アダルトチルドレン(AC)といじめ

 けたたましい電話のベルが鳴って、受話器の奥で泣き叫ぶような女性の声が「先生、今すぐ来てくれませんか」と震えていた。

 当時、私は県精神衛生センターに大学病院から週2回出張してアルコール依存症などの相談に応じていた。
その相談者からの往診依頼である。
都合よくセンターの近くであったから出かけて行った。
その家の門に立った時、唖然とした。
家の中の障子や襖がなぎ倒されて、若い夫婦が茫然と立ちすくんでいた。
ただひとつ残った障子の破れ目から、小学1年生くらいの女の子が、じっと父と母の地獄図を見つめているのに気づいた時、私の背筋は凍り付いてしまった。
この子は、この先どんな風に成長するのだろう。
子どもたちは父の日や母の日には似顔絵を描いて「世界一のお父さん」「やさしいお母さんいつまでも元気でね」などと書いたりするが、この子はどんな絵を描くのだろうか。
この体験が私をアルコール依存症の医療に走らせた忘れられない思い出である。

 アルコール依存症の家庭で育った子ども Children of Alcoholics(COA)には情緒的・社会的に多くの問題があることが知られるようになった。
暴君のような父親に何ひとつ反撃もできず、なされるままに虐待されたり、抑えつけられ、そこから逃げることもできずに生き続けた悲しい子どもたちは特殊な環境で特殊な生き方を身につけてしまっている。
そのためにおとなになって一般社会では適応しにくい「生きづらさ」を抱えて悩み続ける Adult Children of Alcoholics(ACOA)となってしまう。
ところが最近ではアルコール依存症の家庭に似た家庭はいくらでもあって、いわゆる機能不全家族の中で育った子どもも Adult Children of Dysfunctional Family(ACOD)と呼ばれて最近の話題になっている。
機能不全家族で育った子どもたちの親子関係は多くは絶対服従で、伸び伸びと子どもらしい自己主張ができない。
この親子関係のパターンはいじめっ子といじめられっ子の対人関係パターンにも見ることができる。
私が診てきたACの多くが長期的・慢性的にいじめられっ子であったことは決して偶然の一致ではないようだ。
どんなに虐待されても親のもとから離れるわけにいかない子どもの生き方は、どんなにいじめられてもそこから逃げ出せない子どもの生き方と酷似している。
また一方、暴力が日常的に行われるような機能不全家族の中で育った子どもにとって、暴力は決して拒否されるべき行為ではない。
そんな子どもがいじめっ子になったとしても少しも不思議ではない。

 こうして機能不全家族の中で虐待を受けた子が学校でいじめられっ子になる危険性は高く、その子がおとなになって職場で再びいじめにあう危険性も高い。
そんな人たちの一群を最近私は何とかしなければと思い立った。
毎月1回「AC講演会&ミーティング」を開いて、あの小学1年生の女の子と同じような人たちの心を少しでも癒すことができればと思っている。


出典:鹿児島県教育委員会月報平成10年5月号
    エッセイ「アダルトチルドレン(AC)といじめ」