかについての考察はこの論文の中にはみられません.前頭葉の異常など,いくつかの局所的異常の可能性が自閉症に関して議論されていますが,この論文で,自閉症の本質に関わる変化は神経のネットワークにおける特殊な偏りである可能性を再認識しました.