安らぎと喜びにみちた生活を求めて
  あるアルコール依存症者の断酒



1 入院するまで

 久保春男さん(=仮名)は宮崎県の中都市で生れ、その町の中学校を卒業して自転車屋に就職し、約4年間まじめに働きました。その後自衛隊に入隊し、福岡県に配属され、そこで同じ仲間たちと毎晩のように酒を飲んでは昼間の訓練のストレス解消をしていたのです。入隊して2年目のある夜、ついに深酒をして門限に間にあわず、門番の隊員と喧嘩になり、そのまま脱走して郷里に帰りました。その後は定職もなく、深酒が続き、福岡と郷里を行ったり来たりしながら職を転々と変える生活が続きました。
 結婚して郷里に落ち着きましたが、久保さんの酒飲みは減るどころか増えるばかりで、また福岡と郷里を行ったり来たりの生活が約10年間続いて、ついには離婚になりました。子ども2人は久保さんが引き取ったのですが、その後間もなく、あいついで、長女は急性肺炎で死亡、次女はコタツで事故死となり、久保さんの心はいよいよ荒れすさんだ状態となり、一日一升の焼酎を朝から飲み続けるようになりました。それを見かねた家族は、心配して久保さんを精神病院に入院させることになりました。
 第1回目の入院をしましたが、退院するとすぐに、また朝から一日中飲み続け、次第に暴言・暴力をふるうようになってきました。それから6回の入院を繰り返すことになったのです。そして6年後には病院を退院して間もなく福岡に職を探しに出ましたが、そこでもまた朝から飲酒して傷害事件を起こしてしまいました。懲役3ヵ月の実刑を受けて、出所後、保護監察中でありましたが、酒を止めることはできず、前にもまして飲酒して、仕事などまったくしなくなり、暴力はさらにひどく、警察に保護してもらったことも数えきれないほどになりました。困りはてた家族は、また無理やり精神病院に入院させましたが、同じことの繰り返しで、結局8回の入院を繰り返すことになったのです。
 そしてある日、私どもの病院に久保さんが家族に連れられてやって来ました。郷里にある精神病院の院長先生からの紹介状には

 過去何回もの入院歴があり、当院にも2回、そして今回、慢性アルコール中毒ならびに高血圧症で緊急入院(2、3日前より飲み続け、暴れて家のガラスを全部割り、家具をこわしたり)した患者です。最近は性格変化が次第にひどくなっているようで、自己中心的で他人に思いやりのない無視した態度、抑制の欠けた態度が強く、普通の指示、説得ではどうも治療になりそうにありません。一度、先生のところでおこなっている内観療法を受けさせてみたらと思い紹介しました

 と書いてありました。大変やっかいな患者さんが舞い込んできたものだと思いましたが、久保さんは、私どもの病院に入院することになりました。家族の話では、久保さんは生来おとなしく、口数は少ないが勝気で短気であり、酒を飲むと多弁で粗暴になるとのこと、ときには「幽霊が出てくる」というようなアルコール依存症の人にみられる幻覚も出ているようでした。初診時の診断名は、アルコール依存症、アルコール性心筋症、アルコール性肝炎、糖尿病が久保さんのカルテに記入されました。

2 入院生活の態度

 入院して間もないうちは「自分からすすんで断酒するために入院してきた。2、3年かかってもよい」などと言ったり、看護婦さんたちの指示にも比較的に従順に振舞っているかと思うと、ときには強烈に自己主張して、興奮することもありましたが、そのあとであっさりとあやまったりするところなど、気分が変わりやすく、いわゆる病院慣れした態度が目につきました。入院3ヵ月目になると、強硬に外泊を要望して引きさがらず、もう少し頑張って内観を体験してからにしてはどうか、とすすめてみても、「いいえ、ぼくはもう絶対断酒できますから」と言って聞き入れません。やむをえず3泊4日の外泊を許可しました。ところが、予定の日を過ぎても病院には帰ってきません。家族に電話してみても行方がわからないとのこと、結局8日目になって警察に保護され、久保さんはまったくの酩酊状態で警察官にともなわれて病院に帰ってきました。その後は、他の患者さんや看護婦さんたちとの接触も気まずそうで、孤立した状態が続きましたが、しばらくたってようやく落ち着いてきました。そこで、内観療法に導入することにしました。
 内観前の座談会に参加した久保さんは、「熱心に頑張ります」とまじめな表情で言いました。病院での内観は、午前8時より午後7時まで、1日11時間、内観専用の治療棟でおこないました。

3 アルコール依存症に対する内観の効果

 久保さんは早く退院したいから、指示通りに内観を受ける気になったようです。ところが3日目、4日目ともなると、退院のことなど忘れたように、内観に熱中している様子が手に取るようにわかりました。まず久保さんを内観に熱中させた大きな要因は、何と言っても、両親の久保さんに対する愛情の発見からであったようです。それを久保さんの「内観自己反省」の記録のなかから拾いあげてみましょう。

愛情体験の発見

 母に対してかけた迷惑の多さ、そして、していただいたことの多さには私も唖然としてしまいました。私の36年間のうち、母は私の『我』の強さにもかかわらず、いつも心優しく私を温かく見守ってくれているのに気づいたときは屏風のなかでつい涙が流れてしまいました。そして父は私をいつも心を大きくして見ていてくれたと思います


病識の確立

 自分がアルコール依存症であるという自覚がなければ治療意欲は起こりませんし、本当に断酒しようとも思いません。久保さんはおもに妻子に対する過去の自分の態度からしっかりと病識をもつようになつたようです。

 妻のことですが、21歳のときに結婚し、2人の子どもに恵まれながら、私の酒ぐせの悪さ、思いやりのなさに妻も私に愛想をつかしてしまい、また2人の子どもも私の思いやりが足りなかったために、不幸にして長女は病死し、次女は事故死して、妻とも別れてしまいました。もし今、妻に会うことができたら、深く謝罪する気持でいっぱいでございます。そして『嘘と盗み』『酒と自分』のテーマについて書きあげればきりがありません

 と自分の非を素直に認め、改める気持が芽ばえております。

断酒決意の確立

 過去の非を改めることの第一は酒を断つことですが、他の人びと(家族や治療者など)によって強制させられるものでは継続できません。自発的・自主的な断酒の決意がなければ断酒継続は不可能です。

 私は当院までに8回という入院歴、そして前科者の私に毎月便りや贈り物などと、本当に普通でしたら親子の縁を切られても仕方のない私に、これほどまでに私を温かく見つめてくれているのに気がつき、よし、これからでも遅くはない、父が生きているうち、そして母が元気なうち、必ず断酒によって父母に報恩し、それを必ず遂行する決意が心の中にできていくのに気づかされました

 こうして、内観の途中から自分の心の中に大きな変化が、誰に強制されることもなく自然にわき起こってきたのでした。
 
人間関係の確立と断酒継続の確立

 酒によって多くの人びとに迷惑をかけてきたことの反省が深まれば、その人びとに対して万分の1でも報恩しなければと思う気持がわきあがってきます。その人びととのより良い人間関係を作りあげることが自分の幸せでもあり、他の人びとの幸せでもあることがわかるようになってきます。
 しかし、より良い人間関係を確立するためには、自分が断酒を継続しない限り砂上の楼閣であることは痛いほどわかってきます。久保さんは次のような決意をしました。

 私はこれまでに、はたして他人様のことを考えたことがあっただろうか。父母に迷惑をかけ、兄姉や他人様に多くの嘘をついたり自己中心的だった自分が、本当に情けなく愚劣な自分であったということに気づかされたのは、36年間を振り返ってみて初めてだと思います。私が今回の集中内観で気づかされたことは、まず自分自身の身勝手、そして他人への思いやりのなさに自己嫌悪に陥る自分でありました。私は、これから生きていくためには集中内観で知った父母の恩恵、妻、兄姉の思いやりを一生忘れることなく、一生懸命断酒を誓い、これからの人生道を真直ぐに頑張りとおします。自分を大切にし、父母兄姉、他人様に報恩の気持で生き抜く決意でおります

 と、久保さんは心に誓って、退院した現在でも日常内観を続けながら、このような気持を持続させています。

自由な自己変革と個の確立

 断酒するためには、ただ決意がしっかりできれば良いというものではありません。その決意を実行し継続していくだけの精神的力を備えていなければなりません。内観療法は比較的に拘束性の強い治療法ですから、この治療を為しとげるだけでも相当な忍耐力、精神力が養われると考えられます。そして、他の人びとから説教じみた非難を受けず、自力で自己を見つめることによって気づかされたことを、自力で改めていこうとするエネルギーが、断酒を継続していく力そのものになっていくようです。

 人間にとって生活とは何か、人生とは何かと自分自身に問いただし、その答えが出たみたいです。要するに、人生とは、また人間とは、これから先、生きていく限り、自分が命ある限り、自分に厳しく、自分に負けることなく生きるということに気づかされました。その気持を一生忘れることなく、これからの人生道をまっしぐらに生き抜く決意でおります

 このような洞察にもとづいて、日常内観を続けながら、久保さんは断酒を継続して、家族はもとより、周囲の人びとにも一種の驚きを与えながら、幸福な生活を続けているのです。


出典:内観法入門 安らぎと喜びにみちた生活を求めて(1993年4月村瀬孝雄編)
    事例3アルコール依存症