生き方を変えること

 1、いも虫と蝶

 生まれ変わるという言葉があるが、断酒者になるということは、まちがいなく生まれ変わることである。それは昆虫がさなぎから脱皮して予想もつかない姿に生まれ変わるのに似ている。
 言ってみれば、飲酒時代の生活はいも虫と同じである。いつか、みごとな蝶になって空を舞う日が来るのだが、いも虫である自分にも予想だに出来ないことである。いも虫の生活の仕方と蝶の生活の仕方はまるでちがっているが、本体は同じ自分である。蝶にとってみればいも虫の姿は前世の出来事のようにも見えるかもしれない。いも虫の生活と蝶の生活の中間にさなぎの時代がある。これは丁度入院生活に匹敵するように思われる。病院の中でじっとしているのだが、この殻の中でいも虫は大変身を遂げるのである。この大変身こそ「生まれ変わる」ことである。断酒者になるための生まれ変わりとは一体、何なのだろうか。

 2、生まれ変わり

 いも虫が蝶になるまでに、冬場をさなぎで過ごしている。さなぎはじっとして動かないのだが、その内面では大変な努力がなされている。まず「生まれ変わる」ことを最大の目標として自覚し、生まれ変わるように自分に言い聞かせ、そのような努力を毎日の生活の中で少しずつ、たゆまず、続けることが大切である。この継続の努力が、最後には蝶を生み出すことになる。それは、何も大それたことをするのではない。まず日々のあいさつ、言葉づかい、表情、スリッパのそろえ方、トイレのドアの閉め方、他人に迷惑をかけないこと、他人にやさしく、自分に厳しい心の持ち方。そうした努力が、自分の心を落ち着かせ、新たなエネルギーが生まれてくる。それは決して苦しいことではない。生まれ変わることは、極めて自然であり、うれしく誇り高い美しさがある。それは何よりも自信に満ちている。

 3、誇り高い美しさ

 生まれ変わりの原動力になるものは、生まれ変わることの必要を痛感する心である。「これではいけない」ことを知る心の目である。この目は将来に向けて誇り高い美しさを持っている。即ち向上の目であり心である。これこそ、断酒生活者へのめざめである。
 今まで酒に酔って濁っていた心の目が、将来に向けて奮い立つ力を持てるのは、過去の自分の生活を振り返って反省し、人間としての深い自己否定を感じられたときである。即ち、「これではいけない」という切々たる心情を体験した時、濁った心は一瞬にして霧が晴れるように、さわやかな若々しい力に満ちてくる。それが日々の生き方を変える力になってくる。スリッパのそろえ方にも心がこもってくるのである。人間が生まれ変わる時には、いつも、このような体験があり、それに基づいて誇り高い美しさが、極めて自然なかたちで表現されてくると言えよう。

 4、深い自己否定 

 しかしながら、「これではいけない」ということを知る心の目がめざめるためには、ただぼんやりと時を待っておればよいというものではない。さなぎが、蝶になるには一定の時間と気温や湿度などの条件が整えばよいのだろうが、人間にとって「これではいけない」という気付きは、大変な問題である。ある意味では自分の人生に一大発見をすることであり、徹底的な深い自己否定である。さなぎのようなわけにはいかない。せっかく与えられた知性と心で自分のこれまでの人生を振り返ってみる必要がある。
 これが「内観」である。内観によって生きる意味を知らされたという深い内観者も結構大勢いるものである。断酒者になるとは、単に酒を飲まない人間になるという表層的な意味だけではない。実は計り知れないほど深い意味があって、ある人々は「アル中になってみて、初めて人生の深い意味を知ることができた」とさえ言うのである。

 5、生きる意味

 酒に酔って、麻痺した脳で考えることは、人の欠点や失敗を非難することであり、いかに上手に隠れ飲みをするかというような全く意味のないことに全力を投じて考え悩んでいるのである。しかしながら、ひとたび断酒してみると、そこに空があり木があり葉が緑鮮やかに風に揺れていて、快い気持ちでそこに自分が居ること、すべてに意味を見出しうるのである。それは、ひとつひとつが感謝の存在であり、喜びなのである。「酒を止めて何の楽しみがあるか」などと思っているレベルの人には、この意味と喜びがまだ全く見えないのである。それは、入院して、仕方なく飲まずにいるものの、心は飲んでいる時と少しも変わらないレベルである人、即ち、ドライ・ドリンカー(飲まない酒飲み)である。入院中の人だけではない、一応断酒はしているものの生きる意味が見えないドライ・ドリンカーが世の中には結構いるものである。


出典:
鹿児島県竹友断酒会機関誌「竹友」第20号号「生き方を変えること」