アルコールは節酒ではなく断酒しなければなりません

アルコール依存症の実態と治療

1、依存とは何か
アルコールが1%以上含まれた飲み物を酒といいます。アルコールは化学記号でCOHと表わされる薬物です。しかも麻薬などと同じ依存性をもつ薬物ですから、くり返し飲んでいるうちに、誰にでも依存ができます。 依存とは、一般的には「頼る」ことで「赤ちゃんが母親に依存している」などと表現されます。すなわち、赤ちゃんは飲むこと、食べること、排泄まで生活の全てを母親に依存しており、母親なしには何もできず、もし母親がいなくなれば、大変に困ります。パニック状態になって泣き叫びながら母親を探し求めます。この状態と同じような状態がアルコール依存症でも起こるわけです。アルコールがなければ、何もできなくなり、困りはててパニック状態になって、酒を探し求めるようになります。そして酒が手に入ればホッとして、ひと口飲めば心身ともに落ち着いて安定します。では、何故このようになってしまうのでしょうか。生まれながらのアルコール依存症はありません。誰でも少しずつ、くり返し飲んでいるうちに依存ができてしまうのです。まず、最初は一合の酒でもフラフラに酔ってしまうでしょう。アルコー ルは脳を麻痺させますから頭はボンヤリとなって身体の神経も麻痺してフラフラになるのです。ところが一合の酒をくり返し飲むうちに、身体が一合の酒に馴れてきて、一合では酔わなくなってきます。頭もボンヤリしなくなり身体もフラフラしなくなります。一合ではききめがなくなります。飲んだような気がしないので、「もう一杯ほしい」ということになります。そこで二合の酒を飲むようになれば、はじめは、さすがに頭も身体もフラフラになります。しかしまたすぐに身体が二合の酒になれてしまうのです。いわゆる「飲み方の練習がいく」というわけです。
2、アルコール耐性
私たちの身体にはホメオスターシス(恒常性)という働きがあって、血圧や体温、脈拍などを一定の正常な状態に保つ働きがあります。たとえば寒い所に長くいて体温が低下してくると、自然にとり肌になって、汗腺から体温を逃さないようにしますし、自然に身震いのように身体をふるわせて熱を出すような働きもあります。そうして体温を正常な一定の温度に保とうとするのです。アルコールを飲んだ場合にも、一定の正常な状態を保とうとするホメオスターシスが働いてくるのです。最初は一合の酒で頭もボンヤリとなり、身体もフラフラするのですが、これは異常な状態ですからくり返し飲んでいるうちにホメオスターシスが働いてきて、頭も身体も正常な状態を保てるようになってくるのです。ですから、一合の酒ではフラフラしなくなってききめがなくなるわけです。これがアルコールに身体が馴れてきた状態です。そこで二合飲みはじめるとさすがにホメオスターシスの働きはおいつかず、はじめはフラフラに酔いますが、しばらくすると二合飲んでも、できるだけ一定の正常な状態を保つようにホメオスターシスが働いてきて、二合の酒でもほぼ正常な状態を保つことが出来るようになるの です。こうして脳も身体もアルコールに強くなっていくのですが、これをアルコール耐性と呼びます。すなわち身体がアルコールに耐える力をつけてくることを意味しています。こうして一合が二合、二合が三合と飲酒量が増加していくことをアルコール耐性の強化と呼びます。これがアルコール依存症の入門になるのです。
3、依存と異常事態
こうして二合や三合のアルコールが身体全体に入っている状態でも、ほぼ正常な状態を保てるようになった身体は、逆に言えばアルコールが二合、三合入っている時の方が正常な状態になってくるのです。こんな人の場合には、むしろ、身体にアルコールが入っていない時の方が異常事態になってきます。そこで禁断症状(離脱症状)が出現してきます。この状態をアルコール依存状態と言います。飲酒欲求が極度に強くなり、眠れなくなったり、気分が落ち着かなかったり、カッとなりやすく、不安感や緊張感がおこったり、ひどい時は幻覚や幻想、てんかん発作なども出現します。これは精神依存と言います。一方、手足が震えたり、発汗、発熱、筋肉の強直がおこったりします。これを身体依存と言います。要するに、アルコールが身体に入っていないと精神依存や身体依存の禁断症状が出現して異常事態が発生するわけです。健康な人の場合には、身体にアルコールが入っている時が異常事態ですが、アルコール依存症の人にとっては身体にアルコールが入っていない時の方が異常事態になるのです。
4、JRの車掌さん
この依存状態を分かりやすく説明するために、私は患者さんたちに次のような自作の漫談を語って聞かせます。JRの列車の車掌さんはゴトゴト動く列車の机の上で上手に文字を書くことが出来ます。入社した当初は、とてもそんなわけにはいきません。しかし、勤務して一年、二年と経つうちにゴトゴト動く列車の机の上で上手に文字を書けるようになるのです。ところが、家に帰って、我が家の机の上で手紙でも書こうとすると、困ったことにうまく書けないのですね。なにしろ、長年、ゴトゴト動く机に馴れてしまって、動かない机では上手に文字を書けなくなってしまったのです。そこで車掌さんは奥さんにお願いして、机の脚をコトコト動かしてもらいますと、たちまち上手に文字を書けたということです。すなわち、車掌さんにとっては動く机に馴れてしまって、机が動かないことが異常事態になってしまったという喩なのですが、この話で依存を説明しますと、どの患者さんにも理解してもらえるようです。
5、依存の治療
こうして出来た依存は二度と元に戻ることはありません。今のところどんな薬を使っても、何年たっても出来てしまった依存が消えることはないのです。車掌さんの場合には、仕事を変えて、動かない机で文字を書く練習をすれば、また元に戻るでしょうが、アルコール依存だけは元に戻ることができません。ですから、アルコール依存症の治療とは、依存を無くするための治療ではないのです。依存は一生ついてきますから、もう二度とアルコールを飲まないことが治療なのです。それが「完全断酒」であります。少々ならば良いだろうと多くの患者さんか「節酒」を考えて一口、二口飲んでみるのですが、三合のアルコール耐性ができて依存になった身体の人は結局三合まで飲んでしまいます。もうブレーキはきかないのです。どんなにうまく「節酒」しようと努力してみても同じことのくり返しで、結局、そのたびに入院になってしまいます。ですから、「節酒」などというテストは決してしてはなりません。最初からブレーキの故障している自動車に乗って走り出すようなものなのです。
6、一滴でも飲んではいけない第一の理由
では、何故「節酒」ができないのか、何故一滴でも飲んではいけないのか、その理由を説明しておきましょう。それは二つの大きな理由があります。まず第一は精神的原因です。例えば三合のアルコール耐性ができた人に「一合に決めて飲みなさい」と節酒をすすめたとします。三合入る身体にとって一合だけでは、当然二合の欲求不満が残ります。二合の飲酒欲求を抑えなければなりません。二日目は四合の欲求不満、三日目で六合、四日目で八合という具合に欲求不満はつのるばかりです。精神分析のフロイトは精神的症状や異常な行動の原因は欲求不満にあると説明しています。私たちの心は弱いもので、このような欲求不満にはそうそう耐えられません。しかも依存症の人の異常な飲酒欲求は本能である食欲や性欲などより何倍も強く、自分の力ではコントロール(抑制)できないほど強いものです。ですから、飲酒では間もなく耐え切れなくなって最後には爆発的に大量の飲酒をしてしまうことになります。これが断酒でなければならない第一の理由です。
7、一滴でも飲んではいけない第二の理由
第二の理由は身体的理由です。断酒して禁断症状が出て、それが退去するのには一週間もあれば十分です。禁断症状が消えて、身体にアルコールが入っていない状態に身体が慣れてくれば、身体依存いわゆる身体的飲酒欲求はほとんど意識されなくなります。患者さんが入院して酒を止めてしまえば、案外楽に飲まずに過ごせるのはそのためです。しかし精神依存はそう簡単に消え去ることはありません。要は、精神的飲酒欲求との戦いが始まるわけです。治療によって患者さんの心の中には断酒しなければならないという断酒の心が成長してきます。退院する頃までに断酒の心が100で精神依存が80であれば、これは断酒が継続できることになります。ところが万一、一滴のアルコールを身体に入れれば、それまで眠っていた身体的依存に火を着けることになって身体依存がゼロから100になってしまいます。こうなれば断酒の心が100でも戦う相手は精神依存の80と身体依存の100ですから100対180の戦いで負けてしまうのが当然です。以上のようなふたつの理由からアルコール依存症の人が節酒することは最初から不可能なことなのです。ですから、治療の最初から一滴のアルコー ルも飲んではならないことを少しの未練もなく、きっぱりと決断し、あきらめてしまうことです。そして、一生飲まずに、幸せな人生を豊かに楽しく生きることを決断してほしいのです。


出典:鹿児島竹友断酒会機関誌「竹友」第30号(1993年9月)「アルコール依存症の実態と治療」