機能不全家族

1、悲壮な祈り
 父親が父親らしく、母親が母親らしく、子供が子供らしく伸び伸びと自由に生活できることが理想である。しかし比較的多くの家族ではそんな理想は夢でしかない。夫婦の性格的な不一致や考え方の相違・対立から、いつも不機嫌な夫婦が大勢いる。夫婦という男と女のわずか二人の人間関係さえも、とてもむずかしいものである。結婚という男女一組のカップルの誕生は、最初は晴れがましく祝福されてスタートするのだが、あれは人間の営みのささやかな形式に過ぎない気がする。結婚式というイベントは、結婚生活というものが、とても困難なものであるが故に、うまくいきますようにと祈る悲壮な儀式のように思えてならない。
 はたして、どれほどの夫婦が、本当に幸せに生きているのだろうか。生きるごとに、しみじみと幸せを感じ得る夫婦が何組あるのだろうか。とても不思議な疑問が湧いてくる。自然でありのままの姿で対人関係がスムーズにいくことは不可能に近い。よほど自分を抑えながら、バランスを測りながらの言動でなければうまくいかない。そんな努力の上に、二人が助け合う生き方が夫婦生活というもののようである。

2、共依存
 理想的で健全な夫婦は、それぞれに助け合いながら、お互いを尊重しつつ、お互いに相手を必要としており、お互いになくてはならない存在となっているので、その姿は、お互いに依存しあっている状態であるといえる。人間は他人に依存せずに生きられる動物ではない。まず、赤ちゃんは母親に全面的に依存して、母親なしには生きられない。この状態はアルコール依存症者がアルコールなしには生きられないことによく似ている。しかし大人になれば、ひとつのものにそれほど依存することはないが、世間のありとあらゆるものに広く浅く依存しながら生きることになる。このペンも紙も食べ物も多くの人の手になるもので、それによって我々は生きることができている。その点で大人は広く浅い人間関係の中で生きているということになる。しかし、夫婦という人間関係や親子という人間関係は、大人の人間関係の中でも、とりわけ濃密な人間関係になっていて、ともすると、不健全な依存関係が発生する危険性をはらんでいる。特にアルコール依存症者の夫婦関係や親子関係では、依存症者がまず一方的に相手に依存するようになるが、その関係を改善しようとして、家族は酒を飲ませないような努力 をしたり、依存させないような工夫をするのだが、こんなことをくり返しているうちに、この関係は極めて日常的となり、日常生活そのものとなってしまう。またか、またかと患いながらも、また同じことを自然のうちにくり返してしまっている。そして不思議なことに、そこから逃げ出そうとはせず、いつまでも同じことをくり返し続けながら日常生活が固定化している。多くの場合、依存症者である夫に対する妻や、依存症者である子に対する親の心の中には、このような生活を生き甲斐とまでは言わないまでも、そのような夫や子を抱え込んで、自分の思い通りにコントロールしていることに安心感を抱いている場合もある。例えば、親の言うことを聞かず、親の思い通りにならない子に対しては、とても不安感が強くなり、落ち着かなくなるが、思い通りにあやつれる相手に対しては、それが依存症者であれ、よほど厄介な人であっても、表面的にはとても難儀なことだと思いながらも心の奥底では安定と落ち着きを得ている場合も多い。だからこそ、表面では大変な生活のように思えても不思議に、この関係が続いてゆくのである。このような関係を「共依存」という概念で家族の病理を表現している。 一般的に「共依存」になっていることを、当の本人はほとんど気付いていない。このような人間関係が続いている場合には、依存症者が入院をして自宅に帰っても、またもや強い力で支配される関係が発生するので、またたくまに元に戻ってしまう危険性が大きい。そこで家族に対する教育指導が、とても大切になってくる。家族がこの病的な人間関係に早く気付いて改善の努力をしなければ依存症者の回復は困難である。

3、イネイブラー
 依存症者に対して飲酒させまいとしたり、依存させまいとしたり家族内のゴタゴタを外に知られまいとするような努力によって依存症者をコントロールしたり支配しようとする「共依存」の状態は定着してしまうが、そうすることによって飲酒しなくなるかというと、そんな努力が何の役にも立たないことは多くの例で明らかである。むしろ、飲酒させまいと工夫することで依存症者は「そんなことをするから飲まずにおれない」などと言って前にも増して飲酒しようとするし、家庭内のゴタゴタをかえって大げさに外に知らせるような行動をとってしまうので、最後には家族が負けてしまって、家の中だけで、一定量に決めて飲むことを許可してみたり、結局は飲むことを増長させるような言動をくり返してしまっている場合が多い。このような無駄で馬鹿げた言動をくり返して、飲酒を増長させてしまっている人のことを「イネイブラー」と呼ぶ。イネイブルとは「できるようにする」「〜する力を与える」「可能にする」「容易にする」という意味で、それがために、かえって、依存症者が真剣に断酒しようとしない大きな原因になっている場合が多い。また、このような人の言動は、せっかく断酒した 人の断酒の継続にも大きな障害になる。
 依存症者の飲酒は小手先の非難や叱責(叱って責めること)やおどしや注意、説諭などではびくともしない。そんなことを何年くり返してみても同じことのくり返しである。こんなことをくり返している人が「イネイブラー」として依存症者の飲酒を支え続けている厄介な存在なのである。多くの家族がイネイプラーとなっていることに早く気付かなければならない。
 そして、断酒はその人の根本的な人間的変化・成長がなければできないことを、正しく理解して家族は正しい行動をとらなければならない。


4、アダルト・チルドレン(AC)

 依存症者の家族が病的な人間関係になってしまっていることは当然な結果であるが、その家族の中で成長してくる子供の多くが、大きな悪影響を受けることもまた当然の結果である。依存症者の飲酒・酩酊に振りまわされて、子供が子供らしく伸び伸びと自由に生活できる環境ではない。親の顔色をうかがいながら、恐れおののきながら、十分な愛情や関心も向けられないまま、夫婦のケンカに幼い子供が仲裁に入るという大人の役を演ずるようになって子供らしさは失われ、一見「よい子」のように見えるのだが、そんな生活をしながら大人になった場合に、色々な問題を抱え込んでしまっている。自分の家のことは友人にも語れず、秘密にし、自由に自分の気持ちを表現することができなくなり、他人にも振りまわされやすくなり、妙に他人に精一杯尽くしてしまうなど、社会性や人間関係の障害が大きい。このように人生において色々な「生きづらさ」「暮らしにくさ」をもって悩んでいる人が特に最近になって注目されはじめた。ACには健全な親のモデルがないために子供が共依存の両親をコピーしてACが依存症者になる率も高く、ACの女性が依存症者になる男性と結婚する率も極めて高いとさ れている。そのような治療にACの自助グループの活動が効果的であることなどが関心を呼んでいるが、内観療法による治療的効果も強調しておきたい。
 アルコール依存症の家族には、多くの「機能不全家族」がある。そこから多くの問題が発生してきていることに注目しておかなければならない。


出典:鹿児島県竹友断酒会の機関誌「竹友」第35・36合併号「機能不全家族」