みなさんこんにちは。ただいま紹介いただきました竹元でございます。
校長先生からたいへん過分な紹介をいただきまして緊張しておりますけれども今日は甲南高校というすばらしい高校でこうして壇上に立たせていただきまして大変光栄に思っています。
1.心とは何か
(1)心はどこから出てくるか
今日はここに掲げてございますように「高校生の心の健康」という問題でお話をしたいと思います。
心というのが一体何なのか、先程校長先生が「心とは何だろう」とおっしゃいましたけれども、心というのが一体何なのかということからお話をしたいと思います。
今皆さん方の年齢は、
「自分というものがー体なんだろうか?」
「将来自分はどう生きていったらいいのか?」
「今何をなすべきなのか?」
「自分の心というものをむしろコントロールできない!」
「自分が自分でありながら自分でないような気がする?!」
と言うような、色々な悩みとか色々な苦しみとか、そういったものを持つ時期であり、そして心というようなものについて最も関心が強い時期だと思いますね。
例えば、恋愛等もそうですよ。すばらしいユニークな心の作用なんですね。人を愛するなどというのも、これも非常に尊い心の作用であります。あるいは、嬉しいとか、悲しいとか、苦しいとかというのも心の作用であり、働きであります。
では、心というのはいったいどこから出てくるのでしょうか。
私は指宿の、指宿高等看護学校で講義をしているんです。精神科の講義をしているんです。それから鹿児島大学の医学部で精神科の非常勤講師として、ちょっと少ない時間ですけれども授業を担当しているんです。
で、そういう若い人たちに、まあ皆さんよりもちょっと二つ三つ上ぐらいの人たちにですね、二十歳そこらの人たちに、心はいったいどこから出てくると思いますか?という質問をしてみると大変おもしろいですよ。二通りに分かれますね。
一つは、心はどこから出てきますか?と間うと(胸に手を当てて)この辺と言うんですね。どうも心はこの辺から出てきているような気がするんですね。もう一つは、頭だと言う、すなわち脳だというのですね、二つの意見に分かれます。
皆さんにも、アンケートを取ってみると二つぐらいに分かれるかなと思いますけれども、まあ確かに心がどうも胸の辺りから出できているような気がしますね。嬉しいとき悲しいときにつけて、胸が高鳴る、胸が締め付けられる、何となく心臓が、心の源泉かのように感じます。
そうですねえ、心臓とは心の臓器と書いてありますからねえ。
まさに心が出てくる臓器だというふうに書いてあるわけです。まして、いわんやHeartという英語においては、心臓という意味と心という意味と両方持ち合わせた言葉です。
こういうことを考えると、心と心臓とは大変密接な関係がある、語源からして大変密接な関係がある。しかしまあ最近の常識では、心は決して心臓からでているのではないということはわかっています。
心臓を切り開いてみても中は空っぽですよ、血液を送り出すポンプです。最近の医学では、最近の医学と言いましても、まだ百年という歴史ですけれども、心はどうやら脳から出てきていると言うことが判ってきたんですね。
では、脳の中のどういうからくりによって心が出てくるかと言う事ですね。
(2)脳の構造と働き
少し大脳生理学の知識を使って説明してみようと思いますが、脳は横から見ますと、こういう格好をしています。重さがだいたい1400gです。「脳味噌」という言葉がありますように、大変味噌に似ています。やや白味噌の感じですね。昔は、味噌は味噌樽に入れて売っていたんですよ。最近はナイロンのパックに入れて売ってますね。「生きてる味噌」などと言うのがあります。スーパーに行くとね。で、ああいう形で、外側をナイロンの膜の様なもので包まれている。その中に味噌が入っているという感じ、ナイロンのパックが即ち脳膜と言うものなんですね。
ですから、スーパーに行って、味噌が売っているのを見た場合は、脳はこんな感じなんだなあと思って見てください。
この脳の働きは、電子顕微鏡が発達してきて非常に詳しくわかるようになりました。主に三つに分けて考えることができるんです。
それに1,2,3と番号をつけましょう。
1番深いところを間脳と言いまして、これは自律神経の中枢です。私たちの意志に従わない私たちの意志に無関係に、私たちが眠っていても、ちゃんと心臓を動かしている、胃や腸を動かしている、肺を動かしている、そういった働き。自律神経というのは神経が自分で自分を律して動いているのです。そういう働きをするところが大脳の一番内側の所です。
ここが死んじゃうと人間は死ぬことになりますので、ある意味では生命を保つ為の一番大切な部分だということになりますね。それで脳の一番深い所に置いてあると言ってもいいでしょう。
次に、2番目の層です。この2番目の層は、古い皮質と呼ばれている。
古い皮質は、犬や猫もいっしょであります。これは、本能を司る場所です。食欲だとか性欲だとか集団欲だとか。
第3番目の層は、新しい皮質と呼んでいるんですが、なぜ新しいという言葉を使ったかと言うと、他の動物にはほとんどないんです。人間にしかないと言ってもいいぐらいです。
この新しい皮質はどういう働きをするかというと、記憶という働きをする。これはなんと、ほとんど人間にしかない働きだと言っていい。
他の動物と私たち人間が、どこがどう違うか、色々な違いを言いますね。人間は火を使う動物だとか、道具を使うだとか、言葉を使うだとか色々な違いを言います。
その違いは.百も千もあげられます。しかし、人間と他の動物の違いを一言で言うならば、人間には新皮質があります。他の動物にはありません。このたった一言で、他の動物と人間の違いを表現できます。
この記憶という働きは大変すばらしい働きで、大脳の新皮質に真似て作ったのがコンピューターなんです。皆さんがよく使う小さな電子計算機、あれもそうです。コンピューターは実は、大脳の新皮質の記憶という働きに真似て作った代物なんですね。
この記憶という働きが、実は学習と関係があり、色々な知識を貯えるということですね。色々な知識を貯えて、その知識を組み合わせて新しいものを造り出す、創造するという働きを持つことができるんです。
人間はこんなすごい家を造りますね。こんな大きな体育館を造り出すことができる。
他の動物はどうかというと、例えばツバメの巣は、何千年も何万年も前のツバメも今のツバメも、泥とワラで同じ様な形であり、今から先何千年たってもツバメ達は、あんな家を造るでしょうね。ツバメ達は本能で家を造るからです。
人間は新しい知識を次々に貯えていって、その知識と知識を組み合わせて新しい材質を作り上げて新しい色を生み出して、そしてこういうすごい物を生み出す創造力をもっているということです。
新しい皮質では、例えば皆さんですと、もっと成績が上がればいいのにという欲求を持ったり、野球で優勝したい、あるいは、もっとお小遣いが欲しいとかね、色々な本能ではない社会的欲求を生み出します。本能は先天的欲求ですが、こちらは、後天的欲求ということになるわけです。
この二つの欲求が実は「心です」と言い切ってしまう事ができるんですね。
(3)欲求と行動
心とは何ですか?というと、本能という欲求と新皮質から起こってくる杜会的欲求、この二つの欲求が心、すなわち「心の源」です。
「心とは欲求です」と言い切ってしまってもいいくらいです。不思議ですね。心というようなものは、色々な苦しみや喜びや、色々な現象を起こしますけれどもその心の源が欲求と言う言葉一つで言い表すことができるということは、大変不思議なことであります。
紀元前五世紀のお釈迦さんが、既に、これを見抜いていた。人間の心の奥底にあるのは煩悩という欲求であると言うこと。その欲求によって、私たちは行動しているということなんです。私たちの行動は、すべて私たちの欲求から起こってきているということなんですね。
私たちの行動というものを考えてみると、皆さん今日は、ここに集まってきた、集まってきたというこの行動は、講演があるから聞いでみようという欲求があったわけですね。中には、仕方なしに義理で来たという人もいるわけね。そんな話は聞かなくてもいいのに義理で来たという人もいる。しかしながらその義理というのも、極めて高度な社会的欲求ですよ。犬や猫にはない欲求です。すばらしい人間的な欲求なわけですよ。
それによって私たちは行動するわけです。私たちが眠っているときに寝返りを打つという行動をしますね、あれは行動と言わない。意志を伴わない動きは、運動といいます。行動というのは、自分の意志で、ある目的を持って動くときを行動というんです。この欲求が、行動を生み出しているということなのです。
2.ストレスに耐えて自分を鍛える
(1)欲求不満=ストレス
さてしかしながら、欲求は、そんなに簡単に行動に結びつけられるかと言うと、そうはいかないんですね。
私たちは、欲求をたくさん持っています。千も万も欲求を持っていると言っていいですね。しかしながらその千も万もある欲求が、すべて行動に結びつくかというと、そうはいかないですね。
例えば、いま皆さんがハワイに行きたいなあと思ったって、まず先立つものはないし、時間はないし、親がウンと言ってはくれないし、思ってもできない事が山ほどあります。
こういう状態を欲求不満と言うんです。
この欲求不満が、私たちの心の中にたくさんある。特に皆さんの年齢、高校生は欲求不満の塊だと言っても良いですね。
したいことが百あっても、できるのはそのうちのーつか二つ位なものです。あれも駄目これも駄目と言われている時期ですね。
社会がなかなか許してくれない。あるいは校則があったり、あるいは親からなかなか許可してもらえなかったり。たくさんの欲求があります、けれどもその欲求は、ほとんど満たすことができない。欲求不満という状態です。
この欲求不満という状態をフラストレーションと言いまして、フロイトという人は、この欲求不満が私たちの心の精神保健にとって一番重大な問題だということを指摘しました。
この欲求不満な状態を、実はストレスと呼んでいいのです。自分の思い通りいかない。例えば、暑いときは涼しければいいのになあと思います。忙しいときはきっと暇ならいいのになあと思います。
自分の思い通りにいかない、自分の欲求が満たされない時に、それをすなわちストレスと表現しています。
ストレスは、欲求不満と言い換えても間違いではありません。そのストレスを、今皆さんはたくさん抱えている。
学校の勉強のことも大変ですね。遊びたいなあと思っても、なかなか思い通りに遊ぶ事もできない。またある時は大学受験の勉強のこと、成績がもっと上がらないかなあという悩み、これもストレスであります。
あるいは親との意見の対立、これもストレスであります。友人との人間関係のストレスなど、いろいろありますねー。
今、私が抱えているある女子高校生、高校二年生の女の子です。鹿児島市内のある県立高校で、進学校の女子高校生ですけれども、クラス替えがあったんですね。一年生から二年生に上がつた時に、自分の周りに、自分と仲のいい人がいなくて、自分の仲のいい人は、随分遠くにいっちゃって、自分の席の周りには全部違うグループの友達に囲まれちゃった。それが、大変ストレスなんですね。それから、一日中緊張しちゃうんですね。そして学校から帰るとグターと疲れると言うんですよ。
少し弱いなあと言えばそれまでのことですが、デリケートな人はそうなんでずね。自分の座っている席の固りを、自分のグループでない人に囲まれちゃったというだけで、随分緊張しちゃうんですね。
それからなかなか勉強にも手がつかないという事になってしまった。そういう事もストレスになっていますね。
皆さんは、今大変たくさんのストレスを抱えている訳です。
思い通りにいかない事、したいことができない事、欲求不満などをたくさん抱え込んでしまっているのですね。
実は人生みんなそうなんですよ。
桜島に古里という所がございます。行った事があるかもしれませんが、そこに「浮雲」等の作品を書いた林扶美子という作家がいて、彼女は、桜島で小さい頃過ごしたんですね。林扶美子の文学碑に大変有名な句が書いてある。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
これは、人生は短い、女の人生は短いのに、なぜこんなに苦しい事ばかり多いのだろう、という句ですね。
これは、まさに私たちの人生は思い通りにいかない、そして、その思い通りに行かないストレスの状態は、文学的には苦しい或いは緊張するという表現になります。
そういうものを皆さんもみんな抱え込んでいるわけです。世の中ままならないという状態ですね。ですから、みーんな我慢しているんですよ。みーんな我慢しているんですけれども、じゃ、我慢ばかりの人生かというと、決してそうではありません。我慢というのは、ちょっと見方を変えると、大変すばらしいことなんですよ。将家、自分がどうあるべきか、将来の自分の目標を、しっかり明確にするならば、今の我慢は楽しみになります。
今辛抱していることはですねー、将来の自分の夢の実現のために、大変楽しみな我慢になってくる。そうなってくると、我慢と言うのは、苦しいことではなくなる。
(2)ストレスに耐えて自己実現
我慢というのは、決して「苦しきことのみ多かりき」ではなくなる。我慢している、そして頑張っている、努力しているということは、自分の将来に向けてすばらしい自己実現を図ろうとしている。自分の将来の理想を、実現するための努力をしているということになる訳です。
ですから、辛いことは、ある意味では大変ありがたい事なんですね。昔は、いい諺があつた。「若いときは、買ってでも苦労しろ」と言うんです。若いうちは、お金出して買ってでも苦労しなさい。それが、自分の身につきます、という言菓なんですね。
我慢するということは、欲求不満・ストレスに耐えるということなんです。自分にストレスを加えていくことによって自分は鍛えられていくんです。だから、ストレス・欲求不満は、決して良くないものではない訳ですね。
自分を鍛え上げるという意味では、大変すばらしいエネルギーになってくる訳です。
皆さんがスポーツをする時に、柔道の練習をする時などに、おもしろくもないけど受け身の練習からします。投げられる練習からします。たいしておもしろくも何ともありませんね。だけれども、将来相手を投げ飛ばすという快感を得る為には、投げられる練習から始めるんですね。
野球だってそうでしょう。野球選手になって試合をして、勝った!と言って喜んで、飛び上がって喜ぶ。そのためには、まずグラウンドを何十回も回るような基礎体力訓練から始まるのですね。そういう鍛えるということ、それが自分の将来の夢の実現につながって行くんだと言うことです。
ですから、欲求不満だとかストレスだとか言うものは、実は大変すばらしい事なんだという見方をしなければいけないと言うことになります。
3.青年期の特徴
(1)中学生時代の双極性
今皆さんは高校生と言う時期でありますが、高校生というのは青年期と呼ばれる時期です、青年期の中のちょうど中間です。 中学生時代は青年期の前期と呼ばれます。高校時代が青年期の中間と呼ばれます。そして大学生の年齢が青年期の後期と呼ばれます。
青年期の前期である中学時代というのは、体の成長が非常に活発です。体がグイグイ大きくなってきます。心と体のバランスがむしろとれなくて、非常に不安定な時期です。
そして中学時代は、双極性の時期と呼ばれているんですね。
どういう時期かというと、中学生の時代は非常に心のバランスの悪い時期で、先生方に対して、大変親愛の情を持っているかと思うと、あるときはもうコローツと変ってね、「あの先公は・・」と言って、同じ人間が、大変親愛の情を持っているかと思うと、大変悪口を言ったりする、あるいは親に対しても、とても甘えるかと思うと、途端に、「クソババァが」と言うような、両極に揺れる時期なんですね。それを双極性の時期といいます。揺れが大きいほど大物になるのかも知れません。中学時代は、そういう時期なんですね。
中学時代の子供たちに良く合う歌があります。皆さんはほとんど知らないと思いますが、十年も二十年も前によく流行った歌で、近藤真彦というのがいました。あの人もおじさんになってしまって、昔は「マッチ」と呼ばれていたんですけど、「ギンギラギンにさりげなく」と言う歌です。みなさんは、小学時代に聞いたか・・・小学生でもなかったかもしれませんね。
「ギンギラギンにさりげなく」と言う歌は、その年の何か賞をもらいましたよ。歌唱賞か何か、新入賞か何か賞をもらった。私はこの曲を聞いていて、非常におもしろかったですね。
ギンギラギンにさりげなくと言うのは、ギンギラギーンとしていてさりげなくというのですね、両極なんですね。
歌の文句を今少し覚えていますがね、エー「何でしたっけ・・・「涙流して笑いなよ」とか言う歌なんですよ。「涙流して笑いなよ」と言うのは両極ですね。
涙を流しなから、一方では泣きながら一方では笑うような曲なんですね。こういう歌は、きわめて両極性の歌だなあと思って、中学生ぐらいの子供たちには受けるんだろうなあと思って聞いていましたね。
(2)高校生時代はジェット機の離陸
高校生になりますと、この大きなプレが今度は徐々にある所で定まってくる時期です。高校生の時期は心の発育の時期なんです。心が大人にグウーツと近づいてくる時期です。ほとんど大人になる時期です。
中学時代は、体がほとんど大人に近づいてくる時期です。高校時代は、心がほとんど大人になってくる時期です。そして大学生時代の青年後期になりますと、社会性が身に付いてくる。社会的責任などを学ぶ時期になってくるのですね。
ですから皆さんは今ほとんど心は大人であります。一人前であります。しかしながら、心と体は大人であっても、社会的には全く赤ちゃんと同様。一方で心は自立しますけれども、生活という面では全く依存です。
今、みなさんが着ている洋服だって靴だって、くつ下だってカバンだって、何だって全部、お父さんお母さんからいただいている。食べるものだって住む所だって、全て親に依存しているんですね。
親なしには生きていけない、そういう生活をしている。なのに、心は大人になってね・・・大変アンバランスです。そういう時期になっているわけですね。非常におもしろい事ですよ。
そういう時期ですから、今皆さんは、ある意味で大変不安定なんです。経済的な面では全く依存しているのに、心は一人前になってきている、ここのアンバランス。しかも高校一年生、二年生、三年生の時期は、人生の中で、ある意味では最も大切な時期ですね。
今皆さんを飛行機に例えるならばジェット機が、グウーツと上空に急上昇していく、離陸の時期ごすね。全エネルギーを出してジェット機がブワーッと噴射して、上空に飛び上がろうとするその時であります。
ジェット機が飛び上がる時には、飛行機に乗った事がある人は良くご存じだと思いますが、先ず・・・シートベルトをちゃんと締めてください。タバコは吸わないでください。リクライニングシートはちゃんと起こしてください。トランジスタラジオや携帯電話等は使わないでください。・・・様々な注意があります。飛び立つ時は危険なんですよ、不安定なんですね。
今ちょうど、皆さんはそういう時ですから、皆さんにはアレするなコレするなという注意事項が色々ある。親からもいろんな注意があるんですね。ジェット機だってそうなんです。飛び立つ時はいろんな注意があります。アテンションプリーズです。
しかも、飛び立つ時は、おもしろいですよ。束京に飛んで行く飛行機ならば、東に向けて飛んで行けば良さそうなものを、風向きによって違うんですね。浮力をつける為に、南の方向から風が吹いていたなら、南の方向に向かって飛んでいくわけですよ、東京に行く飛行機でも。そして、上空で旋回して東京の方へ向かいます。
奄美大島や沖縄に飛んで行く飛行機が、南の方に必ず向いて飛んで行くかと言うと、そうじゃないんですね。北から風がふいている時は、北に向かつて飛んで行くわけですよ。それはどの注意が必要なわけですね。
皆さんは、今そういう時です。非常に不安定な大切な時期です。このスタートの時期を間違うと、いろんな事故が起こります。日本でも、中国の飛行機が落ちてしまったり、つい最近もありましたね。飛行機が滑走路を上手に飛び上がれず落ちてしまった、ああいう事故があります。
みなさんはそういう意味で、今ジェット機が飛び立つ時。今最大のエネルギーを出して飛び上がらなければいけないんです。
しかし、人生いつまでもそんなに、全エネルギーを使いながら生きていかなければならないのかと言うと、これは辛い苦しいことですね。何のために生きているのかわからないという事になります。
しかし人生と言うのは、そう苦しいものじゃないんですよ。ジェット機もそうです。ジェット機が上空に到達するのには、15分もあれば充分水平飛行に入って行きます。水平飛行に入ってしまったら、ベルトも取っていいですよ。タバコも吸っていいですよ。ご自由にトイレも使ってください。どうぞご自由に、ご自由にと言う時期がくるんです。
後は、グライダーみたいなもんですね。たいしてエネルギーも使いません。方向さえ間違わなければ、スイスイ、スイスイ飛んで行くんですね。
人生には、この時!と言う時がある。全エネルギーを噴射して、飛び上がらなければならない時期があるんですね。
そしてそれは、いつまでもいつまでもそうして頑張らなければならない、というのではないと言う事ですよ。ほんのいっときなんだと。
ま、皆さんで言うならば、ほんの三年だと言う事になります。ほんの三年間頑張れば、後は水平飛行です。水平飛行に移れば、ほんとに雲の上をね、雲を突き抜けて雲の上に到達すれば、どんな嵐の日だって、上は誠に晴れやかな快晴ですよ。
そこに飛び立つのに、わずか三年です。その三年の間をね、ワァーッとすごいエネルギーで飛び上がらなければいけないと言うことになります。
4.ストレスに負けた場合
(1)不適応状態
しかしながら、ストレスと言うものは、時には疲れ果ててそのストレスに負ける事がある。私たち人間は、みんなそう強い事ばかりは言っておれない。やっぱり疲れ果てる事だってありますね。
友人との関係、親との関係、時には先生との関係、色々な人間関係や、自分の目標と自分の学力との差に悩んだりね・・・自分がどういう方向に進めばいいのか分からない、そんな事に悩んだりして。その悩みがズーッと続く。即ちストレスがズーッと続いてしまうと、私たちは疲れ果ててくる・・・と言う問題があります。
ここから、いわゆる精神医学、精神保健、精神衛生的な話になつてくるんです。
ストレスをズーッと抱え込んで、ストレスをうまーくクリアーできればいいんですけれども、クリアーできない状況が、時に起こってくる。
ま、1つの高校に2人や3人は登校拒否のような状態になっている人がいます。2人や3人が登校拒否のような状態になっているという事は、その周りに20任や30人はその準備段階になっている人がいる。そう考えてもいいですね。
本校には恐らくシンナー・タバコ等というのはないのかも知れませんけれども、私は、あちこちの学校に呼ばれて講演をすることがございますが、必ずと言っていいほどシンナー・タバコがあったりするんですね。非行で大変困っているという生徒がいたりします。
皆さんも、いわゆる万引きだとか、暴走だとかソンンナーだとか言う事はしないにしても、してみたいなあという気持ちは充分持っている。準備状態と言うのは、みんなあるんですね。
ちょっとしたきっかけで、ちょっとした誘いで、そう言うことになりかねない状態は、できあがっているわけです。非常に、好奇心旺盛ですからね。心は大人になっているんですから。
心は大人になっているのに、パチンコ店の入り口には、入っちゃいかんと書いてあるんですね。だけどやってみたい、そういう気持ちは旺盛です。
単車にも乗りたい、あれもやりたい、これもやりたい、色々な好奇心があります。
シンナーもさることながらタバコも、覚醒剤等で入院してくる人もいるんですよ、私の病院には。しかも若い人が。で、どうしてそういう事になるのかという問題がありますね。
そこでもし、今メモの用紙、準備をしている人がいるならば、少しメモをしてくださると後々整理をするのに都合がいいかも知れませんから。
ちょっと筒条書き的に話をしてみますが、ストレスがズーッと続いてくる。悩み心配事がズーッと続いてくると、私たちの脳の働きは、疲れてくる、これは当然です。マラソンだってそうですね。長距離を走ってたら体力が衰えてきて、もう疲れ果てて座りこんでしまいます。それと同じで、脳も同じ体の中の臓器です。
ストレスが加わって、悩み苦しみで脳を使っでおりますと、これは疲れてくるのが当たり前です。ストレスによって疲れてきた時の状況を不適応状態と言います。
(a)外面的な不適応状態
その疲れてきた状態を、外から見ていて分かる。例えば、学校の先生ですと、生徒を見ていて分かるチェックの仕方。または、自分を自分で見ていてチェックしてくださればいいのです。
先ず第一に、外から見ていてチェックする方法。その一つは、能率の低下、勉強だってスポーツだって何でもそうです。能率の低下が先ず起こってくる。
その次、ミスの増加ですね。テストでもそうです。ケアレスミステイクをまたやっちゃったとか、こんな単純なミスを又やっちゃったという様な事ですね。それから事故が頻発する。事故といっても交通事故とか、大きな事故ではなくてもいいんですよ。階段をちょつと踏み外ずした、すり傷をしたとかね。或いは、ちょっと転んじゃった。そういうのも事故に入ります。
それからチョコチョコ遅刻をする、チョコチョコ早退をする、欠席するというような事、それから勉学の意欲が低下してくる。すなわち、やる気がなくなるという事です。
それから、対人関係のトラブル、些細な事ですぐカッとなってしまう。たとえば先生から、ちょっと注意されると、「エイックソ」と言って食ってかかったりする。或いは友達がチョット何か言うと、すぐそれに食いかかってみたり、というようなトラブルが起こりやすい状態。
それから、疾病多発と言いますが、よく病気をしやすい。風邪をひきやすいだとか、頭が痛くなるとか、大きな病気でないにしても小さな病気をするようになる。
その次は、問題行動と言いまして、何であの人はあんな変なことをするんだろうと思われるような変な行動をするようになるんです。これは、判断能力が落ちているからです。判断力が低下してくるから、変な事が起こりやすいんですね。
(b)内面的な不適応状態
では次は自分自身の、内的なチェックです。自分自身でどんな感じがするか、ストレスで疲れてきたときに、自分自身の内面でどんな感じがするかという事を申し上げます。
先ず自己不全感とい乏言葉を使いますが、不全というのは充分でないという意味です。満足感がないという意味ですね。
何をしても「やったー」という実感がわかないというのを自己不全感と呼びます。ストレスがズーッと続いてくると、何をやっても充実感がないんです。
その次に抑うつ感、気分がパッとしない、沈んでる、なんとなく気分が沈んでる。その次に挫折感、何をやってもうまくいかないなあと言う感じですね。私はだめだなあとか下手だなあとかね、どうしてこううまくいかないんだろうなあという感じですね。
その次には、不平不満、些細な事に不平不満が起こりやすい。
相手の言葉にすぐカッとなったり、相手の事を許してあげられない。お父さんお母さんの事を許してあげる事が出来なかったり、不平不満が非常に多くなる。お母さんの作ったおかずにも些細な事で文句を言いたくなる。
その次は、不安や緊張です。不安感、これはみなさんありますね。そして緊張感。この不安や緊張のある人は、大変疲れます。これは、ノイローゼの一番大きな原因になりやすい。登校拒否、いわゆる不登校といいますけれども、不登校の学生さんは、まず第一に感ずるのは、疲労感です。
学校に行って、帰るとグターッと疲れるんですね。それから、その翌日は頭が痛くなったり、お腹が痛くなったりして、もう学校にとても行けなくなるような状態です。それを我慢して出ていっても、ほんとに一時間の授業でぐったり疲れるという状態になります。 そして次は意欲の低下ですね。なんにもやる気がないという感じが起こってくる。
その次に、自律神経の失調症状、暑くもないのに汗が出てみたり、なんにもないのに手が震えてみたり、そういったものを自律神経症状と呼びます。何もないのに、ジーッとしているのに動悸がするとかね、そういった自律神経のバランスがくずれるという感じ、これが内的な知覚的な、自分で感ずるチェックであります。
今申し上げたような事をチェックしてみて、随分たくさん当てはまると思う場合は、随分自分は疲れているという事ですね。
(2)不適応行動と精神的な病気
このような不適応状態がさらに続くと、次には二つに大きく分かれてきます。
どういう事が起こるかと言うと一方には、不適応行動と言うが起こってきます。とても変な事をやりだす、しちゃいけない事をやりだすという問題が起こってきます。
すなわち、それが非行です。万引きをしてみたり、いじめを起こしてみたり、あるいは家出をしてみたり、外泊をしてみたり、あるいは友達とのけんかがしきりに起こってみたり、このような不適応行動と呼ばれる行動が起こってきます。
一方には、精神的な病気が起こってきます。不適応行動というのは、どちらかと言うと積極的な形ですけど、消極的な人は病気になり易い。
病気の中では、心身症と言う病気がある。心身症と言うのは、心と身体の症という風に書きますが、心に原因があって身体に症状を出してくる病気です。
例えば、悩みや心配事があって喘息が出るだとか、あるいは便秘になってしまうとか、下痢をするだとか、あるいは生理が不順になるだとか、様々な身体的な症状を現わしてくる。これは、皆さんの中にも相当数おられると思いますね。
試験が近づくと下痢を起こしてしまう人は、たくさんおります。
次に、神経症。神経症というのは、ノイローゼの事なんですが、精神的なストレスがあって、精神的な症状を出してくるのを神経症と呼びます。
例えば、心配事や悩み事があって、夜眠れないとか、食欲もない、気持ちがイライラする、気分が沈む、落ち着かない、こういうものですね。
精神的原因で精神的症状を出してくるというものなんです。
これをノイローゼすなわち日本語では、神経症。ノイローゼと言うのは、ドイツ語です。英語では、二ューローシスと言うんです。さあこういった大きな問題が出てくる訳ですね。
5.ストレスの解消
(1)ストレス耐性の強化
そこで、ストレスという問題をどう解消するか。皆さんには、たくさんのストレスがある。
この3年間に、いろんなストレスを抱え込みながら頑張らなければいけない。このストレスの解消という問題がある。それを今からお話します。
ストレスの解消の中で一番大事な問題は、ストレス耐性というものです。
耐える、忍耐力の耐ですね。ストレス耐性というものを強化する、強くしなければいけない。
今皆さんは、自分を鍛えるという努力をしなければいけない。そして、些細な事でへばらないようにストレス耐性を強化するということです。
すなわち、根性を鍛えると言っもいいでしょうね。忍耐力を鍛えると言ってもいいでしょう。些細な事で、すぐメソメソ泣いてしまったり。
私の病院でもそうですよ。若い看護婦さん達にちょっと注意するとね、すぐにメソメソしたりする。何か弱いなあこの子は、と思うような子が、結構いるものです。
今、皆さんは兄弟が少ないですね。一人とか二人とか、多くても三人程度。お父さんお母さんから大切に大切に育てられているものだから、なかなかストレス耐性が付きにくい。暑ければ冷房、寒ければ暖房でね、いい環境の中で育ってますから、自分を鍛えるというチャンスが少ないんですね。
ですから、逞しさ、忍耐力が欠けてくる。それは、ストレスに耐える力が弱いという事になるんです。
ですから、今自分を鍛えるという事、そういう努力をすべきだと思うんですね。そのためには、毎日何か努力して、例えばお風呂は私が掃除するとかね、何か自分に負荷を課すという事が大事なんですね。雨が降ろうが、矢が降ろうがこれだけは私がするという役割を全うしていく。
例えば、日記を書くというようなものもいいでしょうね。庭の掃除を毎日するというのもいいでしょうね。
何か、毎日頑張ってやってみる。そういう事はストレス耐性を強化するのにとてもいいんです。そういう努力をやってみてください。
ストレスに勝つためには、先ずストレス耐性が強くなければいけない、と言う事ですね。
(2)栄養・休養・生活のリズム
第二番目には、脳も、私達の身体の臓器のーつでありますから、充分な栄養が必要です。
しかし、悩み事、心配事があるときは、食欲もなくなったり、夜も眠れなくなったりして、大切な栄養や休養が取れなくなってしまうという問題がありますが、そういう時こそ、実は栄養や休養が脳に一番必要な訳です。ストレスを乗り越えていくために、その事も良く分かってほしい。
そしてその次に、規則正しい生活。脳も身体の中の臓器の一つですから、生理的なリズムが大切なわけです。ですから、規則的な生活をする。これはねえ、学業成績を上げるためにも非常に大事な事だと思う。
脳の機能をレベルアップするためには、生活のリズムが、ある意味では単調なぐらい、平凡過ぎるぐらいにリズミカルであるほうが、脳の働きは、グイグイ良くなるわけです。
ある時は夜更かしして、深夜放送を聴いでみたり、生活のリズムがムチャクチャな人の場合は、これは脳の機能は良くないですね。いい脳の働きが出来なくなりまず。
(3)非日常的行動
その次の問題が非常に重要な問題ですが、ストレスを解消するためには、時に憂さ晴らしが必要な訳です。ストレス解消には憂さ晴らし、ちょっと硬い言葉で言うならば、非日常的行動、普段しない事をするという事なんですね。
非日常的行動は、ストレス解消にとてもいいんです。
例えば友達とうまくいかない、イライラしている、朝目が覚めると、その嫌な友達の顔が目に浮かぶとか、或いは、どうも気にくわない先生がいて、朝目が覚めると、その先生の顔がパッと目に浮かぶとか、そういう時は大変強いストレスの状態ですね。
で、こういうのを忘れなさいと言ったって、ストレス状態の時は忘れられないんです。脳にこびりついてるんですね。だから、忘れなさいと言う指導は当たらないんですね。
こういう時は、考え過ぎなさんな、あまりそんな事を考えなさんなと言ったって、これはストレス状態の時に考えないと言う事はできない。
人間は考える動物ですから、考えていいんですよ。しかし考え方を変えるということです。
それはどういうふうに変えるかというと、脳の中の別な所を使うという事です。
脳の中の同じ所だけを使っていたのでは、疲れ果ててしまいますから、脳の違った別な所を使う。これが憂さ晴らしなんですね。非日常的行動なんです、非日常的行動とは、普段しない事をすることで、旅行にでも行ってみようか等というのは、とてもいい事なんです。
しかし皆さんは、学校もあるし、そう簡単に旅行に出かける訳にもいかない。
そこでちょっと工夫して、学校に登校する道筋をちょっと変えてみる。2,3分か5分間、ちょっと時間はロスするかもしれないけど、気分はリフレッシュするんですね。
その他に、お風呂に入る。お風呂は、日常的行動ですけれども、お風呂の中で素っ裸になって、動物みたいにね、動物の世界のようなワイルドな世界の中に入って、歌の一つでも歌ってみるというのは、とてもいいストレス解消になるんですよ。
(a)次元の高い方法
そこで、非日常的行動にも、2種類ある。一方は大変次元の高い方法と、一方には、次元の低い方法とがあります。
次元の高い方法とは、例えばスポーツであるとか、芸術であるとか、自分の好みの趣味ですね。手芸でもいいでしょう。何でもいいですよ。少し練習をしなければいけませんねえ、これは。
次元の高いものによってストレス解消するためには、スポーツでもそうです。柔道でも卓球でも3回に1回ぐらいは、相手を負かすぐらいに、ちょっと練習しないとおもしろくないですね。
少し努力が要りますが、次元の高いほうは、芸術でもそうですね。詩を書いたり、短歌を書いたり、あるいは小説を読んだり、自分の教養を高めるためにも、自分の人間性を高めるためにも、とてもいい方法でありながら、ストレス解消になる。この方法を皆さんは選ぶべきなんですね。
(b)次元の低い方法
ところが、次元の低い方法があります。先程も言いましたけど、酒だとかタバコだとかシンナーだとか、あるいはパチンコだとかゲームだとか、これは何の努力もいらないんですよ。何の練習もいらないんです。そこにあるものを使えばいいんですね。 きわめて単純なんですね。そしてまた、すぐいい気分になっちゃうんですね。ですから往々にして、こういう方法を用いる人がたくさん出てくるんです。最近は、そういう学生さんも増えてきました。
シンナーなんていうのは、最近とても多いんですよ。まあ本校にも、タバコを吸っている人が中にはいるかも知れないけれど、タバコは脳の働きをグウーッと麻痺させます。
大体麻薬のような薬物は、脳を麻痺させるから、喜んで使われるんです。アルコールだって、脳の麻痺剤です。タバコだってそうです。タバコは、麻痺してから興奮が起こっできますけれども、その他の麻薬や、覚醒剤だってそうですが、覚醒剤の場合は、逆に興奮なんです。
興奮させるから、疲れ果てて、眠くてたまらない、嫌な気持ちをバアッーと興奮させて吹っ飛ばすのに覚醒剤は大変効果的です。
薬物は、脳を興奮させるか、麻痺させるかです。一般によく使われる薬物は、麻痺作用を持っているシンナーも麻痺作用、タバコも麻痺作用、アルコールも麻痺作用、で、それによって頭がボオーッとして酩酊して、嫌なことを忘れられるというのでよく使われる。 晩酌等を毎日している先生方や、大人の場合は、脳の成長がもう出来上がっています。大人は、もう脳が成長しません。
しかし皆さんの脳は、今成長・充実の盛りです。今脳の機能が、ジェット機のように、グウーッと充実している。脳すなわら心が、今最も機能する時なんですね。
その時に馬鹿なことをして、自分の脳を麻痺させる等という愚かな事をするのは、勿体無くてしようがない。
さあそこで、ストレス解消に2つの方法がある事を言いました。
次元の高い方法、とてもいい方法と、やってはならない方法、それをやることによって、自分を破滅に追いやってしまう方法があるということですね。
6.内観−−「汝自身を知れ」
ここに録音テープを持ってきているんです。
私の病院にたくさんの非行の少年や、あるいは不登校の学生達がやってくる。今日は、その学生達の中の三人分ぐらいのテープを持ってきていたのですがほとんど時間がなくなりましたので、一人分ちょっと聞いてみましょう。
不登校のもあるんですが、非行のほうのテープを聞いてもらいましょうか。
私どもの所で、不登校の学生さんや、非行その他のシンナーなどの人達への治療に、内観療法というのを使っているんです。内観というのは、内側を見るということ、すなわち心の内を観察するという意昧なんです。すなわち内観です。
自分は将来どうあるべきなのか、今何を成すべきなのか。という事を知るためには、過去自分がどうであったかということを知ることが必要です。
皆さんが、世界史だとか日本史だとか勉強をしますね。日本の歴史を調べるという事は、今後日本はどうあるべきなのかという事を知るために、過去を調べる。そのために歴史というものが必要です。
自分の歴史、自分史というものはとても必要なものですね。しかし、世界史や日本史をどんなに学んでも、自分史を学ばないで、自分の将来が見えないのでは、これは片手落ちですね。
そこで、自分自身を見るという事が必要です。それが内観なのですね。
「汝自身を知れ」という言葉があります。これは、古代ギリシャ哲学の言葉です。ソクラテスやアリストテレス達の時代の言葉です。「汝白身を知れ」という言葉がいまだに生きているという事は、それがどれ程大事であるかということですね。
しかしながら、汝自身を知れと言われても、どういう方法で知ることができるのか、という方法がよくわからない。これが難しい。
(1)内観の技法
そこで、内観という方法がありますので、自分自身でできますから聞いておいてください。
先ず第一に、お母さんをテーマにして、お母さんに関して、小学一年生の時、してもらった事を第一に調べる。
小学一年生の時、人学式の時、お母さんに手を引いてもらって学校に行ったとか、運動会の時にお母さんがおいしい弁当を作ってくれただとか、そういうことをたくさん想い出すでしょう。
二番目に、自分がお母さんにしてあげた事、して返した事。
これは、なかなかないですね。なかなかありません。人間というのは、give and takeで成り立っている筈なんですけれどもね。
三番目に、自分が一年生の時に、お母さんに迷惑をかけた事を調べる。
例えば、高い熱が出てお母さんに徹夜で看病してもらって、大変迷惑をかけたとか。
これが、また山ほど出てくる。この三つです。お母さんに対して、小学1年生の時にしてもらった事、して返した事、迷惑をかけた事、この3つの事を想い出して、日記のように書いてみてください。
その次の日は、小学二年生の時のお母さんに対して、この3つの事を調べてみてください。
こういう風にして現在までを調べます。お母さんがいない人の場合は、母なる存在であった人を対象にします。次に、お父さんに対してとか、あるいはおばあちゃんに対してとか、あるいはお姉さんに対してとか、あるいは学校の先生に対してとか、自分の人間関係の密接な人に対して、こういうやりかたで調べます。
(2)内観の効果
してもらったことを調べていくと、自分がどれ程深い深い愛情に包まれながら、大切に大切に育てられてきたか、という事を知るようになります。
それなのに、自分は何のお返しもしていない。その上迷惑のかけどおしだ、という事に気づいてきます。
そうすると、シンナーの子供たちも、不登校の子供たちも、アルコール依存症のオッサン達もね、これじゃいかんなあ、という事に気づいてくるんですよ。
アレッこんな風だったかなあ、という事ですね。すなわち、こういう内観をやって行くと、自己否定という所に導かれていきます。 俺は、まあまあ、ましなほうの人間だ、等と思っているんですけれども、アアーこれじゃあいけない、という気持ちになりますねえ。
これじゃあいけないという気持ちになった時に、何とかしようというジェット機のようなエネルギーが出てくるんですよ。
親や先生方から、お前はこうだ、駄目だ、もっとこうしなさい、ああしなさい、と言われると、つい反発したくなります。一々言うな分かっている、というような事でね。
ところが、自分で自分の過去をジーッと調べて、見つめて、汝白身を知れという言葉に従って、自分を見つめていく。
そうした上で、これではいけないなあ、という白己否定に到達して、何とかしようというエネルギーが出てきた時、これは極めて自主的で、主体的で、ものすごいエネルギーとなって出てきます。
(3)非行少女の内観
さあ、それではここで、この一人の高校2年生の女の子の話を、聞いて終わりにしたいと思います。
この子は、鹿児島市内のある県立高校の女子高校生なんです。
1年生の時から、もうほとんど学校に行かなくなったんですが、非行のために行かなくなったんです。そして、本当はもう2年生になっている筈なんですけれども、まだ学校に行っていない、そういう人なんです。
その人が、私共の病院にやって来た。そこで、内観療法という治療をする前、ちょっとインタビユーしたテープです。
退院して、学校に行くとしたら、高校一年に入るんですか? | はい |
じゃあシンナーの事を聞きますけれど、あなたがシンナーを一番最初に吸ったのは何年生の時でした? | 中学校二年の時ですね。 |
で、その中学校二年の時、どういうふうな状況で、どういうふうにして吸うことになったんですか? | 教室で、男子の人が吸っていて、で、やっぱり私も興味半分で、一緒に吸わしてって |
それは放課後ですか? | いいえ |
休み時間? | 休み時間に |
ホーオ、ホイデ最初吸ってみて、どんなふうだった? | やっぱりクラーツときて、まあ、いい気持ちのような |
ウーン、じゃ中学1年の時にそうして、学校で、教室で吸って、中学時代はあんまり吸わなかったのかな? | はい |
何回ぐらい吸っただろう、中学時代に? | 十・・・ |
十回・・・二十回ぐらい吸っている? | ウーン、そのくらい |
じゃあ、まあ遊び半分と言う感じだね | そう・・・ |
中学二年の頃シンナーを吸ったりしてたわけだけど、非行少女という程はなかった?チッタそうだった? | いいえそんな、なかったですね。 |
じやあ万引きなんかは? | 万引きは、まあ毎日のようにしてました。 |
中学の時? | はい |
それじゃあ、非行少女だよ。(笑い!) | ・・・ |
毎日のように!? | はい |
面白いでしょう?自分が見えないんですよ。毎日万引きしていても、非行少女じゃないと言うんですね。これほど自分というものが見えない。
第一この目が外を見ていますからね。人のことはよーく見えますけれども、自分が見えないですね。
さて、そこで内観をしてくれました。1週間するんです。朝から晩迄こういうことを繰り返していくんです。
しかし、皆さんの場合には、朝から晩迄する必要はないから、毎日日記のような形式で、今日は1年生の時、その次の日は2年生の時というように、日記形式の内観をしてくださればいい。
この人の場合には、病院で集中的に1週間じっくり内観をやったんですね。
朝から晩まで、1日約11時間座りっぱなしでやるんですけれども・・・やってくれました。
随分変わりました。そこを聞いてください。
あなたがね今こういうふうに、変わってきたわけだけれども、内観でね、いつ頃からそういうふうに気持ちが変わってきた? 何日目頃から少しそういうふうに内観らしくなったというのかなあ? |
2日目か3目 |
あー、3日目ごろから | そう3日目ごろから |
誰に対しての内観をしている時でしたか? | 兄弟でした。 |
兄弟? | 兄弟のことを |
ホオー兄弟のことを内観している時に? | はい |
エート、兄弟の何歳の頃の誰に対して? | エート、小学校の頃の兄に対して |
どんなことを内観できた? | まー・・・ |
お兄さんからしてもらった事は? | してもらった事 |
ウーン | まー、塾に行ってないのに、単車で迎えに来てくれたり、誕生日だからっつて小学校の時にね、なんか作ってたんですよね、私にくれるために。で、手をけがしてしまって血だらけになって。誕生日プレゼントはもらえなかったんですけどオ、その兄の気持ちだけがね・・・(涙声)嬉しくて |
じゃあ、その、お兄さんが妹に対する愛情ですねエ | はい |
ウーン、そういう愛情とか家族の愛とか親の愛とか、そんなものがもう見えなくなっちゃったんだね | (涙声)はい、もう忘れてました、全部。遊んでいる頃は |
じやあ内観をしていって、お兄さんがけがをしながらもあなたへのプレセントを作っていた | (涙声)はい |
その気持ちが思い出されたわけですね | (涙声)はい |
なのに、お兄さんが一生懸命自分の事をかわいがってくれていたのに、今はもうお兄さんの気持ちとかお父さんの気持ちとか、そんなものを全然考えもしないで、自分勝手に行動していたと言う事なのかな? | はい |
自分という人間を、どんな人間だと感じましたか?内観をしてみて | もう自分勝手な女だって、他人の事を何にも考えないで |
今お母さんに対してはどんな気持ちですか? | 今お母さんに対しては、ウーンまあ出来るだけ、母がね、希望している事をしてあげたいって |
ホー、なるほどねー。 それの一番最大の事は何だと思う? |
学校に行ってほしいという事ですね |
ウーンだろうねえ。シンナーやめて、ちゃんと学校に行ってほしいという、それが最大のお母さんの望みだろうナー | はい |
ま、こうしてですね、この人は学校へ行ってくれました。
もう卒業して、今ではあるスーパーに勤めているんですけれども、この人は、もうかれこれ1年近く学校に行っていなかったんですがね、それから学校に・・・まだネ髪の毛をキンキラキンにしてましたけれども、行ってくれましたねえ。
で、学校に行ったら、校長先生から電話がきましてね、出てきた出てきたってね、まるで化物かなんか出てきたように、出てきた出てきたと。
で、今後どんなふうに接していけばいいでしょうかと、色々校長先生からも、担任の先生からも聞かれましたけれども。
何も偉くなったわけでも何でもない、すこーし自分が観えるようになってきた。すこーし、ちゃんと生きて行こうと、そういう気持ちが出てきただけだから、普通に、ごく普通に付き合ってください、ということで。
その後キチーッとした学生生活を終わって、そして今はスーバーで働いている。
おもしろいですね!かって万引き等をしていた子が、今はスーパーで働いてくれる。
今、皆さんは大変不安定な時期です。ちょっとした間違いでとんでもない方向に入って行く可能性もある。ちょっとした怠けで。なーんにも勉強をしなくなるような、無気力な状況に陥る危険性もある。
ですから、常に自分を見つめながら、今日は自分はこれで良かったのか?明日はどうすべきか?という事を、毎日毎日一日一日を反省しながら、自分を見つめながら、明日の事をしっかり考えながら、そして3年先、5年先、7年先をしっか見つめながら、つらいとかきついとか思わずに、今それで自分を鍛えているんだ、ストレス耐性を強化しつつあるんだ、という喜びの気持ちでね、がんばっていただきたいと思います。
エー大変静粛に、皆さん熱心に聞いていただいて、お話をさせていただく側も大変気持ち良くお話させて戴きました。
ご静聴ありがとうございました。
出典:鹿児島県立甲南高等学校文化講演集「甲南生に語る」(1997年2月29日)
1996年10月11日保健講話での講演「高校生の心の健康」を記録しました。