心の病気

 アルコール依存症は、その原因においても、その障害や症状に関しても、さらに回復のための主な要因としても、精神的・身体的・社会的な三大要素が絡み合っています。
どの一つも軽視できないのですが、とりわけ精神的な側面はこの疾病の中核をなすもので、「アルコール依存症は心の病であるといわれてきました。

 しかし、アルコール依存症による身体的障害が重篤なので注目されやすく、それがアルコール依存症の本質であるかのような錯覚を起こしやすいのですが、身体障害は単なる飲酒の結果です。
アルコール依存症の本質は、くり返し強迫的にアルコールを欲求するというこころの問題なのです。

この疾病の原因から障害(症状)そして治療までを「こころの病気として順を追ってみてゆきたいと思います。



初飲と常習的飲酒

 飲酒と喫煙は大人のステイタス・シンボルにもなっており、青少年は早くから特殊な好奇心と憧れをもつようになります。
ところが、アルコールは脳を麻痺させる薬物なので、飲酒によっていい気分の酩酊や心地よい開放感を味わうことになれば、それが報酬効果となって、くり返し飲酒する動機づけになります。

 日々のストレスによる緊張状態の解消や満たされない心をうめるには好都合な飲み物であり、晩酌としてくり返されやすく、徐々に習慣化して常習的飲酒という嗜癖行動になってしまいます。


依存形成

 アルコールはその特性として依存性をもつ薬物なので、常習的に飲酒しているうちに脳はアルコールの作用に慣れてきて、酩酊の効果がうすれてきます。
心地よい酔いが得られなければ、必然的に飲酒量を増加させます。

 こうして比較的に多量の飲酒をくり返すうちに、脳は常時アルコールが作用しながらもいくらか正常に近い状態を生み出すようになり、脳にアルコールが作用している方がかえって調子がよく、逆にアルコールが脳に作用しない時の方がむしろ異常状態となって離脱症状が出現するようになります。
これがアルコール依存の形成です。

単に習慣化した常習的な飲酒は、まだ十分に自分の意志でコントロールできますが、依存が形成されてしまうとコントロール不能となり、飲酒への強迫的な欲求のために酒から離れられない強迫飲酒や、酒を追い求めるアルコール探索行動が認められるようになります。

 この段階では、酒が何より価値ある存在となり、その人の人生観をも大きく狂わせて「酒の奴隷」となり果ててしまうのです。

依存形成と離脱症状












最初は一合の飲酒で酩酊する
一合の飲酒をくり返すうちに脳にホメオスターシス(恒常性機能)が働いて正常に近い状態を保ち、酩酊しなくなる。
2合の飲酒では酩酊する
ホメオスターシスが働いて酩酊しなくなる
3合の飲酒では酩酊する
ホメオスターシスが働いて3合飲酒してもあまり酩酊せずほぼ正常に近い状態を保てるようになる
この脳に3合のアルコールが作用しなければむしろ正常ではない状態になってしまう
離脱症状の出現


アルコール関連障害の出現

 依存が形成され、くり返し飲酒を続けるうちに、身体的・精神的・社会的な障害(症状)が出現するようになります。
下の表はアルコール関連障害を病期に分けて、およそ一般的な経過を示したものです。

アルコール関連障害
1  期 2  期 3  期
身体 消化器系 神経・筋肉系 循環器系
慢性胃炎、胃潰瘍、台帳障害、アルコール性肝炎(脂肪肝)、肝硬変症、膵臓炎、膵石、糖尿病 神経機能低下、脳神経症状、小脳変性、振戦、言語障害、多発性神経症、眼筋麻痺、アルコール性弱視、腱反射減退・消失、インポテンツ、筋脱力、筋炎・筋肉痛、筋硬直、けいれん 欠陥拡張、脳動脈硬化症、高血圧症、循環障害、アルコール性心筋症、アルコール性脚気症、脂肪心
精神 精神不安定 人格レベル低下 精神病症状
情動的敏感、焦燥感、衝動性、気分易変、憤怒、抑うつ気分、不眠 倫理道徳感減退、自己中心的、虚言、無責任、無関心、無頓着、感情爆発性、感情失禁、意欲低下、注意力低下、記憶障害、思考力低下、作業能率低下、否認 振戦せん妄、アルコール幻覚症、アルコールパラノイア(幻想型)、アルコールてんかん、コルサコフ病、ウェルニッケ脳炎(出血性上部灰白質炎)、アルコール痴呆、他精神病との合併症
社会 家庭不和 職場問題 地域社会問題
暴言、暴力、夫婦不和、親子断絶、孤立、家出、別居、離婚 飲酒して出勤、怠業、欠勤、無責任、仕事上のトラブル、失業、経済的破綻など 暴言、暴力、迷惑行為、他人に酒を要求、他人の財産・公共の器物・施設破壊、警察保護、救急車の出動、犯罪、無銭飲食、窃盗、恐喝、障害、殺人、自殺、自殺未遂など

 アルコールの作用により脳が慢性的な麻痺状態になれば(下図)、まず第1期では精神機能の低下が起こり、精神不安定状態となり、不眠、落ち着きのなさ、怒りっぽさ、記憶力低下、集中力低下、作業能率低下などが認められるようになります。

 さらに進行して第2期では、思考・判断力の低下、意欲、責任感、倫理観、向上心などが失われ、子供のような未熟さ、自己中心性、甘え、否認など、アルコール依存症に独特の性格的・人格的なレベル低下が目立つようになります。

正常
1.新皮質
  後天的・社会的欲求=人間的高等感情
2.旧皮質
  先天的・原始的欲求=動物的本能
3.間脳
  自律神経の中枢
1,2より欲求
  ↓
適応行動
アルコール依存症
1.新皮質の麻痺
  抑制のとれた逸脱行動が多くなる
  精神機能の低下、思考力判断力低下
  非社会的・反社会的な迷惑行為が多くなる
2.新皮質の抑制がとれると
  旧皮質の動物的本能の行動が活発化する
3.離脱期では
  自律神経の嵐(混乱)失調状態が続く
1,2より
  ↓
不適応行動


 さらに進行して第3期では、いよいよ精神病症状が出現してきます。
幻覚や妄想、アルコールてんかん発作健忘や見当識障害が主症状となるコルサコフ症候群、著しい脳の萎縮によるアルコール痴呆などがあります。

病識の確立と精神的成長

アルコール依存症者の多くは、自分がアルコール依存症であるという自覚(病識)をもっていないために、治療の必要を感じないばかりか、それが病気であることさえ知らない場合が多いので、治療には消極的で反発的であり、そのために最初から治療は困難を極めることになります。

 まず最初に、教育的な精神療法によって病識を確立することが治療の第一歩です。次に、依存による強迫的な飲酒欲求に打ち勝つには、子供のような未熟な心ではほとんど不可能です。
よほど脳の麻痺がとれて、精神的機能が回復し、一人前の大人としての精神力や生き方や社会性が身についてこなければなりません。

 そのレベルに到達するまでの人間形成こそが、アルコール医療のめざすところとなります。
そのための治療法としては全世界的にミーティング形式による集団精神療法が主流になっており、自助グループ(断酒会やAA)の活動などがこれがあたります。
 筆者らは、さらに個人精神療法である内観療法(下表)をとり入れて、見るべき成果をあげています。
内観によって真の自己を発見し、自己啓発の努力がアルコール依存症からの回復に大きな力になっているようです。

集中内観の条件
1 空間的条件 屏風による遮断と保護
2 時間的条件 午前5時30分〜午後9時
期間は7日間
面接指導1〜2時間ごとに1回
面接時間3〜5分間
3 指導者の条件 集中内観体験者が望ましい
4 内観者の条件 自発的意欲があることが望ましい
5 行動の制限 用便、入浴、就寝の時以外は屏風の外に出ない
食事も屏風の中でとる
雑談、テレビ、ラジオ、読書などは禁止
6 清掃作業 午後5時起床
直ちに部屋、トイレ、浴室などの清掃を分担する
集中内観の技法
導入は内観の仕方や注意事項などを録音したテープを聞かせる。
屏風の中に座ったら、指導者がテーマを与え想起の仕方を限定する。
1 対象人物 母、父など人間関係の密度の高い人を選ぶ
2 年代区分 小学1年生より現在に至るまで3年間隔で調べる
3 テーマ 1)してもらったこと
2)して返したこと
3)迷惑をかけたこと
4 その他のテーマ 嘘と盗み、養育費、酒代、酒による失敗など
5 指導者の態度 制限的受容、没個性的、非指示的
6 内観テープ 深化した内観者の内観報告の一問一答を食事時間などに放送する
7 内観座談会 内観後の反省と洞察の確認
日常内観の動機づけ


 このように、アルコール依存症とはその原因においても、その治療においても、精神的な要素が中核をなす疾病であり、精神的な依存こそが本症の本質そのものです。

 かって慢性アルコール中毒症と呼ばれていた時代は、アルコールという薬物が心身に及ぼす障害のみに着目していたのであり、それは生体が許容できる以上にアルコールを摂取した結果のみに目を奪われていたということです。



出典:第2章こころの病気、竹元隆洋著、
   「アルコール依存症」、榎本稔・安田美弥子編、太陽出版、1996