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人の行動と遺伝

Plomin R, et al. The genetic basis of complex human behaviors. Science 264: 1733-1739, 1994.
(概訳)

量的遺伝学は,多くの複雑な行動異常のみならず,精神病理,パーソナリティー,そして認知能力に関する諸分野において,遺伝素因の持つ重要性を明らかにした.また,分子遺伝学を応用するための経験的かつ概念的な基礎も量的遺伝学が提供してくれる.分子遺伝学の成功は,一つの遺伝子の存在が一つの疾患の発症に必要かつ充分であるとする還元主義的な一遺伝子一疾患アプローチ(OGODアプローチ)に大きく依存している.対照的に,量的形質遺伝子アプローチ(QTLアプローチ)は,その特質(trait)のために絶対的に必要なわけでもなく,またそれだけで充分というわけでもない複数の遺伝子を研究の対象としている.

行動の多様性の起源において,遺伝(nature)と環境(nurture)が持つ重要性についての我々の理解は,近年劇的に変化した.全てを環境に帰する環境決定論は,1950年代にピークを迎え,遺伝と環境の両者をよりバランスを持って考える見解は1960年代と1970年代に精神科の分野に広まった.このバランスを持った考え方は心理学のいくつかの領域では導入が遅かったが,1992年のアメリカ心理学会では,遺伝学を心理学の現在そして特に未来を象徴するテーマの一つとして扱かうようになった.

行動遺伝研究は,1920年代に,動物の行動に関する同系交配や選別研究,および人の行動に関する家族,双生児,養子研究に始まった.この論文の最初の部分で述べるように,量的遺伝学は,人の行動の多様性や行動異常において,遺伝素因の持つ重要性を明らかにしたのである.この論文は2番目に,分子遺伝学の最新の功績について記載し,今後の研究戦略を議論する.

量的遺伝学

行動科学の分野では,遺伝素因の重要性を受け入れることに対する反感があったが,変革は急速かつ徹底的に起こった.精神科領域においては,この変革以前には,行動科学の分野は環境説論者が多く,例えば,分裂病の主原因は異常な育て方であるとされていたのである.

養子研究をきっかけに,精神科医たちは環境だけでなく遺伝を考慮するようになった.分裂病患者の子供の13%が分裂病になり,通常の罹患率の13倍であることが知られていた.養子研究は,分裂病が家系内で多くなる理由が遺伝にあるのか環境にあるのかについてのひとつの結論を与えてくれる.ヘストンは分裂病女性の子供で,出生後すぐに養子に出されたケースを,健常者の子供で養子になったコントロールと比較した.コントロール50例には分裂病発症者が一例もなかったが,分裂病女性の子供の養子例では47例中5例(10.6%)が分裂病を発症した.

分裂病においてかなりの遺伝素因の影響が存在することを意味するこのような研究は繰り返され,他の養子研究も行われるようになった.分裂病の双生児研究では,一卵性の一致率が約45%であるのに対し,二卵性では約15%という結果が得られた.このように,家族研究,双生児研究,養子研究から得られた証拠は,行動特質における遺伝素因の重要性について最も説得力のある論拠を提供する.

行動異常(Behavioral disorders)
検討された全ての行動異常で遺伝素因の関与が証明された.分裂病,アルツハイマー病,自閉症,情緒障害,読書障害などで遺伝素因の影響は強い.全ての行動異常が同じ程度遺伝素因の影響を受けるわけではなく,例えば,遺伝素因の影響を強く受けることが想定されていたアルコール依存症では,双生児研究により,遺伝的影響は男性例ではあまり大きくなく,女性例では無視できる程度であることが判明した.興味あることに,アルコール依存症よりも飲酒量の方が遺伝的影響を強く受けることが報告された.一方,1970年代までは環境によるとされていた自閉症は最も遺伝性の強い精神疾患であることが判明した.加えて,特異な言語障害,パニック障害,摂食障害,反社会的人格障害,トウレット障害(多彩なチック)などでも遺伝素因の影響があることが判っている.

一般的な疾病に関する双生児研究では,リウマチ,消化性潰瘍,特発性痙攣などがかなりの遺伝の影響を受けることが示された.高血圧や虚血性心疾患では遺伝性はあまり強くなく,乳癌などでは無視できる程度であった.これらの結果から,行動異常は一般的な疾病に比べ,遺伝素因の影響を強く受けることが明らかである.

行動の多様性(Behavioral dimensions)
健常者の行動の個人差(多様性)に関する双生児研究も,幅広い遺伝的影響の存在を証明した.パーソナリティー(ノイローゼ性と外向性),職業的好み,学業達成度,認知能力(記憶,空間推論,処理速度,言語推論,一般的知性)などの双生児研究が報告されており,一卵性例の相関係数から二卵性例の相関係数を引いた値を倍にしておおよその遺伝性が評価されている.パーソナリティーと職業的好み,学業達成度,一般的知性については,遺伝性は40〜50%で,認知能力については,空間推論と言語推論では40〜50%の遺伝性,記憶と処理速度の遺伝性は低かった.また,最近の研究は情報処理や誘発脳波,大脳におけるグルコース代謝などにも遺伝的影響があることを示唆している.非認知行動については,自尊心,社会的姿勢,性方向性などが遺伝的影響を受ける.知覚や学習,多くの健康に関連する行動(ストレスに対する反応,運動,ダイエット)などについてはほとんど知られていない.

遺伝性+α
量的遺伝研究の功績は,複雑な人の行動における遺伝の重要性を示しただけではない.最も研究された行動分野である認知能力に関する研究で明らかにされたように,三つの新しいテクニックが特に意義深い.まず,成長遺伝解析は,成長の過程での遺伝的影響による変化をモニターする方法である.認知能力に関しては,遺伝的影響は生涯を通しての一般的な知性に及ぼす重要度を増していき,人生の後半における遺伝性は80%に達する.この遺伝性は,行動のいろいろな側面の中では最も高い.

二つ目の進歩は,多変量遺伝解析である.認知能力に関する多変量解析では,全ての認知能力における遺伝的影響は,驚くほど重複していることが示唆された.この発見は,一つの認知能力に関連する複数の遺伝子は同じように他の認知能力にも関連することを意味している.多変量解析はまた,学業達成度に影響する遺伝素因も一般的認知能力への遺伝的影響と完全に重複することを示した.この解析法は,精神科疾患の混在性や合併罹患についての基本的問題を検討するためにも応用することができ,症候学的レベルではなく,遺伝的影響のレベルでの疾患分類学の進歩に貢献することが可能である.

三つ目の例は,極端例解析(extremes analysis)と呼ばれるもので,正常の行動と異常行動の間の遺伝的関連性を研究の対象とする.複数の遺伝子が行動や行動異常の原因になっていれば,遺伝的影響の結果は正常から異常行動まで広がる連続体であるはずである.予備的研究では,うつ状態や恐怖症,読書障害などは,遺伝的影響を受ける連続体の端っこであることが示唆されている.

環境の影響
注目すべき事に,遺伝学的研究は環境の影響の解明においても有意義であった.遺伝子研究は非遺伝性因子が重要であることの強力な証拠をも供給しているのである.通常,遺伝性因子は行動や行動異常の多様性の約半分しか説明することができず,多くの行動異常と正常の行動の多様性は,遺伝性と同じ程度非遺伝性の影響の受けている.量的遺伝学における「環境性」という意味は,非伝搬性確立論的遺伝子現象(DNA event:体染色体変異,imprinting,DNA sequenceの不安定性)を含む全ての非遺伝性因子を含んでいることに注意すべきである.

環境の影響を理解するためには,遺伝研究の中からの二つの発見が重要である.まず,家族的な類似性を一般的に説明するのは遺伝であることは研究によって明らかになっているが,ほとんどの行動異常と正常行動の多様性に与える環境の影響は,同じ家庭で育った複数の子供の類似点ではなく異なる点を誘導するのである.この効果は非共有環境と呼ばれ,同じ家族の中でそのような異なる環境をいかにして経験するのかという疑問を生じさせる.例えば,非共有環境は,いっしょに育てられた一卵性双生児の場合,片方が分裂病でももう片方はしばしば分裂病でないことの原因とされる.

環境についての二つ目の遺伝的発見は,“環境の遺伝”と呼ばれる内容に関連する.別々に育てられた双生児を対象とした研究は,子育て,小児期のアクシデント,テレビの見方,学級環境,同級生のグループ,社会的援助,職場環境,人生における出来事,離婚,ドラッグ乱用,教育,そして社会経済的状態などに遺伝的影響が及ぶことを示した.このような結果は逆説的ではあるが,環境は,実は個人の遺伝的影響を受けた特性の一つなのであるということを意味している.ある程度は,個人は遺伝的影響下で自己の経験を創作するのである.加えて,遺伝素因は,成長の結果に影響している.例えば,子育ての仕方がなぜ児の認知発達を既定するのかという問題の部分的な原因は遺伝なのであり,人生におけるネガティブな出来事がうつ病の危険因子になることの部分的な原因も遺伝なのである.

分子遺伝学

ハンチントン病のような多くのまれな疾患が,単純なメンデルの遺伝法則に従っており,単一の遺伝子内の異常がその疾患の発病のために必要かつ充分である.連鎖解析や急速に進んでいる人の遺伝子解析は,原因遺伝子座が決定されクローニングされる可能性を高めており,既にいくつかの単一遺伝異常に基づく疾患の遺伝子異常が確認されている.複数の非遺伝因子のみならず複数の遺伝子が影響している複雑な系に関連する遺伝子を同定することに分子遺伝学の技術が使われ始めている.このような系では,いかなる単一の遺伝子も特異的でなくかつ充分でない.

一遺伝子,一疾患?
単純なメンデルの法則に従わない複雑な特質においては,単一の遺伝子が規定するいくつかの病態(疾患)が複雑な疾患に含まれているのではないかという仮説がしばしば提唱された.実際,「複雑:complex」は区別し得る構成成分の合成という意味である.この説は,一遺伝子,一疾患説(OGOD説)と呼ぶことができる.このOGOD説は,単純な単一遺伝子説以上の内容を含んでいる.複雑な特質の原因として,単一の遺伝子を探すのではなく,それぞれが単一の遺伝子に影響されるいくつかの副特質(subtraits)からなる複雑な特質を想定している.

OGOD戦略は既にいくつかの複雑な行動異常,特に重度の精神遅滞の研究において成功している.フェニルケトン尿症や脆弱X症候群,一部の家族性アルツハイマー病などがその例である.その他,モノアミンオキシダーゼAの活性を損なう点変異が,オランダの家族性の衝動的暴力性に関連することが報告されている.

双極性障害(躁うつ病)と分裂病における連鎖解析に再現性がないことはよく知られているが,さらに最近では双極性障害がX染色体に連鎖しているという報告に再現性は認められず,これは分析技術の問題というよりも方法論的な問題と解釈上の問題に起因する.もしある単一の遺伝子が一つの特質に遺伝的影響を与えている場合,連鎖解析はそれを検出することができる.疾患との連鎖は,まだ遺伝子全部において検討できるわけではないが,双生児研究や養子研究で遺伝的影響の明らかな証拠があったとしても主な影響の原因遺伝子が一つも見つからないことは有り得る.大家系の検討に一般に使われている連鎖解析法は,その遺伝子が遺伝的多様性のほとんどを規定していなければ,ひとつの遺伝子を同定する十分な能力のある解析法ではないようである.「罹患者-親族ペア」(affected-relative-pair)連鎖解析法のようなより新しい連鎖解析法は,従来の家系研究より強力な方法である.これらのより新しい方法は,もしサンプルサイズが大きければ(例えば数百組の兄弟ペア),より小さな遺伝的影響の原因となる遺伝子でも検出する可能性を持っている.それらはもちろん量的評価法と合わせて使うこともできる.

性方向性と読書障害についての新しい連鎖解析法での報告がある.性方向性については,母親からの遺伝が考えられる家系の40組のホモセクシャルの兄弟に関する研究によりX染色体上のマーカーとの連鎖が報告された.読書障害については家系連鎖解析と発端者-兄弟ペア連鎖解析により第15染色体上のマーカーとの連鎖が示され,第6染色体上のマーカーとの連鎖の可能性も示唆された.この第15染色体との連鎖については,その後のいくつかの報告では否定的である.

量的形質遺伝子(法)
量的遺伝学者は,複雑な一般的行動異常への遺伝的影響は影響度が異なる複数の遺伝子が関与している結果であると予想している.このような複数の遺伝子の影響は,危険因子のごとく,易発病性に付加的に貢献することができ,かつそれぞれの遺伝素因は交換可能である(必ずしも必要でない).多遺伝子の系に含まれる単一の遺伝子はどれでも,一つの疾患の原因としては必ずしも必要でなくかつ単独では不十分なのである.換言すれば,遺伝的影響は,予め予定を定めるというよりも蓋然的傾向を持つということになる.

遺伝的多様性に寄与する遺伝子は量的形質遺伝子(QTL)と呼ばれる.多遺伝子系では,特質が(二つに一つの)診断によって表現形質として評価された時でさえ,その遺伝形質は量的に(ある範囲を持って)分布していると考える.QTLという呼び名はまた“polygenic”という単語の意味も含んでおり,この“polygenic”という単語は当初は複数の遺伝子という意味であったが,その後同定不可能なほど非常にわずかな影響力しか持たないたくさんの遺伝子を意味するようになった.

QTLの例は,しばしば連鎖不均衡と呼ばれる対立遺伝子関連(allelic association)により同定された.対立遺伝子関連は,一つの表現形質と特定の対立遺伝子の間の相関関係のことであり,通常は症例とコントロールの間の対立遺伝子または遺伝形質の頻度差として評価される.対立遺伝子関連はしばしば単一遺伝子の影響を把握するために使われたが,下に述べるように,わずかなQTL効果を検出するための統計的手段をも供給する.複数の遺伝子系におけるわずかな遺伝的影響を含む対立遺伝子関連は,QTL関連と呼ぶことができるであろう.一般的な疾患における最も良いQTLの例は,アポプロテイン遺伝子と心血管疾患のリスクとの間の関連において示された.また,アンギオテンシン変換酵素(ACE)遺伝子における多型の中のある欠損型は,心血管疾患に関連することが示され,ACE欠損型とアポリポプロテインE(Apo-E)のアリル4(遺伝子型の4)の両方が寿命に関連することも報告された.

行動異常に関するQTLの最良の例は,最近指摘された遅発型のアルツハイマー病とApo-E4型との関連性である.アルツハイマー病は年齢と共に急激に罹患率が上昇し,65歳では1%で90歳代では15%に達する.コントロール群では,Apo-E4型の頻度は0.15であるのに対し,アルツハイマー病群では0.40であり,相対危険率に相当するオッズ比はApo-E4のヘテロとホモを合わせた群で6.4である.Apo-E4がアルツハイマー病発症に必要というわけではなく,またApo-E4があれば発病に十分というわけでもない.Apo-E4型でないアルツハイマー病患者も多いし,Apo-E4を持った健常者もたくさん存在する.Apo-E4は,易罹患性において人々の多様性に対し17%寄与していると計算されている.これはQTLにおいては大きな効果と言えるが,単一遺伝子の効果としては非常に小さい影響である.32家系での連鎖解析では,Apo-E4遺伝子が存在する第19染色体に対する連鎖はわずかなものであった.下に述べるように,現実的なサンプルサイズでの連鎖解析では,この程度のQTL(関連)は,おそらく検出可能な最低線の値であろう.

おそらく,QTL関連はすぐに他の複雑な人の行動にも応用されるようになるであろう.例えば,妄想型分裂病に関する9つの研究中7つが人白血球抗原のA9アリルとの弱い関連性を指摘し,複合相対危険率は1.6で,易罹患性の1%を説明する結果であった.重度のアルコール依存症やその他の薬物依存症についても,議論は残るものの,いくつかの報告がドーパミン受容体のD2タイプのA1アリルとの関連を示唆した.一般的な認知能力と神経系に関連する遺伝子の近傍のDNAマーカーとの関連性については,二つの可能性が示唆されたが,再現性はない.甲状腺ホルモン受容体-β遺伝子は,注意欠陥/多動性障害の症候に関連していることが報告されたが,結論的なものではない.

精神遅滞に関しては,OGODアプローチとQTLアプローチの両者がその研究に貢献している.遺伝子の影響はピンからキリまであり,検出できない程度の影響をもつ遺伝子も考えられる.もし,複雑な行動に対する遺伝的影響が,単一遺伝子の影響であれば,以前からある連鎖解析で検出可能であろう.もし遺伝的影響が極わずかであれば(例えば,多様性の0.1%以下を規定するような場合),検出は不可能であろう.逆に,多様性の10%を規定するようなQTL関連であれば,新しい連鎖解析戦略で検出可能である.Apo-Eとアルツハイマー病の例では,連鎖解析が第19番遺伝子のある領域との関連を示唆し,関連解析がその領域内のApo-E遺伝子を関連遺伝子として同定したのである.例えば,多様性の1%を規定するような影響サイズの小さい遺伝子のQTLは連鎖によっては検出することができない.対立遺伝子関連は,ACEと心筋梗塞の例のように,影響サイズの小さいQTLを検出することができる.

対立遺伝子関連
連鎖アプローチの利点は,数百個の高多型性のDNAマーカーを使うことによって,遺伝子を系統的に検索する際に,病態(疾患プロセス)に関する適切な知識がなくても関連する遺伝子を同定する可能性がある点である.そのような系統的なスクリーニングは,強い影響力のある遺伝子がないことも示すことができる.しかし,現実的なサンプルサイズでの検討では,小さなQTL効果の遺伝子の存在を否定することはできない.複雑な行動におけるスクリーニングで,影響力の大きい遺伝子が存在しない場合は,QTLが存在することのひとつの証拠になると考えられる.従来の連鎖研究の欠点は,単一遺伝子またはその特質に大きく影響する遺伝子のみをターゲットとしている点である.

連鎖法は未だに,単一遺伝子の影響や大きなQTL効果を検出する際の戦術の一選択肢であるが,効果サイズの小さなQTLを検出するためには,他の方法が必要とされる.新しい技術が開発中であり,最近では対立遺伝子関連法の報告が増えつつある.この方法は効果サイズの小さなQTLを検出するために必要な統計的精度を備えている.対立遺伝子関連解析を使うことの主な限界は,遺伝子のシステマティックな検索は500kb以下の間隔の数千のDNAマーカーを必要とし,低変異率のQTLのみが検出されるという点である.

大規模な遺伝子タイピングが可能になるまでは,対立遺伝子関連は,機能的多型または候補遺伝子の近傍のDNAマーカーをスクリーニングすることに限られるであろう.複雑な行動については,新しい候補遺伝子が心血管疾患に関連したアポリポ蛋白のように特異的なものとしては,ほとんど知られておらず,脳内で発現されるたくさんの遺伝子が,複雑な行動の遺伝的多型にわずかしか関与しないことが予想されている.ゲノムプロジェクトのゴールは,全ての人の遺伝子の配列を解明することである.しかし,人の遺伝子は一つではない.我々は,個々の遺伝子の多様性を明らかにし,そして,この多様性がいかに個々の表現形質における多様性に貢献しているかを解明いていかねばならない.行動を含む複雑な特質においては,量的遺伝学と分子遺伝学の融合によりこの目標は推進されるであろう.

結論

近年,複雑な人の行動の遺伝について明らかになったことのほとんどが,量的遺伝学的研究によるものである.双生児研究や養子研究は,行動上の多様性や行動異常のほとんどのデータにおいて偏在する遺伝的影響の存在を明らかにした.より量的遺伝研究には,今や,遺伝的影響の存在を単に示すこと以上のことが要求されている.最も遺伝の影響を受ける分野が同定され,最も遺伝の影響を受ける多様性や疾患が同定されれば,分子遺伝学的研究の需要がさらに高まるであろう.新しい量的遺伝学の技術はまた,行動への遺伝的貢献の発達過程の解明に道を拓き,遺伝的異種混交性を同定し,正常と異常の間の遺伝的関連を探ることにつながる.量的遺伝学的データはまた,非遺伝的因子の持つ重要性の証拠をも提供する.量的遺伝学の進歩は,複雑な行動において遺伝的多様性を規定する特異的な遺伝子を同定するための分子遺伝学的試みを推進する.量的遺伝学と分子遺伝学が合流することと,複雑な人の行動の解明とは相助的であろう.


(解説)すばらしい総説です.近年の自閉症やAD/HDや学習障害に関する遺伝素因の報告を解釈するために基本となることがほとんど全てまとめてあります.自閉症のQTLとしては,セロトニントランスポーター遺伝子多型(文献1)やイギリスの自閉症児で報告された第7染色体長腕上の遺伝素因(文献2)などが議論されているわけです.以下に用語解説を少し追加します.

Linkage(連関/連鎖):組み換え現象が起こらなければ,同じ染色体上にある二つの遺伝子は共に行動して子孫に伝わります.組み換え現象の頻度は二つの遺伝子間の染色体上の距離に依存しており,なんの拘束もなしに子孫に現れる場合を組み換え率50%とし,これ以下の場合には二つの遺伝子は連関していることになります.組み換え率が高いほど,二つの遺伝子は離れており,低いほど近い(連関が強い)わけですから,この関係を使って,遺伝子の相対位置関係を知ることができます(gene mapping).また,ある特質(trait)の伝わり方と,マーカー遺伝子の伝わり方の関係を検討することで,その特質に影響する遺伝子とマーカーとの相対位置関係を類推することができます.単位となる短い遺伝子の部分(locus:遺伝子座)の遺伝情報の多様性(多型)のそれぞれを対立遺伝子(allele)と呼び,遺伝子座の異なる二つの対立遺伝子の一致(haplotypeの形成)が,それぞれの頻度の積よりも高頻度に起こる場合を連鎖不均衡(linkage desequilibrium)と呼んでいます.

量的形質(quantitative trait):あるパラメーターを設定して,その形質(特質)を表現した場合に,分布が正規分布のような形になるものを量的形質と呼びます.身長や知能が良い例で,量的形質の遺伝的な部分は,多因子遺伝(polygenic inheritance)で説明されます.連続分布ですので,異常と正常は一本の線(閾値:threshold)をどこに設定するかで決定されます.自閉症やAD/HD,読書障害などの易罹患性も量的形質です.


文献
1. Klauck SM, et al. Serotonin transporter (5-HTT) gene variants associated with autism? Hum Mol Gen 6: 2233-2238, 1997.
2. International Molecular Genetic Study of Autism Consortium. A full genome screen for autism with evidence for linkage to a region on chromosome 7q. Hum Hol Gen 7: 571-578, 1998.

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