アルコール依存症の治療法はいまだ確立されておらず,その回復率もきわめて低い,予後調査はその回復の状態や断酒期間などの条件が統一されていないので安易に比較することは困難であるが,断酒期間が2年以上経過すれば統計的には一応の安定期と考えられ,諸家の報告では20%程度である。
こうしてみると,アルコール依存症はすべての症例が難治例であると言っても過言ではない。
ここでは,内観療法と院内断酒会を中心とした入院治療によって,二転三転しながらも,最後には1週間の内観療法のみで一応の安定期に到達し得た症例を示す。
症例:昭和生れ男性 生活歴と病歴
学歴は2つの学校を中退,職業は農業,議員を20年ほどつとめた.
20歳代で結婚し当時から毎晩焼酎の晩酌。
中年期より問題飲酒となり朝酒・昼酒をはじめ過量飲酒となる。
嘔吐,膵臓障害のため内科に45日間入院。入院4日目から離脱症状が出現し天井を虫がはいまわる,川に靴が流れたと靴を取る動作を繰り返したりした。
翌年,アルコール依存症で精神科病院に2ヵ月間入院したが,退院日から再飲酒した。
2年後、当院に初診,入院となった.
初回入院治療
(1)治療へのモチベーション
病識欠如のため入院治療へのモチベーションが困難であった。家族と同席して繰り返し入院治療の必要性を説明,説得した。患者は根気負けしたように反発しながらも入院となる。入院後も治療や病棟生活に対して不満や反発的態度を示した。理屈っぽく,説明や説得に対しては直ちに反論した。そこで,個別的な指導やカウンセリングをやめて,距離を保ちながら,集団内での変化を待つことにした。入院初期の院内断酒会(1.新入会員自己紹介,2.体験発表,3.内観自己反省発表,4.断酒理念発表,5.院長講話)に毎週1回参加した。他の患者の発表を聞くことによって,徐々に反発的態度は少くなった。入院2ヵ月目の体験発表の要旨は「酒は悪いと知りながら,自制する力がなかった。信念がなかった。内科入院の際には幻覚も体験している。議員としての充分な仕事もできなかった」と自己反省し,病識もでてきた。
(2)内観療法
内観に対する抵抗はさまざまであるが,プライドの高い本症例では,内観を上手にできるか否か,それによって評価されるのではないかなどの不安が強かったようである。
アルコール専門病棟では午後1時から2時まで日課として日常内観を行う。病室の壁に向かって静かに座り過去の反省をする。入院初期は何のことかも分からず,ただ周囲の患者のするようにして座るが,徐々に内観について院内断酒会や書籍などで知るようになる。
院内断酒会で内観体験者が発表する「内観自己反省」の発表を聞くことによって内観療法へのモチベーションが少しずつ進み,およそ入院の順番で集中内観に導入する。
集中内観直前には内観体験者と内観希望者が集まって座談会を開く。体験者の体験談や注意・激励によってモチベーションの強化をはかる。
内観療法は吉本原法に準じて行った。1日11時間で9日間を1クールとした.本症例は1日目から指示通り3点のテーマに沿って内観ができた。2日目には「母にはいろいろ迷惑をかけて申しわけないと思っている」と反省の姿勢がみえる。6日目ではよく想起しているが状況報告が多い。反省の言葉はあるが感情表出が少い。9日目まで同様のレベルの内観が持続したが,真剣さはうかがえた。
その後の院内断酒会での内観自己反省発表の要旨は「内観に対する不安が強かった。自分が他人に対してどうであったかを身をもって体験した。心の底から反省,意志の弱い自分であったことをみてきた。深く自分については反省し,アルコール依存症の病識をしっかりもち,断酒しかないという決断が必要である」と述べた。病識が確立し断酒を決意し,個としての確立や対象関係を確立する基盤ができつつあり,内観療法の効果が示されていた。
(3)内観療法の効果
(ア)Y‐G性格検査
内観前はB型で情緒はやや不安定,活動的,衝動的で主導権を握る傾向も強い。内観直後はAD型で抑うつ性は小さく協調的。活動的で主導権を握る傾向も強い。退院時ではA’型で情緒安定,活動性が非常に高く,思考的内向傾向が強く,社会適応もよい。
2 | 3 | 4 | 5 | |
B | C A | D 抑うつ性大 | ||
C B | A | C 気分の変化代 | ||
C BA | I 劣等感大I | |||
B C | A | N 神経質 | ||
B C A | O 主観的 | |||
B C | A | Co 非協調的 | ||
C | A B | Ag 攻撃的 | ||
A B | C | G 活動的 | ||
C B | A | R のんき | ||
C | B | A | T 思考的外向 | |
B CA | A 支配性大 | |||
C | BA | S 社会的外交 |
A 集中内観前
B 集中内観後
C 退院前
Y−G性格検査プロフィール
(イ)バウムテスト内観前は広い基部と左への傾斜がみられ抑制的,防衛的である.実が強調され樹冠や地面に陰のようなあいまいな線があり現実感の欠如,夢想的受動的である反面,自己顕示欲は強い。
内観後には両側から支えられたぶどうの木となり,不全感や不安定感があり,支持されてきたことの自覚が表現されたものと考えられる.内観後にこのようなぶどうの木を描く者が多々みられる,葉や実の描写は完成欲や承認の欲求を示す.
退院前は枝の数,実の数は少く淋しいが,上に伸びる力強さが示され,木の幹の陰影は接触能力,適応への意欲を示している,
2回目の集中内観 当院における初回入院では,l回目の集中内観を終了し,その後外泊などを体験して退院した。退院後は地域断酒会に入会して順調な断酒生活が継続されたが長女の婿との折合いが悪く,イライラ感が募っていたことから,断酒2年3ヵ月で再飲酒してしまった。間もなく肝炎で内科に入院,退院後は断酒会にも参加して9ヵ月間断酒を継続した。しかしまた再飲酒して再び内科に逃げ込むようにして1ヵ月半入院した。ところが退院後は直ちに飲酒してどうすることもできなくなってしまった。当時の状態について「これではいけない,これでは駄目になると考えれば考えるほど地獄の誘惑は日に日に募るばかりでした。助けてくれ。酒をやめたい,しかしやめられない,内観以外に手はない」という心境になって,当院に連絡してきた。1週間の集中内観だけでも相当の効果が期待できることを説得して,内観に取り組ませた。
集中内観5日目には「結婚当時より妻には迷惑をかけた。青年団や消防団の人が毎晩のように夜遅くまで遊びに来た。お金に余裕もないのに妻は酒を準備してくれた。町議に出馬し,私は家のことは構わず選挙に打ち込んだ。当選後も毎晩飲み,仕事もせず,世間にはいい顔をして家族を気遣うこともなく妻の妊娠にも気付かなかった。今考えると,私以上に妻は苦労し,私のこと,家族のことを一生懸命やってきた。頭があがらない思いだ」と涙ぐみながら話した。
こうして2回目の入院は集中内観の7日間のみで退院した。その後は日常内観を継続しながら断酒会に参加し,現在まで約3年間断酒を継続して,夫婦2人の幸せな生活が続いている。
まとめ
アルコール依存症の治療は一定の治療プログラムが準備され,専門病棟であることが望ましい。その病期によって院内断酒会のような集団療法と内観療法のような個人療法を組み合せることが効果的である。断酒に失敗しても,再び治療に取り組む勇気をもてるような雰囲気作りが大切で,内観療法の指導は非難や説教じみた面が全くないので,このようなプライドの高い症例にも馴じみやすい。内観療法はAAの1,4,5,8,9,10ステップとよく符合しており,断酒会やAAと内観療法との組み合せは,それぞれの長所短所をすべて補うほどである。
出典:精神科難治療例−私の治療(1992年2月東京医科歯科大学教授融道男編)
「プライドが高く反発的なアルコール依存症−主に内観療法の効果」